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感染症との新たな戦い

「村が消滅すると思った」

エボラ出血熱編4 グラウンド・ゼロの村から

2014年に西アフリカで広がったエボラ出血熱は、なぜ1万人超の死者が出る大惨事となったのか。「ペイシェント・ゼロ」(患者第1号)が出たギニア南部メリアンドゥ村から今年5月、ウイルスが拡散した道のりをたどった。(村山祐介、敬称略)



グラウンド・ゼロの村から



ギニア南部の町ゲケドゥまでは、成田空港から飛行機と車を乗り継いで3日余り。ギニアはフランス語圏だが、南部の村落では地元キシ語しか話さない人も多い。英語とフランス語の通訳バリー・アブドウライエ(28)と、フランス語とキシ語の通訳として地元弁護士(35)に同行をお願いした。午前7時、バイクタクシーの後部座席にまたがって町を出た。上り下りの激しい山道をたどり、いくつかの村落を抜けて約30分走ると、緩やかな丘に土壁の平屋が密集するメリアンドゥ村に着いた。

ゲケドゥのバイクタクシー。左端が通訳のバリー(写真はいずれも村山祐介撮影)

カラフルな布を身にまとった女性たちが路上で鍋を火にかけ、朝食の準備をしていた。「アロケネ」(キシ語で「こんにちは」の意)と会釈しながら路地を入っていくと、村人たちが人懐こい笑顔で次々と握手を求めてきた。中心の広場には、なぜか数十人が集まっていた。全員と握手が終わると、背筋がすっと伸びたポロシャツ姿の中年男性が口を開いた。

バリーが英語でこっそりと言う。「村長が来訪の目的を尋ねています。感染症の話は機微に触れるかもしれないので、まずは村の暮らしについて聞きましょう」。村長にひざ詰めで取材の了解を得るつもりだったのだが、通訳2人を介して、大勢の村人を前にスピーチする想定外の展開になった。


メリアンドゥの村人たち。中央の白いシャツの男性が村長

「村山祐介と申します」。名乗っただけの自己紹介が英語からフランス語、そしてキシ語に訳されたところで、なぜか拍手が沸いた。新聞記者であることを説明して、持参したGLOBE紙面を手渡すと、表紙の洋上風力発電の写真に首をひねる人も。歓待の拍手が上がったかと思えば、記者証を見せるよう求められたりと、こちらを値踏みするようなやり取りが続いた。

30分ほどの「団体交渉」の後、インタビューに応じてもらえることになった。

今朝、何を話し合っていたのか尋ねると、「借金問題です」と村長のケクラ・レノ(39)。招かざる外国人客への警戒には、そんな事情もあったようだ。


村の主な作物は、主食の米やコーヒー豆、ココア、じゃがいもなど。そもそも耕作面積が少なく十分な現金収入が得られないうえ、たたきつけるような激しい雨が降る雨期の8月から12月は、農作業がほとんどできない。その間、村は業者から食料をつけ払いで買ったり、借り入れをしたりしてしのいできたが、今回は約束の期限までに返済する見込みが立たないのだという。


そんな貧しい村をエボラが襲ったのは2013年12月だった。

男児エミール・オゥアモゥノ(当時1歳半)が高熱を出して2日後に息を引き取り、祖父キシ・デンバドゥノ宅で同居していた計6人が次々と死んだ。地元医師や助産師、葬儀の参列者なども嘔吐や下痢を繰り返して死亡した。


エミールも住んでいたキシ・デンバドゥノ(左)宅

もともとマラリアが蔓延しており、医療施設のあるゲケドゥまでたどり着けずに亡くなる人もいた。村人は「最初は水の問題かと思っていた」と振り返る。だが、村を訪れたNGO「国境なき医師団」が、感染症のアウトブレイクだと説明。遺体に触れるのを避けたり、塩素を使って手を洗うように指導を受けたりした。

西アフリカでのエボラ発生は初めて。周辺地域ではエボラを信じない住民が多かったが、この村は違った。「あまりに多くの人が死んだから、受け入れるしかなかった」


14年に入って感染が拡大し、連日3人がなくなる時期もあった。農家の男性(30)は怖くなって村から逃げ出した。周辺から人が寄り付かなくなり、メリアンドゥの村人と知られると周りの人が逃げ出すようになった。村長は「村が消滅すると思った」と語る。結局、村人約500人のうち72人が感染し、22人が死亡した。


村はいまは落ち着きを取り戻している。だが、いまも医療施設はなく、医師の回診は月2、3回。井戸は遠く、食料を買うお金もない。そんな近況を語る村人たちの訴えはどんどん熱を帯びた。政府や国際社会の援助はないのか尋ねると、一人が言った。「政府の役人が介在すると援助の9割がどこかに消えてしまう。いまは小学校が3クラスしかないが、あと3クラスできれば学年ごとに編成できる。開発に力を貸してくれるよう、あなたが日本大使館に直接、掛け合ってくれないか」


数十人の真剣なまなざしが私に向けられた。言葉に詰まった。むげに断れば、村人たちは失望し、取材はここで終わりかねない。だが、調子いいことを言ってこの場をごまかしても、結局、不信を残すだけだ。覚悟を決めて答えた。

「私は記者なので、記事を書くことしかできません。大使館と交渉したり、働きかけたりする立場ではないんです」


裏切られたと思われるかもしれない。2人の通訳の説明を見守った。


不意に、拍手が沸いた。張りつめた空気が和んだ。

どうして? 正直に話したから? 理由は分からなかったが、とにかく友好的な雰囲気でインタビューは終わった。後ろにいた中年男性から英語で声をかけられて、しばらく会話を交わした。ということは、「団体交渉」中の私とバリーの英語での下打ち合わせも「筒抜け」だったのだろう。冷や汗が出た。


メリアンドゥ村の「チンパンジーも登れない木」

その後、エミールが住んでいた家や、エミールがウイルスに感染した可能性が指摘された村一番の大木「チンパンジーも登れない木」の取材を終えて、バイクタクシーでゲケドゥに戻った。遅い朝食をとりながらバリーに聞いてみた。

「大使館への働きかけはできないという話、ちゃんと通訳したの?」

「全部、完璧に通訳しましたよ」とバリー。

「じゃあ、どうして拍手が沸いたんだろう」。首をかしげる私に、彼は言った。

「通訳した後で、僕自身の話もしたんです。僕は国連の通訳をする機会も多いから、村の窮状を伝えます、と」

小さいころに引っ越して記憶はないものの、ゲケドゥ生まれのバリー。故郷のためにひと肌脱ぎたくなったのだという。

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