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FRBと日本銀行

[Part2]FRBの成り立ち

FRB photo : Yuko Lanham

大西洋に面した米南部ジョージア州の保養地ジキル島に、緑に囲まれた古い洋館がある。


1907年に起きた金融危機から間もない1910年、6人の政治家や銀行家がここに集まり、連邦準備制度の構想を話し合った。この会議はその後20年以上秘密にされる。「ウォール街の資本家の集まり」との世論の批判を恐れたためだ。このエピソードは、米国で本格的な中央銀行が作られるまで長い時間がかかった歴史を物語る。


米国では建国以来、インフレから資産を守りたい北東部の資本家が中央銀行を求める一方、西部や南部の農村部では、都市に富を集中させる存在として反発が強かった。


ジキル島の秘密会合の後に中央銀行制度の議論が本格化し、1913年に連邦準備法が成立、FRB設立が決まった。政治的な対立への配慮から、ワシントンの連邦準備制度理事会と全米12の地区連邦準備銀行をつくり、分権化させた。


だが、FRBはその後の世界恐慌を防げず、議会は1935年に銀行法を成立させ、FRBの連邦政府からの独立性を高めた。それまで議長だった財務長官を外すなどし、現行制度に改められた。


(「路線転換、反リフレ派消える」に続く)



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