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「歴史を否定する人と同じ土俵に乗ってはいけない」~『否定と肯定』

インタビューに答えるデボラ・E・リップシュタット教授=外山俊樹撮影


シネマニア・リポート Cinemania Report [#76] 藤えりか


「歴史を否定する人と、同じ土俵に乗ってはいけない」――。「ユダヤ人虐殺はなかった」とする英国人男性が、ユダヤ人女性の米国人歴史学者を名誉毀損で訴える裁判があった。たった17年余り前、2000年のことだ。それを克明に再現した8日公開の英・米映画『否定と肯定』(原題: Denial)(2016年)は、今の日本にもとても重なる。裁判を乗り越えた米エモリー大学のデボラ・E・リップシュタット教授(70)にインタビューすると、これから必要とされる「覚悟」もクリアになってきた。

『否定と肯定』より、デボラ・E・リップシュタット役のレイチェル・ワイズ © DENIAL FILM, LLC AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2016

裁判の直接のきっかけに使われたのは、リップシュタット教授が1993年に出した著書『ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ』。英国人デイヴィッド・アーヴィング(79)は翌年、リップシュタットが講義中のエモリー大学の教室に乗り込み、学生たちの前で彼女を噓つき呼ばわりして責め立てた。この時の様子は映画の冒頭、リップシュタット役のレイチェル・ワイズ(47)と、アーヴィング演じるティモシー・スポール(60)が再現している。


リップシュタット教授はそれまで、アーヴィングに会ったことはなかったという。リップシュタット教授は当時を、「車のヘッドライトに突如照らされた鹿のように身動きができず、どうしたらいいかわからなかった。彼を無視すれば、私が彼にどう答えればいいかわからないのでは、と学生に思われる可能性もあった」と振り返る。

『否定と肯定』より、デイヴィッド・アーヴィング役のティモシー・スポール © DENIAL FILM, LLC AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2016

そうしてアーヴィングは1996年、リップシュタット教授と著書の版元ペンギン出版を名誉毀損で訴えた。しかも、米国ではなくロンドンで。


名誉毀損訴訟は、表現の自由を幅広く認める米国だと原告に立証責任があるうえ、原告が公人の場合、被告に「現実の悪意」があったことも証明しなければならない。その分、勝訴した場合は得られる損害賠償額も大きくなる傾向があるが、逆に言えば簡単には訴えられない。一方、英国は名誉毀損で訴えられた側に立証責任がある。つまりこの訴訟の場合、「ホロコーストはなかった」とするアーヴィングの論拠が間違っていることをリップシュタット教授が証明しなければならない。国外での裁判、費用も莫大だ。


しかも、敗訴すればユダヤ社会に大きな影を落としかねない。

デボラ・E・リップシュタット教授=外山俊樹撮影

だからこそ弁護団は法廷で、リップシュタット教授にもホロコースト生存者にも証言させなかった。「噓をついている人たちと私たちが同じ土俵に乗ることになるからだ。そのやり方はものすごくうまくいった」とリップシュタット教授。詳しくは映画をご覧いただくとして、つまり「ホロコーストはなかった」という荒唐無稽な論を、学者が緻密に積み上げた見解と並列させて議論すると、前者がまるで傾聴に値するかのように思わせてしまう。だから同じ土俵に乗ってはいけないというわけだ。


それにしても重い裁判だ。これを突如背負わされる形となったことについて、リップシュタット教授は言う。「私よりも長年、あるいはひどくアーヴィングを批判する人は他にいたのになぜ、私がターゲットになったか。私は大西洋の向こう側の米国にいて、英国にいる人たちよりも防戦に苦労する。これが第一でしょう」

『否定と肯定』より © DENIAL FILM, LLC AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2016

続いてリップシュタット教授が理由に挙げたのは、まさに私が尋ねようと思っていた点だった。「アーヴィングはほかに、ホロコースト史家でジャーナリストの故ジッタ・セレニーも訴えていた。つまり、彼は女性だけを訴えていた。彼はミソジニスト(女性嫌い)。法廷でも彼はそうした発言をしている。女性は戦いやすい、と考えたのだろう」



(次ページへ続く)

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