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No music, No sports, No life.

スポーツ記者 稲垣康介 #04




5月26日付の英大衆紙デイリー・ミラーに、恐ろしい見出しが躍りました。「LOCKDOWN BRITAIN(英国封鎖)」

連休を控えてさらなるテロの警戒、そして病院に対して「輸血に必要な血液と人員の確保を」など、どぎつい見出しが中面につづきました。

爆発が起きたマンチェスター・アリーナの近くでたたずむ女性たち=ロイター

22日に英国中部マンチェスターで、米国の人気歌手、アリアナ・グランデのコンサート終了直後に会場で自爆テロが起き、22人が死亡する悲劇が起きました。日本でこのニュースを目にしたら、英国に休暇で行こうなんて思わないでしょう。今、英国で暮らしている私には「正常性バイアス」が有効に働いているのかもしれません。自然災害、事故、事件などが身の回りで起きたとき、「おそらく自分は大丈夫」などと自分に都合良く解釈してしまう心理学用語です。そうでも思わないと、心配で外出恐怖症に陥ってしまいそうです。機関銃を持った警官を街の繁華街、主要駅で見かけるのが当たり前な光景。そんな街で暮らしています。


英政府は一時、テロへの警戒レベルを5段階で最も高い「クリティカル(危機的)」に引き上げました。「テロがすぐにでも想定される」という危険水域です。これはロンドンでの車爆弾を使ったテロ未遂事件などが相次いだりした2007年以来だったそうです。


そんななか、サッカーの欧州リーグ決勝が24日、スウェーデンのストックホルムで行われました。自爆テロ事件からわずか2日後です。悲しみに沈むマンチェスターの象徴の一つといえる名門サッカークラブ、マンチェスター・ユナイテッドがアヤックス(オランダ)と対戦しました。サッカーに気持ちを集中するなんて、ほぼ不可能な中で大一番を迎えたのです。


試合開始直前、センターサークルに選手が整列し、テロ犠牲者へ哀悼の意を表して黙禱しました。マンチェスターUの選手は喪章を巻いて臨みました。観客席には「テロリズムに対し、団結する(UNITED)」との横断幕が掲げられました。


マンチェスターUには悲劇を乗り越えてきた伝統が息づいています。

1958年2月、遠征中だったチームを乗せた飛行機が滑走路の凍結していた西独(当時)・ミュンヘンの空港で離陸に失敗。選手8人を含む23人が命を落としました。その「ミュンヘンの悲劇」から10年後、生き残った監督のマット・バスビー、さらに主力のボビー・チャールトンらの活躍により、欧州クラブ王者に輝きました。本拠オールド・トラフォードの博物館を訪ねると、事故を伝える地元紙の記事や、番記者を含む犠牲者の写真、そしてその後の栄光への軌跡が展示してあります。

ヨーロッパリーグを制し、優勝を喜ぶマンチェスター・ユナイテッドの選手たち=ロイター

24日の試合は前半18分に先制したマンチェスターUが後半にも1点を追加し、若手主体のアヤックスを破って初優勝を果たしました。国内のプレミアリーグでは6位に終わり、獲得できずにいた来季の欧州チャンピオンズリーグの出場権も手にしました。


先制点を決めたフランス代表のポール・ポグバは、誇らしげに言いました。「今回のテロが世界を大きな悲しみに包んだことは僕らもよく理解している。僕らはマンチェスターのために勝利した。そこに暮らす人々のため、そして国のために戦った。今回命を落とした人々を思いながら戦ったんだ」


名将ジョゼ・モウリーニョ監督は、こんなコメントをしました。「今夜の勝利がマンチェスターの街にいくばくかの喜びをもたらすのか、私にはわからない。でも、私は、そして誰もがそう思うだろうが、このトロフィーを、テロで亡くなった人たちの命とを引き換えにできるなら、もちろんそうする」


この夜の舞台となったストックホルムもテロの影が色濃く残っていました。今年4月、首都の中心部でトラックが暴走し、4人が死亡、15人が重軽傷を負うテロに見舞われたばかりだったのです。


また、この夜の決勝の舞台となったフレンズ・アリーナは、マンチェスターでのテロで多数のファンの命が失われることになったアリアナ・グランデが5月8日に欧州ツアーの幕開けで歌声を響かせたスタジアムでもありました。


音楽とスポーツには共通項があります。楽曲、アーティスト、競技、クラブ、選手。そうした対象に魅力を感じ、人生に潤いを与えてもらったり、勇気をもらったり、慰めてもらったりします。共に喜びを分かち合ったり、スポーツで負けたような場合は悲嘆に暮れたり。


コンサートや試合会場では、何万人もの同志が一堂に集い、そうした思いを共有できる。そこに素晴らしさがあります。


だから、15年11月、パリで起きた同時多発テロ以降、サッカースタジアムやコンサート会場が爆弾テロの標的となり、襲撃される傾向が強まっていることに憤りを覚えます。

実際、今回のマンチェスターのテロが起きた余波で、サッカーのプレミアリーグで優勝したチェルシーの優勝パレードは中止になりました。5月27日のアーセナルvsチェルシーのFAカップ決勝も、アーセナルの本拠スタジアムでのパブリックビューイングも、優勝パレードも中止になりました。サポーターが喜びを分かち合う儀式が、警備上の理由でなくなってしまったのです。

でも、音楽もスポーツも、邪悪な勢力のテロに屈するわけではありません。

マンチェスターの聖アン広場での追悼集会=渡辺志帆撮影

マンチェスターのテロの追悼集会で、心温まるシーンが話題を呼びました。

黙禱が終わるころ、一人の女性が、ある曲を口ずさみ、その歌声はその場にいる群衆による合唱に広がりを見せました。マンチェスター出身の伝説的ロックバンド、オアシスの代表曲「ドント・ルック・バック・イン・アンガー(Don’t Look Back in Anger)」です。


タイトルの意味は、直訳すれば「怒りで後ろを振り向くな」。

歌い出したのは地元ラジオ局のDJを父に持つ32歳の女性でした。彼女は英ガーディアン紙の取材に、こう答えています。


 「私はマンチェスターを愛しているし、オアシスは幼い頃から、いつも聴いていました。怒りで後ろを振り向くな、それが言いたいことです。過去に起きたことを振り返るのではなく、前向きに、未来を見据えないといけないのです。私たちはここに一堂に集い、歩んでいきます。それがマンチェスターだからです」

聖アン広場での追悼集会には、マンチェスター・ユナイテッドのロゴ入りのUNITED(団結)と書かれた旗も見られた=渡辺志帆撮影

マンチェスターUのモウリーニョ監督が語ったように、サッカーのタイトルがテロ犠牲者の遺族の悲しみを消せるわけではないですし、音楽もそうでしょう。ただ、マンチェスターUの勝利や、オアシスの曲が多くの人々の心を癒やす手助け、絆を深めるきっかけにはなるのではないか。


No music, No sports, No life.


そう、信じています。



いながき・こうすけ


朝日新聞欧州総局(ロンドン)駐在のスポーツ担当編集委員。欧州で暮らすのは2001年から4年間のロンドン、アテネ駐在以来。著書に『ダウン・ザ・ライン 錦織圭』(朝日新聞出版)。世界のあらゆる情報が瞬時にインターネットで入手できる時代だからこそ、取材現場の臨場感が伝わるコラムをお届けできたらと思っています。


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