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北朝鮮サバイバル

[Part4]「矛盾と限界を抱えたまま」 神谷毅

通りを歩いて渡る家族連れ。平壌。photo:AFP=時事/Ed Jones

私が北朝鮮の体制の怖さを感じたのは、初任地の鹿児島で、拉致されたとみられる男性の兄、市川健一(72)に話を聞いた時のことだ。国家の暴力によって突然、人生を狂わされた家族。すでに拉致から20年が過ぎた時だった。


昨秋、あの時の取材から20年ぶりに鹿児島を訪れた。


健一は、建て直した家に、拉致された弟、修一の部屋もつくっていた。「必ず帰ると信じている」と大きな目を潤ませる健一。部屋を見せてほしいと頼むと、「いかん、いかん。いまは味噌造りの瓶でめちゃくちゃだから」と、先ほどまでの深刻な表情は消え、思いっきり笑った。


40年間消えない悲しみと、続く人生。「憎いのは北朝鮮の体制であって、普通の人々ではない」という健一の言葉に、あの国の人々の時の流れを思った。


北朝鮮の人々は朝鮮時代、大韓帝国、日本の支配をへて今の体制に至るまで民主主義を味わったことがない。「人々は、西側の民主主義がいかなるものであるかに考えも及ばないだろう」。慶応大学准教授の礒﨑敦仁は語る。


独裁のもとで生きる人々と体制の関係を考えようと、私はルーマニアを訪れた。冷戦崩壊までチャウシェスクが独裁体制を敷いた国だ。


チャウシェスクは1971年に訪朝し、当時は首相で後に国家主席となる金日成と会談した。帰国後、肖像画を飾ったり著作集を出したりするなど、北朝鮮を模して独裁を強化。89年の革命で処刑されるが、その前には息子に権力を継がせる動きもあった。


訪朝時にチャウシェスクの専属パイロットだったアウグスティン・ロディナ(85)に会った。


彼は独裁者を50回以上乗せた。当時、友人から「チャウシェスクに『何か』をしたらどうか?」と冗談交じりに言われたことを覚えている。操る飛行機ともども墜落させれば国を救えるではないか、という意だった。


責めるようで気が引けたが、私は、あえてロディナに聞いた。


なぜ、何もしなかったのですか?


「命をかけて『何か』なんてできるわけがない。守るべき家族、妻と2人の子がいたのですから」


独裁の下でも、人々は自分と家族の暮らしを守るため、生きる。しかし、その命の強みを、逆に弱みとしてつけ込み、徹底的に利用するのが独裁の本質ではないだろうか。北朝鮮では、家族まで罪に問う「連座」が徹底されている。


北朝鮮の人々と体制の関係を考える時、そこに私は矛盾と限界をみる。


矛盾とは、人々が生き延びるために努力すればするほど、国の経済には耐える力がつき、結果的に体制が生き永らえていること。限界とは、今のままの仕組みでは、これ以上の暮らしの向上は望みにくい点だ。体制が「金一族の支配を守る」という論理を持ち続ける限り、情報の流入を警戒せざるをえず、改革開放に舵を切るのは難しい。


核やミサイル問題の先には、この矛盾と限界を解かねばならぬ日が、いずれやってくる。


神谷毅 前GLOBE副編集長

かみや・たけし 1972年生まれ。経済部、ソウル特派員などを経て国際報道部次長。歴史を垣間見たいという高校生の娘は、板門店観光で体がこわばった。歴史とは教科書でなくリアルだと感じたようだ。


取材にあたった記者

牧野愛博(まきの・よしひろ) 1965年生まれ。政治部、販売局などを経てソウル支局長。平昌冬季五輪は、現場に行くどころか、テレビも見ないうちに終わってしまった。

平賀拓哉(ひらが・たくや) 1977年生まれ。大阪本社社会部などを経て瀋陽支局長。北朝鮮系レストランのあっさりしたキムチや冷麺はおいしいと思うが、素直に言いにくい世の中だ。


企画・取材協力

礒﨑敦仁(慶応大学)

石丸次郎(アジアプレス)

鈴木一人(北海道大学)

福島俊一(財務省)

三村光弘(環日本海経済研究所)


(終わり)








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