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アフリカがフランスに似てきた『わたしは、幸福(フェリシテ)』

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
インタビューに答えるアラン・ゴミス監督=外山俊樹撮影

アフリカが抱える問題は、フランスに似てきた――。コンゴ民主共和国を舞台にした16日公開の『わたしは、幸福(フェリシテ)』(原題: Félicité)(2017年)(仏・セネガル・ベルギー・独・レバノン)は2月にベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞、さらにこの原稿を書いていた12月半ばにはアカデミー外国語映画賞の予備選考9作品の一つに選ばれたと発表、欧米で高い評価を受けている。脚本も書いたアラン・ゴミス監督(45)にインタビューすると、経済発展を遂げるアフリカの悩みがいかに「先進国」に近づいているか、だからこそ自身を重ねる人たちが欧米にもいかに増えているかがほの見えてきた。

『わたしは、幸福(フェリシテ)』より、フェリシテ役のヴェロ・ツァンダ・ベヤ(中央) © ANDOLFI – GRANIT FILMS – CINEKAP – NEED PRODUCTIONS - KATUH STUDIO - SCHORTCUT FILMS / 2017

アフリカ中部・コンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都キンシャサで、バーで歌いながら息子サモ(ガエタン・クラウディア)をひとりで育てるフェリシテ(ヴェロ・ツァンダ・ベヤ)が今作の主役。彼女に気があるバーの常連タブー(パピ・ムパカ)に、動かなくなった冷蔵庫の修理を頼んでいると、サモが交通事故に遭ったと連絡が入る。左足を骨折したサモを前に、費用を前払いしないと手術できないと告げる医師。まったく口を開かなくなり、ただ横たわるだけのサモのため、フェリシテは手術代を捻出しようと、これまで頭を下げてこなかった相手にも懇願して金策に走るが、方々で冷たい反応を浴び続ける――。

少年が事故で片足を失うプロットは、ゴミス監督の年下の従兄弟の経験がもとになっている。約10年前、ギニアビサウに住んでいた従兄弟がサッカーをしていて足を骨折。だが治療費をまかなえず、感染症が広がって足を切断することになったという。「ショックだったのは、彼は事故後しばらく、まったくしゃべらなくなったこと。彼が通常の暮らしを取り戻すのに2年ぐらいかかった。彼の母も周りから非難され、 『あいつは魔女だ』とまで言われた」

アラン・ゴミス監督=外山俊樹撮影

フランス人のゴミス監督は、西アフリカのセネガルとギニアビサウにルーツがある父を持つ。だが15歳でセネガルの首都ダカールへ行くまで、アフリカの地に足を踏み入れたことはなかった。「もっと前から行きたいと思っていたけど、うちは労働者の家庭でお金の余裕はなく、なかなか行けなかった。やっとダカールへ行き、ついに自分の一部を見つけた思いで、自分の中で均整がとれた気がした」とゴミス監督は言う。

今はパリとダカールの2カ所に自宅を構えて行き来しながら、フランスやセネガルを舞台に長編映画を撮ってきた。長編4作目の今作は、それまで行ったことのなかったコンゴ民主共和国に舞台を移した。「キンシャサにはすごく近代化されたビルがある。人口もキンシャサ都市圏だけで、セネガル全体と同じくらい。そんなアフリカの大都会で一度、撮ってみたいと思った」

アラン・ゴミス監督=外山俊樹撮影

コンゴ民主共和国については「以前は正直、非常に暴力的だという印象を持っていた」とゴミス監督。元宗主国ベルギーから1960年に独立後、コンゴ動乱に故モブツによるクーデター、第一次・第二次コンゴ戦争と紛争が続き、民主化後も武装勢力が乱立、多くの死者を出してきた。ところが実際に現地入りすると、「非常に優しい感じがする街で、とても驚いた。映画を撮っていると陰から助けてくれる感じすらして、とても気持ちのよい撮影だった。すごく強烈な力が湧き出てくる街で、とても印象的だった」とゴミス監督は振り返る。

現地で出あった優しさは、登場人物の描写にも取り入れたという。「タブーは見かけこそすごくいかついけれど非常に他者に優しく、自分の弱さも受け入れる役柄。演じたパピ自身のキャラクターに影響され、脚本を書き直した結果だ」とゴミス監督は言う。ちなみにパピ本人は、普段はガソリンスタンドを営み、つまりプロの俳優経験はなかった。それが、「素人として多くのものをもたらしてくれて、すごく可能性が広がった。彼のようなアマチュアの演技が、プロの演技をより本物らしくする影響もあった」とゴミス監督は言う。

『わたしは、幸福(フェリシテ)』より、フェリシテ役のヴェロ・ツァンダ・ベヤ(左)とタブー役のパピ・ムパカ © ANDOLFI – GRANIT FILMS – CINEKAP – NEED PRODUCTIONS - KATUH STUDIO - SCHORTCUT FILMS / 2017ukl;::

長い紛争で疲弊したコンゴ民主共和国だが、治安が改善しつつある最近は豊富な天然資源に支えられ、国外からの投資も増えて経済は成長している。今作でも豪邸住まいの人が登場するが、一方で主役フェリシテは、手術代はおろか冷蔵庫の修理費も捻出できない。「アフリカへの投資が増えても、恩恵を受けるのはごく一部。国内総生産(GDP)は伸びたとしても、問題はそのまま置き去りになっている」

『わたしは、幸福(フェリシテ)』より、フェリシテ役のヴェロ・ツァンダ・ベヤ © ANDOLFI – GRANIT FILMS – CINEKAP – NEED PRODUCTIONS - KATUH STUDIO - SCHORTCUT FILMS / 2017u

監督はそう言って、アフリカも他の先進国と同じ状況になっている、と指摘した。「テレビなどで、ごく一部の人だけが恩恵を受けるある種の『成功』モデルが取り上げられている。だがそれは、他の多くの人たちを表していない。そうした『成功』のために自分が自分でなくなることで、社会が動いている。その点、アフリカもフランスも似てきたと思う」

フランスは従来、所得の再分配による格差是正を比較的はかってきた。「富の分配を平等にすべきだという社会運動が起きてきただけに、フランスはそういう方向に少しは向かってきたと思う。でも結局、一般の人がよりよい教育や医療を受けるのは難しく、本来あるべき姿からはまったく遠いところにある。いまだにデモも頻発しているのはそういうことだ」

アラン・ゴミス監督にインタビューする筆者(左)=外山俊樹撮影

今作は今年2月のベルリン国際映画祭で銀熊賞の審査員大賞を受賞。12月14日(米国時間)には米映画芸術科学アカデミーが、アカデミー外国語映画賞ノミネーションに向けた予備選考9作品の一つに選ばれた、と発表した。アフリカへの関心が今まで以上に欧米で高まっている表れだろうか。「そうだといいと思う。この作品がアフリカへの新しい扉を開き、アフリカと世界が新たに交流できるきっかけになる、そのために賞の対象になったのだとしたらうれしい。今の欧州は、自分たちの失敗にようやく気づいたところがある。自分たちの持っていた力がどんどんなくなってきたことがわかってきて、自分たち以外の世界にも少し興味を持ち始めたのかもしれない」

ゴミス監督はそう言って、フランスを例にとった。 「フランスは実際の大きさ以上に、自国が大国で、世界に威光を放っていたと信じていた。最近ようやく自分たちの本当の大きさに気づき、フランス人もとてもショックを受けているんだと思う」

アラン・ゴミス監督=外山俊樹撮影

フェリシテは、フランス語で「幸せ」を意味する。その名をもつ女性を通して、幸福とは何かを今作は問いかける。「家や食べるものをいかに確保し、どうやって子どもを養うか。そうした日々のたたかいは本当につらいものだ。それでも幸福にたどり着こうというのが今作の物語の中心。フェリシテにとっては、あるべき『成功』イメージに押しつぶされるのではなく、自分自身を尊重してありのままを受け入れることが幸福につながる。これは世界共通のテーマ。遠いアフリカの話しながら、日本の人たちにも、相通じるものを感じてもらえるのではないかと思う」

自分のありのままを受け入れることこそが幸せーー。ゴミス監督自身はすでにその境地にある? 「たぶん何とかたどり着けているのかなと思うけど、だとしたらこの映画のおかげ。自分は自分以上のものではなく、すべてを得ることなどできないのだということも含めて、今ある状況を受け入れ、自分の位置を知る。それはこの映画を通してできたんじゃないかな、と思う」