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壁がつくる世界

脱北者の漫画家が描く南北ギャップ(1)

イタい。でも、笑いが共感になれば



北朝鮮からの脱北の様子を、「ライブ」で見聞きしたのは初めてだった。


ソウル市の中心部から離れた場所で、チェ・ソングク(37)と会った。挨拶を交わすなり、彼は「緊急の用事ができてしまった」とことわりを入れながら、携帯電話で日本製のアプリ「LINE」を使って、誰かとメッセージのやりとりを始めた。


チェ・ソングクは北朝鮮にいるころからコンピューターを使って漫画やアニメを描いていた。


聞けば、相手は数日前に北朝鮮を抜け出し、ラオスに向けて中国の国内を移動している脱北者だという。「私が個人的に支援している一人です。中国とラオスの国境まで、まだ800キロも行かなければいけない。気は抜けません」


この脱北者は、一緒に国境に向けて移動している中国人ブローカーの携帯電話を借りてメッセージを送っていた。真偽のほどは定かではないが、LINEを使うのは、中国製アプリよりも中国当局に補足されるリスクが低いからだと、チェは説明してくれた。


チェも7年前、同じルートで脱北した。「当時、ブローカーに払ったのは400万ウォン(約40万円)でした。危険もほとんど感じなかった。でも今は中国当局の取り締まりが厳しくて脱北が難しくなり、ブローカーへの支払いも1500万ウォン前後に高騰しています」


朝鮮半島には、1953年の朝鮮戦争の休戦協定で引かれた軍事境界線が東西248キロにわたって横たわる。その南北それぞれ2キロに設けられたのが非武装地帯(DMZ)だ。武装した兵士たちが境界を監視し、地雷が埋められているこの「壁」を、チェたち脱北者は迂回するしかない。


チェは平壌で生まれた。「小学校のころ、韓国軍を後ろからせっついて北朝鮮へ侵攻させようとする米軍の絵を描いたら、校長先生にほめられ、『この子にはずっと絵を描かせろ』ということになった」


彼は長じて映画やアニメーションを製作する部門で仕事をするようになった。欧州の企業などから仕事を請け負って外貨を稼ぐ部門だったため、白米や肉の配給も豊富にあるなど「夢の職場」といわれていたと、チェは振り返る。


チェが小学校のころに描いた絵を、脱北した後に再現したもの。


平壌に出張に来た外国人が持っている現金やたばこ、会話に接しているうちに、「自分自身で稼ぎたい」という気持ちを強くし、インターネットカフェや韓国映画の販売をしてお金をもうけるようになった。「成功」した。しかし当局の取り締まりを受け、平壌を追放された。その後、家族をまず脱北させ、自分も脱北したという。


チェは、韓国社会は自分を温かく抱きしめてくれると思っていた。しかし、待っていたのは「無関心」だった。


「北朝鮮についての情報が、軍事的な緊張や貧しさに偏っているうえ、分断から60年以上もの時間がたち、同じ言葉を使っているはずなのに使い方が異なってしまっている。言葉使いだけならまだしも、そもそも考え方にも違いが大きい。南北の間に広がる『異質感』にさいなまれました」


自分の絵の力で韓国社会にメッセージを送りたいと考えていたところ、同じ考えを持つ出版社の代表パク・チャンジェと出会い、インターネットで南北の違いを描く漫画の連載を始めた。タイトルは北朝鮮の公式メディア「労働新聞」をもじってつけた。


チェ本人の体験そのままというエピソードが、笑いを誘うとともに、とても「イタい」。


主人公は、仕事で出会った女性から電話番号を尋ねられる。その際、女性は「これも縁だから」「友達になりたい」などと言う。なんのことはない。女性は脱北者が珍しかっただけなのだが、北朝鮮では、縁という言葉は恋人のような親しい関係でないと使わないような言葉。つまり、「大好きなあなた」というわけだ。


チェの漫画の主人公が、韓国の女性に声をかけられる場面。


主人公、つまりチェは、完全に舞い上がった。SNSでやりとりをしている間も、女性の話をことごとく「自分を好きなのだ」と誤解。さらに、これもチェが言う北朝鮮式なのだが、男の方からはっきりと好意を示さなければいけないと意を決し、なんとSNSで結婚を申し込んだ。その後、女性からの連絡は途絶えた――。


異質感は恋愛話にとどまらない。チェは「韓国社会に適応するための最も大きな壁は、会社勤めだ」と語る。チェが韓国の会社に勤めはじめたころ、上司から「韓国式」に仕事を頼まれたが、遠回しの言い方だったので、チェは単なる雑談と受け流した。


「北朝鮮式」だと命令されないと動かない。それに命令がないのに動けば、逆に自分の身を危険にさらすこともある。結局、チェは仕事にとりかからなかったが、後から陰で悪口を言われていたのを知った。


「こんな小さなギャップや誤解から、脱北者は怠け者だと後ろ指をさされ、仲間はずれになることが多い。半年ほどで会社を辞める脱北者が多いのもそのためです。1年勤めることができれば、ようやく韓国に慣れてきたといえます」


2016年春に始まったチェのインターネット漫画は、これまで300万人以上が見た。本になり、書店にも並んでいる。


「南北の間で異質感も感じますが、全く同じだなと感じることも多い。DMZという壁で隔てられてはいるけれど、双方の文化を共感できるものとして漫画で描き続けたい。これは統一した後の、相互理解のための準備でもあると思っています」


(GLOBE副編集長 神谷毅)

(敬称略)



「南北合作」の漫画をつくった出版社代表のインタビューはこちらへ。

漫画をみるにはこちらへ。


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