1990年代前半は、冷戦後の国防費削減で主力の軍需産業が衰え、カリフォルニア州では失業者があふれていた時代です。メキシコ移民も急増する中、民主党のクリントン政権1期目の94年、移民対策を訴えた共和党の現職州知事が再選を勝ち取り、彼が掲げた移民への公共サービス制限を掲げる法案が住民投票で可決され、民主党は中間選挙で大敗しました。北米自由貿易協定(NAFTA)が発効したのも、この年です。
移民の政治問題化を恐れたクリントン政権は、都市部で国境警備を強化しました。砂漠で死ぬ移民が激増したものの、政治ショーとしては成功で、国境の警備強化は党派を超えた支持を得てきました。それを初めて、主要争点として大統領選に持ち出したのがトランプでした。
国境そばに住む人は、壁が交易や家族の再会を妨げ、米国とメキシコを敵対させてしまうことを知っています。でも、ペンシルベニア州やウィスコンシン州などの遠くの人は、移民とつきあいも少なく、あらゆる不満のはけ口にしがちです。反移民感情が最も強いのは、移民が最も少ない地域なのです。そしてそれは、大統領選の帰趨を占う接戦州でもありました。
選挙戦では、実際に投票所まで足を運んでくれるよう人々を熱狂させることが極めて重要です。しらけていれば、投票には行きません。トランプは壁建設を訴えることで、少数でも声が大きく、必ず投票に出向くコアな支持者を動員して勝利をつかんだのです。
壁は目に見えて、テレビに映えます。「政府があなたのために何かをしている」と伝えるシンボルです。再選には必ずしも、多数派の支持が必要というわけではありません。壁をつくって支持者を熱狂させ続ける。それがトランプの狙いでしょう。
メキシコとカリフォルニアは1980年代から90年代、ともにグローバル化の負の影響を強く受けました。
メキシコは経済低迷に加え、94年に発効したNAFTAで農業や産業が大打撃を受け、多くの人たちが移民となって米国に向かいました。
一方、カリフォルニアでは工場がアジアなどへ流出し、手厚い福利厚生と高賃金の仕事が失われて、大きな政治問題となりました。メキシコ移民は高賃金の工場勤務とは無縁ですが、「メキシコ移民が仕事を奪った」との非難がわき上がり、人々は「国境を閉じろ」と叫びました。「いけにえ」にされたのです。
トランプが大統領選で使ったのは、この手口です。グローバル化で失業した労働者を同じようにたきつけ、人々は「国境を閉じろ」「壁を建てろ」と叫びました。メキシコ人を「犯罪者」「強姦魔」と呼ぶ、さらにひどいやり方でした。
壁は、家族とコミュニティーを引き裂き、戦争状態にあるわけではない二つの国を分断します。調和のもとで平和共存する人類の英知に真っ向から矛盾するものです。
壁建設で一部の人や企業はもうかりましたが、砂漠に向かった大勢の移民が命を落としました。国境を管理するなとは言いませんが、もっと人間的な管理の仕方があると私は考えています。
米南西部は元々メキシコ領で、米墨戦争(1846~48年)の結果、米国に割譲されました。メキシコ系米国人の視点で見ると、自分たちが「国境を越えた」のではなく、自分たちを「国境が越えてきた」。それが両国国境の始まりです。
米国は当初、メキシコ移民を労働力として受け入れていたので、国境は穴だらけで行き来も自由でした。1990年代前半から壁ができ、国境の管理強化とセンサーなど軍事技術の導入が進みました。出稼ぎが難しくなり、移民はより危険な場所に回り道するようになり、数千人もの犠牲者が出るようになりました。
今は米国に密入国するメキシコ人が激減し、中米から暴力を逃れてくる人が急増しています。メキシコ政府は中米からの密入国を阻止するため、米政府の支援を受けています。「米国の国境がメキシコまでせり出してきた」とも言われています。
そんな状況で、トランプは壁を建てて費用をメキシコに払わせると言い、メキシコ人を「強姦魔」呼ばわりしました。それなのに、メキシコ政府は金は払わないと言うだけで、暴言を断固非難する態度はとっていません。経済界が米国との貿易を守りたいからでしょう。壁と貿易は同じテーブルの上にあるのです。
メキシコ移民はこれまで、米国人がやらないようなきつくて低賃金の仕事を担ってきました。いま、メキシコではこんな冗談が言われています。「壁建設はとても困難で危険だから、密入国したメキシコ移民を雇わなくてはつくれないはずだ」と。
壁は一方的につくられる建造物で、歴史上、常に防衛機能を持ってきました。
第2次世界大戦以前は、主に人々が暮らす町や城を防御するためでした。大戦後は、ベルリンの壁のように国を閉ざして資本主義と社会主義を隔てたり、朝鮮半島など停戦、休戦ライン上に建てられたりしました。一方から他方へのコミュニケーションを完全に遮断する目的です。
9・11米同時多発テロ以降は、テロや貧困、移民といったグローバルな脅威に対処する役割が加わりました。米国とメキシコ、インドとバングラデシュ、パレスチナの分離壁などがその例です。
その結果、国境を越えて簡単に連絡が取れたり、移動したりできるグローバル化した世界にありながら、壁がつくられていくという逆説的な状況が生まれています。一つの国の中で民族が多様化することで、国や暮らしが変わってしまうという不安が生まれました。国境を開いていくと自分たちの独自性が失われてしまうと考える人たちは、目に見える堅牢な建設物である「壁」で国境に再び印をつけて、自分たちの伝統に回帰したいと考えました。
政治家は移民などの問題の複雑さを説明したがりません。国民が理解できないと思っているからです。そして、最も簡単な答えが壁を建てることです。安全になった感覚をもたらし、政府が問題に取り組んでいる印象も持たせられます。
ただ、成功した壁は一つもありません。移民は回り道したり、はしごを使って越えたりするわけです。多少は人数を減らせても、巨額の建設費や管理費には見合いません。
しわ寄せを受けるのは、移民と壁の近くで暮らす人々です。行き来が難しくなり、家族を分断し、あらゆる問題を生み出します。
壁で問題は解決しないので、人々の怒りがますます増幅する悪循環が生まれます。感情的に怒れば怒るほど、真の問題解決は遠のいていくのです。