赤ちゃんは?サルは?探るメカニズム
ヒトは笑う。まだ視力の発達していない生まれたばかりの赤ちゃんが見せる「新生児微笑」は、笑いが人間の遺伝子に組み込まれた本能的な営みであることを示しているという。
笑う動物は人間だけなのだろうか。
京都大学霊長類研究所教授の正高信男(まさたか・のぶお)によると、サルは笑わない。喜怒哀楽の「喜」と「楽」の感情、おかしみの感情がないという。加えて「硬いものをかむために側頭筋が非常に発達した結果、繊細な表情筋がつく余地がなく、笑い顔をつくることができない」のだ。
では、なぜヒトは笑うのか。正高は、サルの二つの表情に注目する。
一つは「grimace」という引きつり顔。優位なサルに対し、敵意がないことを示す劣位の表情だ。もう一つは、「play face」。音声を伴い、主に子どものサルがじゃれあうときに見られる。攻撃の意思がないことを示す。
正高によれば、いずれも緊張関係を解消するための手段だ。「人間の愛想笑いのようなもので、前者は微笑(smile)、後者は哄笑(laugh)の原型と考えられます。人間は見知らぬ人と出会い、緊張する場面を経験することが多いので、おのずと笑いが発達したのではないでしょうか」
京都大学名誉教授(実験心理学)の苧阪直行(おさか・なおゆき)によると、笑うと脳の内側前頭前野が活性化する。この部分は相手の心を理解する領域だ。ほとんどの笑いは相手があってはじめて生まれるものでもある。苧阪は「笑いは他者との共感を生み出す社会的スキル」だとし、人間が笑う理由について、こんな仮説を述べた。
「社会の中で生きる人間はそもそも他者と共感したいという心理がある。気持ちが通い合うと愉快になり、笑うと心の結びつきはより強くなって、利他的な協力が可能になる。協調は社会を進歩させる。笑いは、豊かな社会を育む生存の方略だといえる」
脳が喜ぶから笑う
こうした「社交の笑い」は、他者の心の理解が必要になるため、自己と他者の区別ができるようになる5~6歳にならないと見られない。うそをつくことを覚える時期でもある。
いっぽう、前出の正高によると、多音節の発声を伴う笑い(laugh)はノドの形態が整ってくる生後4カ月くらいで出現する。これが「アババ」といった赤ちゃん特有の喃語(なんご)を発声するための準備になる。つまり、笑いは発語にも重要な役割を果たすのだ。正高によると、笑わない子は言葉を話すのが遅れるという。
脳が喜ぶから笑うのだ、との説もある。苧阪は、笑いが中脳辺縁系を活性化し、神経伝達物質のドーパミンが報酬系としてはたらくという説を踏まえ、「食べ物や金銭を得て報いられるように、笑いも報酬になる」とも考える。この場合の笑いは、愛想笑いではなく、ユーモアによる快の笑い、ゲラゲラ笑いだ。
ユーモアが笑いを誘うメカニズムについては「不一致解消理論」と呼ばれる説がよく知られている。ジョークのオチの意外性(予測との不一致、ズレ)に戸惑い、オチのロジックを理解することで、その戸惑い(緊張)を解消する。そこで笑いが生まれるというわけだ。
「笑い」は、人間を人間たらしめている高度なコミュニケーションスキルなのだ。
(中村裕)
撮り時 逃さぬハイテク技術
オムロンが昨年発売した「見守りカメラセンサ」。赤ちゃんを見守りつつ、笑顔を感知して自動的にシャッターを切る。長年培ってきた、「笑顔度」を数値化する技術を活用している。
米国の著名な心理学者、ポール・エクマンの研究がもとになった。エクマンは、顔の目や口の形の組み合わせから表情を類型化し、それぞれどんな感情に結びつくかを導いた。その理論に基づいて、オムロンの社員が数万人分の顔写真を「笑い顔」や「怒り顔」、「悲しい顔」などにより分け、瞬時に照会できる検索エンジンを開発した。これで、撮影対象の表情に「笑顔度」「怒り度」「悲しみ度」が何%ずつ入り込んでいるかを数値表示できるという。この技術は外部のカメラメーカーにも提供している。将来的には、笑いを測ることで心身の状態を客観的に判断するなど、医療や介護分野での利用を視野に入れるという。
「笑顔計測」の技術は世界で開発競争が進み、興味深い使い方も出てきている。スペイン・バルセロナにある劇場では、客席の前に笑顔計測できるカメラ付きタブレット端末を設置。笑った分だけ課金する「笑いの従量課金」を導入し、公平な仕組みとして観客の評判を呼んでいるという。
(和気真也)
医療の場にも広がる研究
医療現場でも「笑い」はさまざまな形で活用されている。
国立病院機構函館病院の元院長で内科医の伊藤一輔(69)は若い頃、結婚式のスピーチ中に心筋梗塞で倒れた新郎の父親を診たことがある。これを機に情動と心臓の関係に興味を抱き、前向きな情動の笑いに注目。患者には日に5回笑うことを勧める「笑方箋」を渡し、「笑状日誌」にいつ、どう笑ったかを記録してもらった。日々笑うことで患者の気持ちをほぐす作用を期待し、会話の糸口に役立てた。「笑うだけでは病気は治らないが、気持ちを前に向かせる効果がある」
愛知県蒲郡市の税理士、吉見典生(71)はがんの闘病に、自らの意思で笑いを活用した。30代の時、笑いと治癒について書かれたノーマン・カズンズの著書を読み、59歳で膀胱がんと診断されると、様々な治療と並行して日に30分笑うことを自らに課した。入院中は病院近くの川沿いを笑いながら散歩し、激痛に襲われると無理やり声をあげて笑った。痛みが和らぐと眠り、目が覚めては笑う。これを2年続けた。笑いが直接の理由かどうかはわからないが、今では健康を取り戻し、キリマンジャロ登山をこなすほど元気になった。「俺は死なない、大丈夫だという気持ちを笑いが支えてくれた」と吉見は言う。
笑いと健康に関する研究も増えている。福島県立医科大教授の大平哲也(50)は、大阪・秋田の4780人を日々の笑いの頻度から4グループに分け、糖尿病の罹患率を調べた。2014年の報告書によると、毎日声を出して笑う人を1とすると週に1~5日笑う人は1.26、ほとんど笑わない人は1.51という結果になった。また、生活習慣病系糖尿病で通院中の42人を、呼吸法と笑いを組み合わせた健康教室に参加する集団としない集団に分け、12週間後の血液状態を調べた。前者は血糖状態が改善し、後者は変わらなかったという。
心理学者の広瀬弘忠(73)は言う。「笑うことで私たちは過酷な状況から解放され、前向きな期待を持つことができる。笑いの『プラシーボ(偽薬)効果』は人類が生きるために身につけた知恵です」
(宋潤敏)
「ワーハッハ」で神様と対話
「天下の奇祭」と名高い山口県防府市の「笑い講」を見た。一年の憂さを笑いで吹き飛ばし、新年の幸せを祈る神事だ。地元の人によると、鎌倉時代に始まったという。
毎年12月、21戸の氏子が「頭屋(とうや)」の家に集まり、酒を酌み交わす。飲み始めてから約2時間、酔いが回ってきたころ、宮司が講の開始を告げた。太鼓の音に合わせ、榊を持った男性が2人1組で「ワーハッハ」と大声で3回笑う。声が小さいと「やり直し」。終わると榊を次の人へ。最後は全員で笑って終了だ。講代表の内田弘(83)は「笑いが神と私たち人間をつないでくれる」と話す。
神々と笑いの因縁は深い。『笑いの日本文化』(樋口和憲、東海教育研究所)によれば、かつて人々は目に見えないものを恐れ、その象徴が「神」だった。神と敵対しないよう、神を笑わせ、ご機嫌をとった。笑い講のように、神に笑いを奉納する神事は各地に残る。
一方、欧州では神の名において笑いが抑圧された時代があった。『キリスト教と笑い』(宮田光雄、岩波新書)によれば、多くの書物に「イエスはけっして笑わなかった」とあり、「笑いは、少なくとも愚かさのしるし、信仰の弱さのしるし」とされた。ただ、山形大学教授の元木幸一(西洋美術史)は、「笑いが抑制されたのは修道院の中だけの話だろう」と言う。「庶民が通う街の教会は人間のまねをしたサルが彫刻にあしらわれるなどユーモアにあふれている。説教にも笑いがちりばめられていたはずだ」。
(宋潤敏)
(文中敬称略)