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『十年』 忖度、香港にも広がる

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
伍嘉良監督=本人提供

『十年』より『エキストラ』 © Photographed by Andy Wong, provided by Ten Years Studio Limited

『十年』は26~38歳の若手監督5人がそれぞれ脚本を書いて撮った、5つの短編から成るオムニバス作品だ。製作費わずか約50万香港ドル(約720万円)、たった1館からの上映スタートだったが、口コミで人気が広がって動員を増やし、興行収入は600万香港ドルに達したという。2016年には、香港のアカデミー賞にあたる「金像賞」の作品賞を受賞した。

だが、その授賞式の様子は中国では報道もされなかった。作品自体の上映も認められていないという。

5編のあらすじを聞けば、それもそのはず、とうなずける。

『十年』より『焼身自殺者』 © Photographed by Andy Wong, provided by Ten Years Studio Limited

冒頭の『エキストラ』は、政党が支持回復のためでっち上げた暗殺騒動に巻き込まれた移民らを描き、続く『冬のセミ』は消えゆく身の回りのものを標本にしてゆく男女を、世紀末感を漂わせてつづる。『方言』では、地元の広東語ではなく北京などで使われる「普通語」を強制させられ、仕事も居場所もなくしていくタクシー運転手らの悲哀が紡ぎ出される。『焼身自殺者』は、英国総領事館前で焼身自殺が起きるなか、独立運動に身を投じる若者たちやその弾圧をドキュメンタリー風に描く。最終話の『地元産の卵』では食料品店の店主が、香港で唯一残る養鶏場から仕入れた卵に「地元産」と掲げて少年団にとがめられる。「よくない言葉リスト」を手に街中を監視する彼らは、禁書を扱う書店に卵を投げつける。香港社会に検閲が進んだ末路として、伍監督が脚本・監督を務めた。

「私は中国のブラックリストには載っただろうね。だから中国本土にはその後、行かないようにしている」。伍監督はスカイプのビデオ通話画面の向こうで笑った。「ただ、中国本土の複数の友人からは、この映画を不法にネットからダウンロードして見ている人がたくさんいると聞いているよ」


筆者は2016年、「雨傘運動」の元リーダー、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)にインタビュー。黄らが座り込みをした香港政府本部の前で待ち合わせると、運動の象徴だった雨傘がなお飾られていた=藤えりか撮影

香港は1997年の中国返還に際し、「一国二制度」によって向こう50年間は「高度な自治」が保障されることとなったが、中国が政治的にも経済的にも強大になるにつれ、制度の揺らぎを危ぶむ声が広がっている。2014年には普通選挙を求める若者による「雨傘運動」が起きたが、要求は退けられた。返還20年を迎えた7月1日には、就任後初めて香港を訪れた中国の習近平国家主席が、愛国教育などを通じて「一国意識」を高めるよう香港政府に促し、反発する市民らが抗議のデモ行進をした。

『十年』より『方言』 © Photographed by Andy Wong, provided by Ten Years Studio Limited

伍監督は言う。「香港では『これからどうなる?』『将来どう変わっていく?』といった疑問や不安が渦巻いている。その疑問に、映画監督として答えようとした。香港の教育はすでに変革が進んでいる。表面的には今までと同じだが、深層のところで中国本土を崇拝させるような変化が起きている。文化大革命下の紅衛兵のような存在が登場する懸念も抱いている。とても微妙な問題だが、ありうることだ。きわめて危険な状態にある。そうした問題意識をこの作品に盛り込んだ」

『地元産の卵』に登場する書店の姿は、2015年の「銅鑼湾書店」事件とも重なる。中国共産党の批判本を扱っていた書店の店主らが相次ぎ消息を絶ち、中国当局による拘束が判明した事件だ。「こうした書店主は将来、地下に潜らざるを得ないと思っている」と伍監督は警鐘を鳴らす。

『十年』より『冬のセミ』 © Photographed by Andy Wong, provided by Ten Years Studio Limited

伍監督は撮影に際し、香港の養鶏場に取材したという。「香港の人たちは今や、水も食料も中国大陸に依存していて、養鶏業は本当に消滅寸前となっている。農場の人たちは『政府はもはや我々の産業を守ってくれない。むしろ終わりにしたいぐらいではないか』と話していた。10年後はどうなっていることかと思う」と伍監督は語った。

『地元産の卵』では、将来に希望を持てず台湾移住を決める人も出てくるが、これも現実の反映だ。「香港では今、とても多くの若者が台湾への移住を考えている。文化的にも似ているし、北京で使われている『普通語』さえ話せれば、台湾で勉強も続けられる」。2014年の「雨傘運動」後、「香港社会に無力感が広がっている」のも大きいという。「何をしても変わらない、何も起きないという空気。若い人たちが戦うのをあきらめる、それが私の最大の懸念だ」と伍監督は言う。

『十年』より『地元産の卵』 © Photographed by Andy Wong, provided by Ten Years Studio Limited

返還後、中国経済は著しく成長し、かつて金融・貿易の拠点として優位に立っていた香港経済は地盤沈下に見舞われている。ビジネス上の依存が深まり、対中関係を軽視できなくなっている人たちも増えている。このため、映画界にも「自己規制」が広がっているという。伍監督は言う。「香港にはまだ、『十年』のような作品を作る自由がある。でも今や映画産業に携わる人の多くは中国本土とも仕事をしている。その関係に影響が及ばないよう、香港の映画界は自己規制を働かせている。香港映画界がいま落ち込んでいる原因は、そこにある」

実際、今作を手がけた後、さまざまな映画の製作を持ちかけられたものの、「あの『十年』の伍監督か」と出資者が知るや、「手のひらを返したように、『今回はご遠慮願いたい』と言われたことが何度かあった」と伍監督は言う。

22日の日本公開に合わせ来日した伍嘉良監督(左)とエグゼクティブプロデューサー蔡廉明(アンドリュー・チョイ)=藤えりか撮影

伍監督にインタビューした2日後、「雨傘運動」の元リーダー、黄之鋒(ジョシュア・ウォン、20)と、ともに運動にかかわり新党立ち上げにも加わった周庭(アグネス・チョウ、20)とがそろって日本記者クラブで記者会見をした。『十年』が描く未来はどれくらい現実となりそうなのだろう? 私がそう質問すると、周は答えた。「将来の香港がどうなるかは今の香港人次第。中国政府の弾圧は厳しくなると思うけれど、私たちにはまだ、反抗する力がある。自分の未来を自分たちで決められるように、私たちはがんばらないといけない」

香港の中国返還20年を前に、民主化への支援を訴え来日した「雨傘運動」の元リーダー、黄之鋒(ジョシュア・ウォン、右)と周庭(アグネス・チョウ)=日本記者クラブ、藤えりか撮影

そのためには、無用な「忖度」などしている場合ではない、ということだろう。そして、日本も。