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「日本で働きたい」はもはや当たり前ではない 大きく変わった外国人労働者の世界

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[ベトナム]技能実習生として日本で働くためハノイで日本語を勉強する若者 Photo : Asakura Takuya

人材求めてヒマラヤ山麓へ ――ブータン

[ブータン]日本で介護の仕事につく予定の若者 Photo : Asakura Takuya

経済的な豊かさより「国民総幸福(GNH)」を求めることで有名になったブータン。この、ヒマラヤ山脈の麓の「幸せの国」へ、日本人が働き手を探しに行っているという。

私は外国人労働者の取材を続けてきたが、「なぜブータンにまで」と意外だった。首都ティンプーへ飛んだ。

日本語学校では、和服に似た伝統衣装を着た若い男女が、日本語を勉強していた。彼らは、日本の高齢者施設で介護の仕事につく予定なのだという。

隣の大国インドの援助でこれまで大勢のブータンの若者がインドで看護を学んで帰ってきた。だが、ブータンの国立病院には全員を雇用する財政的な余裕はなく、多くが職にあぶれてしまう。大きな産業がないブータンで、若者の失業は深刻な問題になっている。

その話を友人から聞いて興味を持ったのが、神奈川県で技能実習のコンサルティングをしていた李達夫(65)だ。

技能実習とは、日本の技術を学ばせるという名目で外国人を受け入れる制度だが、「単純労働の外国人は受け入れない」という建前を崩さない日本では、労働力を補っているのが実態だ。業種は、製造、建設、農漁業などが主だった。

そこに昨年11月、「介護」が加わった。対人サービスの業種は初めて。厚生労働省は、介護人材は2025年に38万人が不足すると推計する。ニーズは高いはずだが、日本語能力などに不安を抱く関係者は多い。

技能実習は、働き手にとって決して条件がいいものではない。「介護を担える優秀な人材が集まるだろうか」。李も不安を感じていたが、外国で看護を勉強したブータンの若者たちに、可能性を見いだした。

16年度に希望者から11人を選抜。ブータン労働人材省が日本語を学ぶ1年間分の費用を負担した。「我々はただ日本へ出稼ぎに送り出すのではなく、彼らに日本人の勤勉さを体験してほしいんだ。私の息子は30歳にもなって、私が職場で仕事を始めても、まだ寝ている」。雇用人材部長のシェラブ・テンジン(54)の期待は高い。

ところが、問題が起きた。日本の国会審議の都合で、技能実習の「介護解禁」が遅れたうえ、日本語能力に関する規定などが当初の想定と違った。手続きが整わず、学生たちは足止めをくらったかたちになっている。

「毎日、不安で祈っています」。学生の一人レグデン(25)は言う。兄と同居しながら日本語学校に通って1年半近く。「両親には小言を言われ、友人には会うたびに『いつ行くの』と聞かれるんです」

この間に、労働人材省には、ドイツの病院と高齢者施設、さらにシンガポールの病院からも看護師の求人があった。ドイツの施設は、月給1800ユーロ(約24万円)で昇級ありと、日本よりはるかに良い条件だった。レグデンがインドで共に看護を学んだ仲間を含む、数十人の派遣が決まった。日本語学校の一人も、ドイツに鞍替えしようとしたが、国費で日本語を学んでいるという理由で認められなかった。

ブータンの若者は英語を日常的に話し、人材として人気がある。労働人材省のウェブサイトには中東のショッピングモールの販売員やドライバーなど、各国の求人が公開されている。100人単位の募集もある。

「ブータンには世界中から良いオファーが来る。世界の中で日本の位置が変わったことを、政治家たちはわかっていない気がする」。日本語学校長の青木薫は言った

憧れの日本暮らし 広がるギャップ ――ベトナム

私が技能実習生の問題を初めて取材したのは04年。記事を読み返すと、問題の構図はいまもまったく変わっていない。ただ、当時は実習生と言えば、ほとんどが中国人だった。いまはベトナム人が急増し、新たに来日する実習生の数は16年、中国を追い抜いた。

首都ハノイにある、日本に技能実習生を送り出している会社を訪れた。

「どんなにたいへんでも、がんばります!」。面接でこう言うよう教わっているのだろう。日本語教室で、20歳前後の若者が次々と立ち上がり、直立不動であいさつをしてくれた。主に地方から出てきた約100人が、ここで寮生活を送りながら日本へ行くために必要な研修を受けている。

[ベトナム]技能実習生として日本で働くためハノイで日本語を勉強する若者 Photo : Asakura Takuya

寮の壁にあった「一日のスケジュール」によると、起床は5時半。朝食やラジオ体操の後、夕方までに1時間半の授業が4コマ。2段ベッドの列には、きれいに畳まれた布団が並んでいた。日本へ行くまで、この生活を数カ月間続ける。

日本で働くベトナム人は、16年10月末で約17万2000人。わずか3年で5倍近くになった。技能実習生とアルバイトの留学生が大半を占める。

中国から労働者が集まらなくなったのが大きな理由だ。中国で人材派遣業を営む女性に聞くと、いま日本での技能実習に応募してくる労働者の中国での所得は、月4万~8万円。15年前は1万円に満たなかった。日本で技能実習生として働いても、寮費などを差し引かれると月の手取りは10万円に届かない場合もある。「10万円以下なら募集をしても中国人は来ないので、断っている」。女性はこう話す。

雇用者や仲介業者はこぞって、日本の人気が高く、中国より賃金水準が低いベトナムにシフトした。ベトナムには送り出し会社が次々とでき、募集に力を入れる。

しかし、変化は速く、「ピークはもう過ぎた」と話す送り出し会社の関係者もいる。

変わりつつあるのは、出身国だけではない。ベトナムの送り出し会社で働く日本人は「お金を稼ぐことの優先度が、以前より下がっている気がする」と言う。「ワーキングホリデー感覚」。そんなふうに言う関係者もいる。

それは悪いことではない。ただ、彼らの多くが実際に働くのは、日本の若者が避けがちな過酷な現場であり、雇用側が期待するのは、故郷の家族を助けるためにつらい仕事に耐えるような、いわば「昔の日本人」だ。

晩秋のハノイで出会ったのも、そんな今どきのベトナム人青年だった。間もなく日本へ行く彼と、音楽関係の仕事を営む父親も同席し、夕食をともにしながら話した。

細身のコートに、すらりとした体を包んだ20台後半の彼は、12歳から本格的にピアノを始め、いまも国立の音楽学校に在籍している。それを休学し、実習生として自動車工場で働くという。彼は「富士山が好き。日本の女性もきれい。日本に住んでみたい。ベトナムは給料が安いし、交通渋滞がひどいから」と動機を説明した。実習後に帰国したら、日本語の先生になりたいと言う。

送り出し会社などへの費用約90万円は、父親が払った。「日本の会社は従業員を家族のように大事にするから大丈夫。日本人の働き方を学んでほしい」と期待する。

今回の派遣が決まる前、彼は農業の実習生に応募して、面接で落ちたことがあったそうだ。眼鏡のせいかと考え、レーザー治療で視力矯正までしたという。だが、これまでピアノを弾いてきた彼の細くしなやかな手は、確かに農業には向いていなそうだった。

彼らの期待と、雇い主の期待。そのギャップの広がりが、実習制度をさらに危うくしている気がする。

新興市場に韓国が先手 ――カンボジア

[カンボジア]プノンペンには様々な言語を教える教室がある Photo : Asakura Takuya

国が豊かになるにつれ、海外へ出稼ぎに出る若者は少なくなる。ベトナムにいつまでも頼るわけにはいかない。そこで、人材を求める日本のあっせん業者は、新たな国を開拓する。

その一つがカンボジアだ。東南アジアでも若年人口が際立って多い若い国だ。日本にとって、中国、ベトナムに続く人材の供給源になると見込み、「真面目で素朴」と、業者は売り込む。

だが、カンボジアの若者がいま出稼ぎ先として憧れるのは、日本より韓国だ。その違いは、外国人労働者を受け入れる仕組みによるところが大きそうだ。

韓国もかつて、日本と同じように、実習の名目で、いわば「裏口」から労働力を補っていた。そして日本と同じように、労働者は仲介業者に多額の費用を払って借金を負い、より良い給料を求めて失踪するなどの問題が多く起きた。

そこで韓国が選んだのは、「外国人労働者は受け入れない」という建前にこだわる日本とは違う道だった。04年から「雇用許可制(EPS)」で、外国人労働者を「正面」から受け入れることにしたのだ。

この制度では、募集や採用は、公的機関が窓口になるため、不透明さを指摘される仲介業者の問題はほぼなくなった。

労働者側の負担は、TOPIKという韓国語能力試験で好成績を取るための努力と、そのための学費。韓国語を身につければ、雇用許可制のもとでは最長で10年近く働くことができる。これまで3年限りだった日本より、勉強のモチベーションも高そうだ。プノンペンでは年間5万人以上がTOPIKを受けている。

このためか、プノンペンでは街中でよく韓国語学校を見かけた。王宮近くの教室では、1日3回ある授業で、計約80人が学んでいるという。この教室のカンボジア人マネジャーは「日本で働いた経験がある学生もいるが、行くまでに6500㌦(約74万円)かかり、寮費などを引かれて手取りは月7万~8万円だったらしい。韓国なら月1500㌦(約17万円)以上は稼げる」と話した。

東南アジアには、音楽やテレビドラマを通して韓国に慣れ親しんでいる若者が多い。これも韓国の官民挙げてのコンテンツ戦略が功を奏した結果だ。韓国で長く働いた若者が、韓国の文化になじみ、母国に広める好循環を生んでいるという分析もある。

別の韓国語学校で勉強していたポム・ソックケン(20)は「Kポップの音楽が好き。地元の村では韓国に働きに行った人も多く、給料が良いと聞いている」と話した。カンボジアから雇用許可制で韓国へ行った労働者は、16年は約8300人。この10年で30倍以上になった。同じ16年に日本に向かったカンボジア人実習生は2000人程度にとどまっている。

プノンペンにある韓国産業人力公団・EPSセンター長のパク・テフンは「我が国の制度は透明性が高く、賃金も日本より高い。働くなら韓国がベストだと思う」と話した。

一方、日本にも労働者を送っているカンボジアの人材派遣最大手「ウンリティーグループ」社長のウン・セアンリティーは、新たな市場をねらっていた。中国だ。「工場労働者が不足し始めている中国にも派遣できるよう、いまカンボジア政府と協議している」

中国の動向は、各国の人材派遣業者にとって目が離せない。長年一人っ子政策を続けてきた中国の高齢化は急ピッチだ。間もなく60歳以上の高齢者は2億5000万人になると推計されている。介護人材などの需要は間違いなく高まる。そうなれば、アジアの労働者需給の景観は一変するだろう。すでに多くのフィリピン人が不法滞在で家事労働に就いていると言われ、フィリピン人労働者の合法的な受け入れに向けて両国政府間の協議が始まったと報じられている。

「開かれた社会」 政治もアピール ――台湾

[台湾]台北駅に集まって友人たちとおしゃべりを楽しむインドネシア人労働者ら Photo : Asakura Takuya

「より多様・多文化で、より良い台湾にしてくれた移民のみなさんに感謝します」。外国人労働者を受け入れる側の台湾。総統の蔡英文は12月18日の国連「国際移民デー」に、ツイッターでメッセージを発信した。

これに先だち台北市に近い基隆市で開かれた移民のイベントでは、移民局元幹部で次期市長をねらう謝立功(56)と、国会議員にあたる立法委員でカンボジア出身の林麗蟬(40)がステージに立ち、結婚や仕事で台湾にやって来た人たちのために取り組んできた政策をアピールした。

日本の政治家は外国人労働者の受け入れについてめったに語らないので、新鮮だ。「この小さな台湾で経済を発展させるためには、多様な人材を受け入れる必要がある」。林は取材にこう答えた。

出生率が日本より低く、大学進学率が9割を超える台湾。主に1990年代から、台湾の人と結婚して中国大陸や東南アジアから来た「新住民」50万人超に加え、家庭に住み込んで高齢者を世話する介護労働者や、工場や建設現場で働く産業労働者を東南アジア諸国から受け入れてきた。その数は増え続け、約67万人。人口約2350万の島では目立つ存在だ。

アジアで初めて同性婚を容認するなど、台湾は与野党こぞって「多様性と寛容さ」のイメージを打ち出そうとしている。

外国人労働者については台湾でも、劣悪な労働環境や、職場からの失踪などがしばしば問題になってきた。ただ、政府も改善に向け、努力しているようだ。

例えば、5カ国語で24時間いつでも相談できるフリーダイヤル「1955」。賃金トラブルやハラスメントなどの訴えがあれば、直ちに関係当局に通報して解決をはかることになっている。17年上半期だけで10万件もの利用があった。トラブルの訴えは1割ほどで、大半は契約などに関する問い合わせだという。仲介業者や雇い主に対する規制も次々にできている。

「かつて我々は雇う側へのサービスに力を入れていたが、いまは労働者へのサービスが主になった」。インドネシアからの介護労働者を中心に年間約2000人を仲介する人材派遣会社「東南亜集団」の蔡岳吟は言う。「今後は、より良いサービスを提供しなければ、良い労働者を得られないということです」

賃金も工場などの産業労働者で平均2万5400元(約9万4000円)。手取りでは日本と大きく違わない印象だ。

だがそれ以上に、各国の人びとに社会を開こうとする台湾で、外国人労働者は居心地の良さを感じているようだった。

毎週日曜、台北駅のホールなどでは外国人労働者が集まって床に座り込み、食べ物を広げて同胞たちとおしゃべりをする。当初、地べたに座らない台湾人には奇異に感じられたようで、苦情や禁止の動きもあったそうだが、いまは気にする人はあまりいなくなったという。

友人とスマホで自撮りをする、ヒジャブをかぶったムスリムの女性たちが、そこかしこで見られる。「台北はどこへ行くのも便利で安全。友人も多く、外国人に対する差別も気にならない」とインドネシアから来て6年になるというエニー(40)。シンガポール、マレーシア、香港で働いた経験があるが、台湾が一番だという。

そばでは、この光景になれた台湾人の若者たちが同じように、友人同士で床に座って談笑していた。

「日本は住みたいけど働きたくない」

プノンペンの学生街には語学学校が軒を連ねる Photo : Asakura Takuya

十数年前に取材したのは、山陰の縫製工場で働く若い中国人実習生たちのストだった。経営者の女性は、残業代の未払いを棚に上げ、私にこう言った。「昔の子はぜんぶ貯金してたのに、いまの子はすぐ化粧品なんかに使うんですよ」。彼女の感覚は一昔前のままだが、中国は急速に変わっていた。

 最近のベトナム人実習生は、日本での暮らしぶりをフェイスブックなどで発信するのが好きだ。景色や、買った服の写真。「日本に住んでみたい」。ハノイで出会った若者たちは、口々にこう言った。生きるための出稼ぎではなく、より良い暮らしや経験を求めて、日本に来ているのだ。

 そんな彼らが、実は過酷な仕事で体を壊したり、人里離れた寮の6人部屋に住んで1人3万円近い家賃を払わされたりしているのを、しばしば見聞きしてきた。

 技能実習制度で外国人を雇うのは、小さな事業者にとっては、実は決して軽くはない負担だ。中間組織に様々な経費を払い、実習生の生活の面倒も見ないといけない。「コストは日本人を雇うのと、あまり変わらない」との声も聞く。それでも実習生を雇うのは、日本人の働き手がいないからだ。

 韓国や台湾でも、外国人労働者に対する問題はいろいろ報告されている。ただ少なくとも、外国人を必要としているという現実は受け入れ、より良い仕組みをつくろうと努力しているように感じる。

 「日本で働くことについての調査」という、日本国際化推進協会が16年に発表したアンケートがある。対象は、留学生や元留学生。日本政府も、日本に残って働いてほしいと望んでいる人材だ。

 日本に「住むこと」に魅力を感じているのは8割に達したが、「働くこと」に魅力を感じているのは2割強にとどまった。実際に日本で働いた経験者は「長時間労働」や「外国人差別」に直面し、変化を嫌う日本企業の体質に違和感を抱いたようだ。

 推計では、約40年後、日本の15~64歳人口は16年の7656万人から4529万人と6割以下に、高齢者1人に対する現役世代は1.3人になる。同様に、いまは労働者を日本に送り出している中国や東南アジア諸国も高齢化に直面していく。

 ただでさえ、「稼げる」という日本の強みは失われつつある。辛抱強い「昔の日本人」という幻想をアジア各国の若者に重ね、自分たちに都合のいい外国人を求め続けるのであれば、いずれ限界は来るだろう。(敬称略)

日本で働く外国人

厚労省によると、日本で働く外国人は2016年10月末現在で約108万人。3年前から1.5倍に増えた。日系ブラジル人や日本人の配偶者などが約38%、アルバイトの留学生らが約22%、技能実習生が約20%、専門的・技術的分野の在留資格が約19%だ。国籍は、中国(約32%)、ベトナム(約16%)、フィリピン(約12%)、ブラジル(約10%)が多い。留学生はアルバイトが週28時間まで認められ、近年はベトナムやネパールから急増。日本語学校の学費に加え、母国の仲介業者に多額の手数料を払っている場合が多く、借金の返済に追われて、アルバイト漬けになる問題が起きている。 

技能実習をめぐる問題

外国人技能実習制度は本来、優れた技術を教える「国際貢献」が目的だが、日本人が避けがちな職場が、労働力を補うために利用している実態がある。その場合、非営利の事業協同組合など「監理団体」が実習生を受け入れ、傘下の中小・零細企業や農家で働くかたちになっている。実習生は仲介業者への支払いで負債を抱えていることが多く、職場(実習先)を選ぶ自由もないため、立場は弱い。このため、賃金不払い、長時間労働、雇用者らによる虐待、職場からの失踪など、問題が多発してきた。昨年11月施行の技能実習適正化法で、受け入れ団体や企業への規制が強まった一方、実習期間はそれまでの3年から最長5年に延びた。一方、政府は12年に「高度人材ポイント制」を始め、学歴や収入の高い「高度人材」の呼び込みに取り組んでいる。