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見えてきた石炭の「終わりの始まり」 感謝しつつ別れたい

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インド中部チャティスガル州コルバ炭鉱地帯にあるゲブラ炭鉱。アジア最大級規模だが、さらに拡大する計画があり、住民とトラブルになっている Photo:Ishii Toru

身の回りの燃料は石油やガスに替わり、石炭を手にする機会はなくなった。57歳の私は、石炭に触れた最後の世代ではないかと思う。ただ、目の前から消えたからと言って、石炭の時代が終わったわけじゃない。世界ではいまも主要なエネルギーの一つだし、日本ですら、電気の3割は石炭が担っている。

ところが、その石炭にもついに終わりの兆しが見えてきた。地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を大量に出すことが理由だ。流れは2015年のパリ協定で決定的になった。

簡単じゃないことは分かっている。けれど、どうせ別れるなら、きっぱりと別れたい。

インド 石炭電力が余り出した

過去のエネルギーと思われがちな石炭だが、日本のエネルギーの4分の1を占めていて、2011年の東日本大震災以降は依存度が高まっている。世界全体の消費量は今世紀に入ってから7割も増えた。経済成長が著しい新興国で、石炭を大量に使い始めたからだ。ただ、変化の兆しもある。私は中国に次ぐ世界2位の石炭消費大国、インドに向かった。

黒と灰色がまだら模様になった渓谷が延々と続く。インド中部のチャティスガル州にあるコルバ炭鉱地帯。巨大な重機やトラックが、ミニチュア模型のようにひっきりなしに動いている。

「端から端まで20キロぐらいある」と、市民グループの事務局長、ラクシミ・チョーハン(42)は言った。国営石炭企業「コールインディア」の子会社が運営するゲブラ炭鉱は、年約4000万トンを生産するアジアでも最大級の露天掘り炭鉱だ。さらに7000万トンに増産する計画があり、土地の取得をめぐって地元住民との摩擦が高まっている。

「家族とお祭りから帰ってきたら、彼らが家を壊していたんです。その日から、家も、仕事もなくなりました」。元教師のバビタ・アディレイ(26)は、14年8月28日のことを鮮明に覚えている。補償はまだされていないという。仕方なく移り住んだ近くの集落も、新たに炭鉱開発の計画地になった。「私たちは、いったいどこに行けばいいというのでしょうか」

急速な経済成長に伴う電力需要をまかなうため、石炭火力発電を増やしてきたインド。主に発電に使われ、石炭は電源構成の4分の3を占めている。現在では、中国とインドだけで世界の6割の石炭消費を占めるまでになった。

ところが、そのインドの石炭消費の伸びに、陰りが見えてきた。昨年の消費量は前年比3・6%増と、その前の10年間の平均の半分程度になった。
インド中央電力庁は昨年12月、国家電力計画案で「今後10年間は、建設中以外に新たな石炭発電所は必要ない」との見方を示した。一時は電力不足が深刻だったインドで、石炭による電力が余り始めているのだ。

グリーンピースなどの国際環境NGOが今年まとめた調査によると、10~16年にインドで計画された石炭発電所のうち、74%が中止された。

既存の石炭発電所の閉鎖も始まっている。ハリヤナ州との境にあるバダプール発電所は、来年7月に閉鎖されることが決まった。デリー市内に残る唯一の石炭火力発電所で、建設から約40年と古く、PM2・5や大気汚染の発生源として批判されてきた。

環境への影響に加え、脱石炭を後押しするのが、太陽光などの再生可能エネルギーの台頭だ。

「露天掘りの炭鉱には環境や社会的な問題が山積みだ。国内炭は品質もよくない。技術的にも、経済的にも、自然エネルギーへの移行が可能になってきた。水力を足すとすでに3割を超えている」。インド政府の電力部門関係者は、匿名を条件に語った。政府は自然エネの発電設備を5年後の22年に、原発175基分の1・75億キロワットにする目標を掲げる。「ソーラーパーク」と呼ばれる巨大な太陽光発電施設の建設が各地で進んでいる。

ソフトバンクや台湾の鴻海精密工業など3社の合弁会社は5月、ラジャスタン州の太陽光発電入札を、石炭火力発電よりも安い、1キロワット時あたり2.45ルピー(約4・2円)で落札した。

シンクタンク「科学環境センター」のプログラムディレクター、プリヤブラット・バティは「石炭の消費量を減らしていくためには、健康や環境へのコストを価格に反映する方法が最も効果的です。インドでは、1トンあたり400ルピー(約700円)の石炭税を課しています。大気汚染の減少や自然エネルギーへの投資促進につながるはずです」と話す。

「脱石炭」の兆しは、世界的にも表れている。最新の統計によると、拡大を続けてきた世界の石炭消費量は、14年をピークに2年連続で前年を下回った。米国と中国の減少が大きい。米国はシェールガスへの転換が進み、中国も大気汚染と温暖化防止を理由に石炭火力発電を抑制しているからだ。

イギリス 産業革命からの卒業

脱石炭は、私たちのいまの社会を支えてきた化石燃料の「終わりの始まり」を意味する。

スコットランド国立炭鉱博物館の模擬坑道は地上にある。Photo: Ishii Toru

「化石燃料の時代が本当に終わるのだろうか」。2015年12月、国連気候変動会議(COP21)でパリ協定が採択された。私は不思議な気分で会場記者室のモニターを見ていた。

協定が掲げる「今世紀後半に世界の温室効果ガス排出を実質ゼロに」という目標は、石油や天然ガスも含めた、化石燃料との別れを意味する。中でも、まずは最もCO2排出量が多い石炭と別れなければならない。同じ熱量を得るために出すCO2の量を比べると、石炭を10とした場合、石油は7・5、天然ガスは5・5となる。

パリ協定は「世界の平均気温上昇を、産業革命前に比べて2度より十分低く保つ」と決めた。温暖化は、大量の石炭を使い出した産業革命から始まったということだ。

その産業革命を主導した英国はいち早く、石炭との別れを表明した。「25年までに石炭火力発電を全廃する」と発表したのは、パリ協定を決めたCOP21の直前だった。アンバー・ラッド・エネルギー気候変動担当相(当時)は、こんな声明を出した。

「石炭は数世紀にわたって私たちのエネルギーシステムで中心的な役割を果たしてきました。でも、最も炭素が多く、大気を汚染する。長期的には持続可能ではありません」

英国の電源構成に占める石炭の割合は、3年前には日本とほぼ同じ3割程度だったが、昨年は9・1%にまで減った。今年4月21日は、産業革命以来初めて、24時間、石炭による電気が使われない日になった。

最後の坑内掘り炭鉱となったケリングリー炭鉱は、パリ協定が採択されて約1週間後に閉鎖された。イングランド北部の都市リーズ近郊にあり、1970年代には約2500人が働いていたが、人影は消えた。現在も整地作業が続けられている。

閉山までここで働いていたトレバー・チャークレー(62)は、父に続いて16歳の時に炭鉱で働き出したという。いまは車で30分ほど離れたイングランド国立炭鉱博物館で、旧坑内を案内するツアーガイドをやっている。

「閉山によって、ある人は愛する仕事を失い、ある人は誇りを失い、コミュニティーは崩壊しました。私は幸い、ストレスのない新しい仕事を見つけることができましたが……。英国の地下にはまだ300年分の石炭が眠っていますが、再び炭鉱が開かれることはないでしょう」と彼は言った。

今回の取材では、国内外の現役や元炭鉱労働者に会った。共通していたのは、これまで社会の発展を支えてきたのに、悪者扱いされるようになったことへの割り切れない思いだった。温暖化への疑問を投げかける人もいた。私は、パリ協定の採択から数日後にインターネットで目にしたニュースを思い出した。

「我々はかつての奴隷貿易商人のように憎まれ、さげすまれるようになるだろう。化石燃料は国連の第1の敵になった」。欧州の石炭関連企業で構成する「欧州石炭協会(ユーラコール)」の事務総長が、会員企業にこんな内容のメールを送ったという。

「言い得て妙だな」と思った。急にダメだと言われた石炭業界にとっては、確かに迷惑かもしれない。でも、パラダイムシフト(価値観の転換)や革命とは、そういうものではないのか。

ブリュッセルにあるユーラコールの本部で会った事務総長のブライアン・リケッツ(54)は「かつて奴隷商人は人々に尊敬されていました。パリ協定後、欧州では石炭に対する見方が、同じように変わりました」と語った。

「ガス業界は、石炭と対決することを決めています。石炭が不利になる政策を取るよう政府に働きかけ、市場で石炭のシェアを奪おうとしているのです」。リケッツは、化石燃料の中で石炭が狙い撃ちされることへの不満も口にした。

ドイツ 別れるには時間がかかる

欧米の国々では、急速に石炭離れが進んでいる。英国以外にも、フランスは2023年、カナダは30年に石炭火力発電の廃止を決めている。ただ、石炭と別れたいが、なかなか別れられない国もある。その一つが、ドイツだ。

ドイツNRW州にあるトリアネル社のリューネン石炭火力発電所は、2013年に発電を開始した。 Photo: Ishii Toru

温暖化対策に熱心なのに、いまだに質の悪い石炭である褐炭(リグナイト)を大量に使っていて、通常の石炭(ハードコール)と褐炭で発電量の4割を占める。いまのままでは、温室効果ガスの排出を1990年比で20年に40%、30年に55%削減するという国の目標も達成が難しいという。

それでも通常の石炭の坑内掘りは、来年で閉鎖されることが決まっている。ドイツ国内で最後の二つとなった坑内掘り炭鉱の一つに入った。

ドイツ西部のノルトラインウェストファーレン(NRW)州イッベンビューレン。鎖につかまると、大きな虫かごのようなエレベーターが急降下し始める。地下1230メートルの坑道に到着するまで約2分。子供のころにかいだちょっと薬臭くて香ばしい石炭の匂いがする。

案内してくれた炭鉱を運営するRAG財団の広報担当、ステファン・ヒラーマン(50)は、18歳から炭鉱で働いてきたという。「閉鎖が決まるまでは反対の声もありましたが、決まった以上は納得せざるを得ません。重要なのはどう終わらせるかです。私たちは長い時間をかけて準備をしてきました」

閉鎖が決まったのは07年だ。当時、国内8カ所の炭鉱で3万2000人が働き、イッベンビューレンには約3000人がいた。

従業員や家族のことを考えれば、急に閉めるわけにはいかない。10年間かけて、職業訓練や転職指導を進め、段階的に職員を減らしてきた。現在は約1000人が働いているが、来年以降は水没させた炭鉱の管理をする24人だけが残るという。

実は、炭鉱に将来性がないと見た財団は、すでに約20年前から鉱山技師の養成をやめていたという。代わりに金属加工など次の仕事を見つけやすい技術の習得に力を入れてきたそうだ。「解雇は一人も出しませんでした」とヒラーマンは胸を張った。

通常の石炭ですら、別れるまでに20年かけてきた。さらに厄介なのが、発電用に使われている褐炭だ。

通常の石炭に比べてCO2の排出量が多いが、安いので競争力がある。ドイツは、褐炭の生産と消費の量が飛び抜けて多く、世界一だ。約2万5000人という労働者の雇用問題も大きなネックになっている。

褐炭の主要産地の一つでもあるNRW州の経済エネルギー局長ミヒャエル・ゲスナーは「褐炭の利用が減るのは確実だが、エネルギー供給や発電コスト、雇用の安定とのバランスを見ながら進める」と言う。同州では20基ある褐炭火力発電を3年以内に5基停止させることを決めている。だが、「褐炭には市場競争力があり、石炭とは次元が違う」とゲスナーは説明する。

一方、社会民主党の連邦議会議員、クラウス・ミンドルップ(53)は、国のCO2削減目標達成のためには「褐炭の使用をやめていくことが不可欠だ」と言い、国民の合意を形成するために議論を始めることを訴える。「原発の廃止を決めた時と同じようなプロセスが必要だ」

11年3月の福島原発事故後、ドイツ政府は宗教界、産業界、学界、超党派議員など専門家以外も含む各界各層からなる倫理委員会を設置した。委員会からの勧告を受ける形で、政府は原発の閉鎖を決めた。褐炭からの離脱についても、委員会方式を活用した、コンセンサスの形成が重要だというのだ。

関係者によると、脱石炭に関する委員会は、9月下旬の総選挙後に設置が予定されているという。

時代に逆行、依存強める日本

日本では石炭の時代はすでに終わったと思っている人は多いが、とんでもない。国内の石炭消費量は、2度の石油ショック以降再び増加に転じ、2015年は1960年代の倍以上の約1億9000万トンになっている。6割が発電などで4割が鉄鋼関連で使われている。99%以上がオーストラリアなどからの輸入で、世界3位の輸入大国だ。

日本経済の変わり身の早さには、ある意味で感心する。戦後の増産政策で、国内には50年代に1000以上の炭鉱があり、45万人以上が働いていた。
それが、海外炭が安いと見るや、軸足を移す。70年には国内炭との割合が逆転。国際競争力がないという理由で合理化の嵐が吹き荒れ、閉山が相次いだ。現在残る炭鉱は、北海道の坑内掘りの1炭鉱と、露天掘りの7炭鉱だけだ。

釧路コールマインは、日本に残る唯一の坑内掘り炭鉱だ Photo:Ishii Toru

しかも、閉山は突然だった。82年10月に閉山した北海道夕張市の北炭夕張新鉱の閉山発表は1カ月半前だった。約2000人の従業員は全員解雇された。97年3月に閉山した福岡県大牟田市の三井三池炭鉱も1カ月半前で、1200人の全従業員が解雇された。閉山の決定から実施までに10年をかけて

準備を進めたドイツの炭鉱との違いを感じざるを得ない。

事実上財政破綻(はたん)した北海道夕張市の鈴木直道市長(36)が「産炭地はどこも苦しんでいる。国策でやってきたことなのだから、もっと国のサポートがあってもいい」とぼやくのも分かる。

世界が石炭と別れようと動き出している中で、国内炭をあっさり見切った日本は石炭火力発電に固執している。福島原発事故後、建設計画が相次いでいるのだ。環境NGOの調査では、2012年以降、全国で49基(計2300万キロワット)が計画された。4基は事業リスクなどを理由に中止を決めたが、まだ相当数が生きている。

日本には、エネルギー構造を化石燃料から自然エネルギーに変えていくための強い政策がない。電力会社や産業界は、自分たちの力が及ばない自然エネルギーのような小規模分散型電源より、原発や火力発電のような大規模集中型電源が根本的に好きなのだ。

海外の石炭への投融資についても、各国が控える動きを見せている中で、日本は「高効率石炭火力発電技術で世界の温暖化防止に貢献する」という姿勢を変えていない。世界自然保護基金(WWF)などの調査では、07~14年の国際的な石炭関連事業(採掘、発電など)への公的金融機関による投融資額は、日本が1位だった。

念入りに準備をして別れよう

「化石燃料時代の終わり」を示したパリ協定には、すべての国が合意した。唯一の超大国である米国の大統領が離脱を表明しても、協定が揺らぐ兆しはない。

今回の取材で改めて思い知ったのは、エネルギーの主役はコストが決めるということだ。自然エネルギーのコストは、火力や原子力を下回るようになった。今後はさらに安くなっていくだろう。温暖化や原発のリスクを第一の理由に、世界が脱炭素へと動いているわけではない。自然エネルギーが安くなったから、一斉に走り出したのだ。

化石燃料との別れは不可避だ。であれば、仕事がなくなる人たちのことも考えて、各国の状況に応じた準備を急ぐべきだろう。

心配なのは、日本だ。国内炭鉱の閉山の時と同じように、ぎりぎりまで別れないそぶりを見せていて、急に態度を変えるのではないか。そうなると、これまでの化石燃料への投資を回収することが難しくなり、出遅れた日本経済は大きな打撃を被ることにならないか。

どうせ別れるのだから、きっちりと準備して、これまで世話になったことに感謝して別れたい。後腐れや恨みっこは、なしで。

(文中敬称略)

◆石炭とは 

石炭の多くは3億年ほど前の石炭紀の、シダ類などの植物が起源。長い年月に地下の圧力と地温の影響を受けて変化したと考えられている。

ほかの化石燃料に比べて地域的な偏りが少ないのが特徴で、2015年の生産量は中国、米国、インド、オーストラリアの順に多い。可採埋蔵量は8915億トン。可採年数は約110年で、石油や天然ガスの2倍程度ある。
 拡大を続けてきた世界全体の消費量は、2014年の約80億トン(石油換算約39億トン)をピークに下がり始めた。国別では、中国、インド、米国、ドイツの順で、日本は6位。日本は輸入量でも、インド、中国に続く3位になっている。

◆石炭から逃げる投資

化石燃料に依存する企業から投資の撤退(ダイベストメント)が広がっている。国際環境NGO「350.org」の調査によると、これまでに表明した機関投資家は公的年金基金や保険会社など749団体で、運用資産総額は計5・53兆ドル(約619兆円)に上る。
パリ協定をきっかけにCO2排出規制が強まり、石炭火力発電所や炭鉱などへの投資が回収できなくなるのを避けるためだ。ノルウェー政府年金基金は石炭に依存している69企業からのダイベストメントを決めている。この中には、北海道電力、中国電力、北陸電力、四国電力、沖縄電力、Jパワーという日本の電力会社6社が含まれており、九州電力と東北電力も観察下に置かれている。
民間最大のピーボディエナジーを含め米国の石炭企業10社のうち4社が破産申請するなど、石炭をめぐる状況は厳しさを増している。

◆温暖化の現状
世界各地で台風や洪水、熱波などの気象災害が相次いでいる。世界気象機関(WMO)の専門家チームは、米国南部を襲ったハリケーン「ハービー」について「温暖化が影響した可能性がある」という見解を発表した。個々の異常気象と温暖化を結びつけることに慎重な科学者も、無視できないほどになっている。
地球の平均気温は昨年、3年連続で過去最高を記録。温暖化の主な原因である温室効果ガスの65%は、化石燃料の燃焼によるCO2で、石炭はこのうち最も大きい4割を占めている。産業革命前と比べ、平均気温は約1度、海面は約20センチ上昇した。現在も毎年約2ppmずつ増えている。
パリ協定での合意どおり、気温上昇を産業革命前から2度未満にするには、2050年までに排出を4~7割減らし、今世紀末までにゼロか、マイナスにする必要がある。