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IT時代に教育はどうあるべきなのか?! (1)

ITが創る未来のカタチ 更新日: 公開日:

学校教育は今、完全に曲がり角に来ています。世の中がものすごい勢いで変わっているというのに、教育だけが明治から続いてきたやり方からあまり変わっていないのです。


明治〜昭和と続いてきた教育方法というのは、全員が同じ教室に座り、同じ教科を同じスピードで学ぶというものです。工業化時代に必要な、一定の基準を満たした画一的な人材を効率的に生み出すには、効果的な方法だったのでしょう。


しかし、このやり方はどうやらもう機能しなくなってきているようです。IT時代に必要な人材の育成は、この工業化時代の延長線上的なやり方ではどうやらうまくいかないのです。おそらく、6・3・3制の見直しを含め、抜本的な制度設計が必要な時期に来ているのではないでしょうか。


ショッキングだったシリコンバレーの小学校


ここで少し軸を変えて、私自身が体験したアメリカの教育について話してみたいと思います。私は仕事の都合で16年前に家族を連れてシリコンバレーへと移住しました。子供がまだ小学校2年生と幼稚園年長の時のことです。そこで一番驚いたこと、それはアメリカの小学校における圧倒的なまでの読み書きの量でした。


シリコンバレーの小学校などというと、小学校くらいからプログラミングをやっているような気がしますが、何よりも優先しているのはまず読解力をつけることと、自分の意見を文章に落として表現する能力を養うことなのです。


子供に初めてプレゼンの課題が出たのはまだ小学校2年のときです。毎週のように課題図書が出され、本当に読んだかどうかのチェックを兼ねて、オンラインのクイズが義務付けられていました。そんなわけで、とにかく少なくとも毎週1冊は本を読み終わらせていたのです。

この読書量だけでも驚異的に感じたのですが、さらに輪をかけて驚いたのが作文の量です。こちらも毎週ありました。しかも一回が結構な量なのです。日本の読書感想文のようにフリーフォーマットの散文ではなく、あらかじめフォーマットが決められており、それに沿って随分と色々なものを書かされていました。


「犬と猫ではどっちが好きか比較して論じよ」「将来就きたい職業は何か、またそこに至るにはどのような準備が必要なのか」などなど、毎週テーマは変わっていきます。これが小学校3年生くらいから本格的に始まり、高校を卒業するまで続くのです。また、高校からはディベートなども本格的に加わります。そして大学ではさらに輪をかけてハードルが高い課題が出されます。


30年前のアメリカの大学は?

子供だけでなく、僕自身もアメリカの大学に進学した時に同じような体験をしました。それまで僕が知っていた「勉強」というのは、授業を聴いたり、ノートを取ったり、何かを暗記をしたりと、ひたすらインプット作業を繰り返すことだったのです。例えば、自分の中高時代を振り返っても、こんな感じです。


英語・・・単語、熟語を暗記。和訳/英訳の反復練習。
数学・・・公式を暗記。与えられた演習問題をたくさんこなす。
国語・・・漢字を暗記。教科書を読む。普通の物語を沢山読む。
理科・・・丸暗記。
社会・・・丸暗記。


ところがアメリカの大学に進学していると、何もかもが全く違ったのです。周りの学生はネイティブな上に、子供の頃から読み書きを繰り返してきているわけです。ところが自分だけが未経験で、しかもそれを英語でやるのです。アメリカで教育を受けていれば当たり前の作文の形式を何一つ知らず、本当に四苦八苦しました。


暗記で乗り切れる教科が少なかったのも、しんどかった原因の一つです。アメリカでも暗記教科がないわけではないのですが、それらが日本よりも少ないのは確かです。

アメリカの教育は少しはマシなのか?


ここまで読むと、アメリカ礼賛のように感じる方もいることでしょう。しかし現実に目を向けてみると、日本がズルズルと相対的な地位を下げる中、グーグル、アップル、アマゾン、テスラなどなど、先陣を切ってITの世界を切り拓いてきたのはどれもアメリカの企業なのです。そしてそこで幹部として働く人々は、アメリカで高等教育を受けた人たちばかりなのです。

無論、アメリカの教育制度が完全無欠なわけではありません。優秀な人材を大量に輩出する一方、それ以上に多くの人々を置き去りにしたのもまた、アメリカの教育制度です。ただ、アメリカの方が文句なしに優れているな、と感じる部分もあります。それは「自分で考える訓練」をさせる部分です。


おそらく、均質な学力を持った労働者を効率よく産出する、という意味においては、日本の教育制度の方がよほど優れていたのではないかと思います。しかし、もはやそのような人材はあまり必要とされていないのです。日本は「失われた30年」から脱するため、そしてアメリカはこれ以上の落伍者を出さないためにも、教育制度を抜本的に改革すべき時期に来ているのです。


「PDCAサイクル」

ここで、私が考える効果的な学習方法をお話したいと思います。別に何も新しいことはありません。それは「やりたいこと」を見つけることと、「PDCAサイクル」を実行することです。
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PDCAサイクルはPlan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Adjust(改善)を繰り返して改善を図っていく、ごく一般的な品質改善の手法です。

学習への応用はこんな感じになります。まず学習したい内容がなんであれ、テキトーな学習理論を考えて実行します。例えば語学を習得するのであれば、最初の学習理論は「単語をどんどん覚える」かもしれません 。そして単語を覚えたら、次はそれが使えるかどうかを必ず検証します。


すると、「単語を知ってても並べ方がわからない」「相手の言っていることが聞き取れない」など、様々なフィードバックを得ることができます。そしたら最後に学習理論に修正をかけます。それは「単語を個別に暗記するのではなく、文章で暗記してみよう」とか「ネイティブの発音を録音してもらってそれを聴いてみよう」となるかもしれません。


また、他人からのフィードバックはPDCAサイクルに欠かせません。自分だけしか読まない日記を何年書き続けても、人に伝わる文章を書けるようにはなりませんが、ブログを書いて他人の目に晒すことで、PVやコメントといったカタチで他人からのフィードバックを容易に得ることができます。 演奏や歌、あるいはスポーツなども、ユーチューブなどに公開することで沢山のフィードバックを得ることが可能です。こうした他人からの視点が、自分だけでは気がつけない弱点や独りよがりを是正してくれるのです。


結局、学習というのはこれの繰り返しです。必要なことは、先生に言われたことを我慢強く繰り返すことではありません。自分なりに理論を構築し、それを検証し、改善を重ねていけるスキルなのです。ところが学校でこれをやろうにも、そもそもテストくらいしか検証の機会がありません。だから、どうしてもテスト自体が目的化します。

根っこに必要なのは「やる気」

ここで、さらに根本的な問題を指摘しておきましょう。それは、多くの人がそもそも「やりたいこと」を思いつけないことです。私は保育園を経営していますが、子供というのは「やりたいこと」で溢れています。ところが大学生になる頃には、自分が何をやりたいのか、さっぱりわからなくなってしまうのです。


これも結局、先生や親に「やるべきこと」をずっと与え続けられ、ちょっとでも「やりたいこと」を口にしようものなら、「失敗したらどうする?」「そんなことでは生活できない」と脅され続ける結果ではないかと思うのです。

自分でやりたいことを見つけられなかったり、自分なりにPDCAサイクルを構築できなかったりすることは、今の時代にはあまりにも致命傷になってしまうのです。未来のことなんて誰もわかりはしません。しかしながら、わからないなりにトライできる感覚や度胸、失敗を繰り返しながら学んでいけるセンスこそが最も大切なものなのです。

今後、教育者らがすべきことは、生徒の学びたいという動機を大事にしつつ、彼ら自身が「学び方」そのものを学ぶことを、根気よく手助けすることだと思うのです。 

ではどうすれば、教育はそのように変われるのでしょうか? そもそも「学校」というハコは必要なのでしょうか? 次回は、現在のITシステムの発達なども踏まえ、教育がどのような方向に変わるべきなのか、具体的に言及していきたいと思います。