RSS

Webオリジナル

妄想は偉大だ。妄想にこそ創造がある アーティスト 栗林隆 #10



さてさて

10回目のトリップミュージアム、

素人が文章を書き始めるとこれくらいでネタがなくなり、

スランプに陥る。

素人なのにスランプとか(笑)。

失礼この上ない話だが、本職をやりながらの月2回の連載は、思った以上にハードなわけである。


さて、気合いを入れ直して、

今回は私の妄想の旅へご案内しようかと思う。


自分で言うのもなんなのだが、私には友人や知り合いが多い。

現代的な道具で言うと、インターネットのFacebookなどでは友達が1500人ほどいる。

たぶんその中の1000人ほどは実際に知って会ったことがある友人達である。

残りの500人ほどは、友人の友人だが、きちんとメッセージをくれ、承認をお願いされた人々である。

たぶん、自分から承認をお願いした人は15人くらいだと思う。


別にお友達自慢や、承認人数自慢をしたいわけではない。


よく、

「いつも楽しそうでいいね。」とか、

「幸せそうだね。」とか、

「自由で好きなことをして羨ましい。」

的なことを言われる。


実際、いつも楽しいし、幸せだし、自由で好きなことをしている。


むしろ、なんで皆それをしないか疑問であるくらいだ。

「いつも楽しい、幸せ、自由」は、

心の中で作られるものである。


今この瞬間から、皆いつも楽しく、幸せで自由になれる簡単なことなのである。


人が私のことを見るときに、

いつも誰かと一緒で、ワイワイと賑やかに、そして酔っ払っていると思われている。いつも酔っ払っているのは残念ながら事実であるが(笑)、実はほとんど一人でいて妄想に耽っている時間が一番多いことを誰も知らない。

100年以上前の建物の中に、ダム湖が出現する世界もすべて妄想である。立山連峰の後ろに引き戸の窓があり、その窓越しにオリジナルの北アルプスが見えると言う、不思議な空間だ

アーティストという人間は孤独との戦いである。

はっきり言って苦しいことの方が多いかもしれない。

この孤独との戦いをどう克服するか、

また孤独との付き合い方をどう見つけるかが、とても大事なポイントである。

もちろん、仲間と一緒にいるときは本当に楽しいし、一人、家で晩酌をすることがないので、仲間と飲まない限りそんなに楽しくないし、へべれけにもならない。


人によって様々であるが、

私の場合、作品制作をする場合、考え事をする場合、妄想をする場合、

100%シラフである。


酒を飲みながら、とか、ドラッグにハマりながら、とか、

そんな状態で作品を作れるほど器用ではないのだ。


というか、

実際人間にはご存知の通り、ドーパミンという脳を覚醒させる天然のドラッグが備わっている。自分の唯一の長所は集中力だと思っているが、この集中力の先に、スポーツ選手で言うところのゾーンが待っている。

そこにはガバガバとドーパミンが注入され、宇宙の果てまで飛んでいくことさえできるのだ。


はっきり言うが、

私はそんなに頭が良くない(笑)。

己のことは己がよく知っている。

例えば小学生のとき、中学校があることは知っていたが、高校があるとは知らなかった。中学生になったとき、高校があることは知っていたが、大学があることを知らなかった。高校2年の進路相談のときに、大学は、東大と琉球大くらいしかないと思っていて、芸大ってのがあると聞いて驚いた。

そんなバカである(笑)。


毎日を一生懸命生きることで精一杯というか、先のことをほとんど考えない性格で今まで来てしまった。

だからこんなになってしまったのだと言ってもいい。


また話がそれた。

私が孤独と向かい合い、克服していった過程において、語らなくてはいけないのが、やはりドイツでの生活である。


ドイツ。

ドイツという国を漢字で書くと、独(ひとり)と書くぐらいである。

当時はインターネットがなく、日本の情報を手にすることが非常に難しかった。

どんな小さなことでもよい、日本に関しての情報を少しでも手にすることが、孤独から逃げる唯一の方法であった。

とくに、私が最初に生活をしたカッセルという街は、日本人がほとんどおらず、ドイツ語はもちろんのこと、片言の英語しか喋れない私にとって、その日々の生活は家とアトリエを行ったり来たりするだけであった。


家にはマットレスと椅子が一つ。

あとはスーツケースのみ。

テレビも電話もない。

25歳くらいの若者にとって、それは孤独と不安との戦いの毎日であった。


しかも、

ヨーロッパの冬は厳しい。

とくに私が行った90年代はじめの冬は、マイナス20度を超える日々が続き、夕方4時頃には日も沈み部屋の中に閉じこもる生活が続くのである。

持ってきた小説を、何度も繰り返し読んだことを覚えている。


孤独とは、単純に独りでいることだけを言うのではなく、大勢の中にいても孤独は発生する。なかなか厄介な存在であるのだが、しかしこの孤独、という状態は意外な副産物を与えてくれる。


特にアーティストと呼ばれる職業や生き方の人間は、この孤独から産まれる想像力、創造力によって新しい世界や価値観を創りだすのである。


私の場合、妄想力がその一番の発想の源である。

妄想の中では自分に限界などはなく、ほとんどのことが可能になるからである。この想像力、妄想力は非常に大切なもので、一番危険なことは、ネットやマスコミ、メディアなどにより、この能力のクオリティが失われてしまうことである。

もちろん妄想だけでは駄目である。実体験からくるリアリティが無ければ、ただの空想だ。写真は、ザトウクジラと泳いだ時の写真。彼から多くのことを学んだ

先にも書いたが、私はバカだったので、勉強もろくにしなかった。

そのおかげで、日本の偏った歴史や常識に洗脳されず、自由な発想や考え方を持てるようになったのだと思っている。

ちょいと前までは、もう少し勉強すればよかった……。

もう少し頭がよければ良いのに……。

などと考えていたが、今は、本当に勉強をしないでよかったと心から思っている。勉強しろ、と言わなかった親に感謝である。


それほど教育や、情報、ネット社会における想像力の画一化は進み、妄想をしたところで限界やその妄想力が貧しいものになってしまうのである。


妄想は偉大だ。


では、

そんな私が、独りでいるとき、移動していたり、集中しているときにどんな妄想をしているか、その一部を紹介してみようと思う。

頭の中の初公開である。


よくやる想像の一つに、

「この世の中に、石油とコンクリートが無かったら」

という妄想がある。


皆さんも想像してもらいたい。

困る、ということよりも、美しいものが沢山帰ってくる。

世の中のゴミと言われるほとんどのものは、石油製品である。

それが全て消えるのである。

妄想なんで、複雑なことや現実的なことは考えない。

そうすると、自然と、自然に寄り添ったものの発明や開発が進む。自然をたくさん育てなくてはならない。べつに車がなくなれば良いとか、携帯がなくなれば良いとか、そういう話ではない。石油製品のように素材が単純化しないため、いろいろな可能性がでてくる。妄想なので利権を作ったり、群がったりする連中は都合よく出てこない。


例えば、

ある県だけは、車で侵入をしてはいけないこととしよう。

私の地元、長崎県平戸でもよい。平戸に渡る人は、車を本土において、全員車以外のものを使わなくてはいけないとしよう。人力なものだけである。

馬車や馬、艪こぎの舟、駕籠でもいいや。

もう時代錯誤もクソもないが、妄想だからなんでもありだ。現代的な文明に触れたかったら、その島から出て都会にいけば良い。

しかしそこには自然に寄り添った、身体と思考をフルに使った実体験の世界があるとしよう。そんな場所、そんな街、そんな国があったら、世界中から人が訪れ、移住し、豊かな生活、楽しく幸せな生活を手に入れることができる。不安を煽る保険の広告もなく、体調を壊すための健康診断もない。

物々交換でできる生活。

ほとんどとは言わないが、そんな生活を求める人たちがどれだけいることか。


妄想である。

こんなことを考えて、想像し、アイデアを考えているうちに夕方になってしまう(笑)。

そうして現実の世界に戻ってきたときに、

改めて身の回りにある石油製品を見、コンクリートを見つめ直すと、いかにこの物体に我々が無意識に支配され、その利権により金を貪っている人間がいるかが見えてきたりするのである。


必要ないものとあるもの。


人類が進化する過程で本当に必要なものと必要でないものを考える時代に来ている。


そのほかの妄想に、

自分が動物だったら、もよくある。

昆虫だったらバージョンもあるが、それだとうちの親父に捕まって撮影に協力させられたりするから嫌だとか、

自分が自分の飼っている猫だったらとか、動物園の象だったら、水族館のイルカだったら、とか。

大海原の海の生き物だったら。泳げたいやきくんは嫌だな、とか(古い)。

妄想は尽きず、気づくとやはり夜になってしまうのである。


私の作る作品たちは、

その妄想と現実、またはその妄想からくる問題提起や世界観、そしてそれを表現するにはどんな素材でどう見せるか、などから出来上がっている。

もちろん現実世界での体験や経験、そのリアリティがない限り妄想は育たない。誰よりも多くの経験をし、誰よりも多くの妄想をしなくてはならないのである。


現代美術のコンテクストや、西欧の流れ、アートとは? などの世界とは違うところから出来上がっている。

ゆえに、その世界の人たちからの評価は低い。

私は妄想やリサーチの中で、そのコンテクストを作った連中や、それを大事にしている連中こそこの世界を歪め、画一化させ、破滅へと導いていると考えている。


若者たちはネットやメディア、観念と洗脳の世界から離れ、自らの経験と妄想の世界を磨き、不安ではなく、幸せで、豊かで自由な世界を作る想像と夢をもってもらいたい。


今も私は一人旅の途中である。

四国徳島から松山に向かっている。

今回、旅の途中で京都に寄った。やはり歴史のある土地は妄想を掻き立てる。特に二条城となるとその世界は格別だ

旅に出ながら、妄想に耽り、そして想像力を磨き、

夢の中でも現実でも、普通に素敵で楽しい、誰もが幸せと思える世界を望みながら。



(次回は9月8日に掲載する予定です)




くりばやし・たかし

1968年生まれ、長崎県出身。武蔵野美術大学卒、ドイツ・クンストアカデミーデュッセルドルフ修了(マイスターシューラー)。2006年シンガポール・ビエンナーレ参加、10年森美術館「ネイチャーセンス」展、12年十和田市現代美術館で個展。9/24よりスウェーデン・ヨーテボリの美術館で和紙の林の作品 ”Wald aus Wald” を展示予定。インドネシア在住。 takashi kuribayashi

この記事をすすめる 編集部へのご意見ご感想

  
ソーシャルブックマーク
このエントリーをはてなブックマークに追加

Back number | バックナンバー

アーティスト 栗林隆 #07 サーフィンという新しい生き方

アーティスト 栗林隆 #07
サーフィンという新しい生き方

アーティスト 栗林隆 #06 ピンチはチャンスである

アーティスト 栗林隆 #06
ピンチはチャンスである

アーティスト 栗林隆 #05 目に見えぬ世界とのつながり

アーティスト 栗林隆 #05
目に見えぬ世界とのつながり

Popular article | 人気記事

さらに記事を見る
Facabookでのコメント

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

Information | 履歴・総合ガイド・購読のお申込み

Editor's Note | 編集長から

PC版表示 | スマホ版表示