血の繫がったいわゆる「実子」がいつつも、里親としてこどもを家庭に迎え入れようと考えている人にとって、それぞれのこどもたちへの影響や、どう接したらいいのかは、気になるところです。大津市の里親、元藤透さんは、かつては里親家庭の実子でした。実子の立場から、こどもを養育する里親へ。両方の立場を経験している元藤さんに、こどもたちを育てるときに気をつけていることなどを聞きました。

「家族以外の子」が家にいるのが当たり前だったこども時代

幼少期の元藤さん
幼少期の元藤さん

障害者福祉の仕事に従事し、ボランティア活動にも熱心な両親のもと、5人きょうだいの末っ子として生まれました。両親は当時障害がある人の共同作業所などを運営していて、よく困りごとを抱えた人の相談に乗っていました。自宅にはいつも家族以外の誰かがやってきていて、中にはこどももいました。だから、血が繫がらない、自分のきょうだいではないこどもが家庭にいることは、私にとっては日常の風景でした。

我が家が里親家庭としてこどもを受け入れたのを初めて自分が認識したのは小学校1年生のときです。長期養育の予定でやってきた、私より3歳年下の男の子でした。私は末っ子だったというのもあって、弟が出来たようでうれしくて……。よく外でキャッチボールをしたり、遊んだりしていました。里親制度について理解していたわけではないけれど、「困っている子がうちにやってきたんだな」、そんな認識でした。

そんな感じだったので、両親の愛情や関心がその子に向いて寂しいとか嫉妬するとか、ネガティブな感情は持っていませんでした。ただ、後になって親戚には「お母さんお父さんを取られたような感じだったね」と言われました。今にしてみればもしかしたらそんな感情も、少しはあったのかもしれませんが、当時はただ遊び相手が出来てうれしいとしか思っていなかったです。

思春期に感じた両親への疑問と反発

所狭しと並んだ靴。元藤家にはいつもさまざまな大人やこどもが滞在していた
所狭しと並んだ靴。元藤家にはいつもさまざまな大人やこどもが滞在していた

幼少期はごく普通に受け入れていた家庭環境ですが、思春期に入ると疑問を感じるようにもなりました。漠然と感じていたのは「うちはマイノリティだ」ということです。さまざまな人が家に出入りしていて、血の繫がらないこどもも住んでいて……。そういう家はなかなかないですよね。

少しでも知ってもらおうと里親家庭の説明をすると、必ずと言っていいほど言われた「(両親は)すごいね」という言葉が苦手でした。言葉の背景に「とてもじゃないけれど私はできないわ」という感情が隠されているように感じてしまったんです。理解しようとされていない、と思っていました。

実子が5人、里子もいて時間的にも体力的にも余裕がないのに、困っている人たちの支援に奔走する両親の姿勢にも、反発を覚えていました。当時母は支援を頑張るあまり、体調を崩していました。健康を損なってまで、なぜそこまで尽力するんだ。そんな思いで鬱屈(うっくつ)していました。そのうち、だんだんとなんとなく、学校へ行かなくなっていました。

人生観を変えたひとりの男の子との出会い

母親に抱っこされる元藤さん
母親に抱っこされる元藤さん

そんな中、ひとりの男の子と出会いました。

中学生のときでした、母と一緒に、児童相談所が運営する一時保護所を訪ね、2歳くらいの男の子に会いました。うつろな目をしたその子は、まったくと言っていいほど人を寄せ付けませんでした。抱っこしようと母が手を伸ばすと、その手を払いのけて後ずさりし……。彼の様子から、彼が世界に対し希望を抱いていないことが伝わってきました。心の傷を感じさせるその姿に、私も中学生のこどもながら「この子には幸せになってほしい」と強く感じたことを、今でも覚えています。

ご縁があり、その子は元藤家に委託されやってきました。不登校だった私も、母と一緒になってその子に向き合いました。

私から見た両親はその子に、特別なことをしたわけではありません。温かいごはんを一緒に食べ、抱っこして温かな言葉をかける。その子が何か言うときには耳を傾けて尊重する。そうやって過ごすうちに、その子はみるみる笑顔を取り戻し、甘えるようになっていきました。声を押し殺して泣いていたのが大声で泣くようになり、こどもらしさを取り戻していく様子に、なんともいえない感動を覚えました。

「こんなに尊いことはないな」
その子に出会ったことで初めて、両親がしていることの原動力がわかり、両親の思いを少し「理解する」ことができました。
自分のなかで、里親になることが将来の選択肢になっていきました。

そして里親へ 大切なのは「日常を丁寧にみること」

その後、2009年に里親家庭を大きくした事業であるファミリーホームの制度ができました。父親と一緒にファミリーホーム立ち上げのために全国の里親仲間のもとなどあちこちを訪ねていたこともあり、ホームの運営に携わることは自然な流れでした。

私自身は不登校を経て人生をやり直そうと高校・大学へと進学しましたが、これもあの男の子との出会いの影響が大きかったと思います。大学卒業を機に、ファミリーホームの「補助者」として働きたいと、自分から両親に頼みました。両親が亡くなったいまは、ファミリーホームの「養育者」として、こどもたちと暮らしています。

もともとは里親になることを視野に入れつつ、補助者時代に自分の力不足を感じていたので、一度外の仕事をして社会経験を積もうと思っていました。そうすることで力をつけ、まだ見ぬ未来のこどもたちにより良い関わりができるのではないかと考えていました。しかし両親が早くに亡くなりホームを継ぐことに。若い自分にこどもたちを養育できるのかと、悩むこともありました。でも、当時長期間うちのホームにいてくれた子がいて。住む場所が変わり生活が変わることよりも、歴史を一緒に重ねてきたうちで暮らすのがその子にとって幸せなのではと思うと、自分の悩みはなくなり、迷わずこどもたちのために一生懸命やっていこうと思いました。

こどもを養育するにあたり、自分なりに心がけているのは、「日常の何げないひと言や表情を丁寧にみる」ということです。たとえば「ただいま」と帰ってきたときの表情や、ふともらしたひと言をよくみて、その子が何を感じて、何に悩んでいるのかを知ろうとする。これが案外難しくて、忙しい日常に追われていると余裕がなくなってしまうのですが、意識して丁寧にみることで、ふとしたことから、こどもの気持ちが聞けるのではと感じています。

それから、守れない約束はしないこと。これも大切にしています。「どこかに遊びに行こう」という約束もそうですし、日常の何気ない約束もです。こどもとの約束を守れなければ、信頼関係を築くことは難しくなります。

こどもは親を選べません。特に社会的養護のもと、里親家庭に委託される子は自分で望み自分で決めてその家庭にきたわけではありません。だからこそ、こどもの気持ちを丁寧にみて、必要なことはわかるように何度も説明して、将来的には自分で自分の人生を決めていく力を身につけてほしい。そう考えて日々接しています。

元実子として 里親を考えている人へ

赤ちゃんのころの元藤さん
赤ちゃんのころの元藤さん

我が家のように、実子がいながらも社会的養護のこどもを迎え入れたいと思う人、それに対して心配事や不安を感じる人は、いらっしゃると思います。

元実子として、そしていま養育者である自分が思うことは「こどもはひとりひとり違う。ひとりひとりに向き合う必要がある」ということです。それは、血の繫がった実子も、繫がらない子も同じです。

たとえば4人いる私の兄や姉は、里親家庭であることに対してひとりひとり受け止め方が違います。そもそも自分が里親になる選択肢を考えたことがないきょうだい、育ってきた環境から自分の家族には負担をかけたくないと考えているきょうだい、同じく里親になったきょうだいなど、さまざまです。大人側で大切なのは、それぞれのこどもに向き合い考えを尊重し、年齢に応じて話し合って相互理解を深めていくことだと思います。

私自身は「より弱い立場の人を大切にする」という自分の信じる道を突き進んだ両親に対し、思春期のころは理解することが難しく反発を覚えましたが、いまはその一貫性がうらやましく感じています。大人になってから親のことをこどもが理解することも、あるのではないでしょうか。ただ、うちに秘めたものは表に出さないと相手には伝わらないので、伝える努力、きちんと受け止める努力も必要です。

実子のことを考えて里親になることを迷っている人には、まずはショートステイや週末里親など、短期の受け入れから始めてはどうでしょうか。実子の受け止め方もみながら、進めていくこともできますし、立ち止まることもできます。人生は1回きりですから、ぜひ一歩踏み出してみてください。


元藤透さん

もとふじ・とおる/1988年、大津市生まれ。ファミリーホーム(※)「元藤ホーム」養育者。里親家庭の実子として育つ。2012年に自身も養育里親として登録

※里親家庭を大きくした事業。里親や乳児院・児童養護施設職員経験者の自宅等で補助者も雇い、より多くのこどもを養育する。