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『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』 赤狩りに負けなかった脚本家

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
『トランボ』より Photo: Hilary Bronwyn Gayle

新聞記者を20年以上続けてきた私だが、一方で脚本家という仕事に敬意を抱き、ひそかに脚本を学んだこともある。それは映画が好きだからというだけでなく、この人の存在も大きかったと思う。

アカデミー賞脚本家、故ダルトン・トランボだ。

彼を描いた『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(原題: Trumbo)が22日、日本で公開された。私はジェイ・ローチ監督(59)に今月、電話でインタビューした。

トランボとは、米上院議員だった故ジョセフ・マッカーシーによる「赤狩り」が吹き荒れた冷戦初期、映画界で労働運動に携わり、下院非米活動委員会で「共産主義者か否か」の証言や仲間の「密告」も拒んで収監、業界から一時追放された「ハリウッド・テン(ハリウッドの10人)」のひとりだ。『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』はその半生を追った。映画界で仕事を失い、妻子が嫌がらせを受けた間も、別人の名を借りたり偽名を使ったりして脚本を量産し続けた彼を演じたブライアン・クランストン(60)は今年、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。

故オードリー・ヘプバーンが一躍大スターとなった『ローマの休日』(1953年)の脚本家が実はこのトランボだと私が知ったのは、思えば新聞記者になってまもない頃だ。新米の警察担当として思うように取材も執筆もできず、先輩に怒られるばかりで自分がいやになる日々。そんな時、新聞で「『ローマの休日』脚本家、死後17年たってアカデミー賞」という小さな記事を見た。自分とあまりにもかけ離れた世界ではあるものの、表向きは筆を奪われながらも不朽の名作を書いた気骨の脚本家を知り、入り口でへこたれそうになった自分があまりにも小さく感じられた。そうした影響もあってその後、仕事の合間に脚本教室に通った私だが、「書くこと」に違う角度から取り組んだのは記者としてもいい鍛錬になったように思う。

ブライアン・クランストンとジェイ・ローチ監督(右)©2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

ローチ監督は脚本家ジョン・マクナマラ(54)から今作の脚本を見せられ、時を置かずに監督を引き受けることを決めたという。「トランボ脚本の『スパルタカス』(1960年)は、私が若い頃に影響を受けた映画でもありますからね」とローチ監督。カーク・ダグラス(99)主演のこの映画は私も大好きな作品の一つ。昔は「ローマ帝国もの」としかとらえていなかったが、名誉を重んじて仲間を守ろうとした奴隷スパルタカスのせりふには、収監を甘んじて受けたトランボの思いを重ねて見ずにはいられない。


『トランボ』の脚本を書いたマクナマラは、『ローマの休日』でトランボに名義貸しをした脚本家、故イアン・マクレラン・ハンターにニューヨーク大学で師事した。マクナマラは当時、何も知らずに「あなたの『ローマの休日』はすばらしかった」と言った。するとハンターは「いや、あれは私が書いたんじゃないんだ」。ほかにもハリウッド・テンの脚本家に教えを受けたマクナマラは、彼らへの聞き書きをもとに、何年もかけて脚本を仕上げたそうだ。

一方のローチ監督。「実は私も『ハリウッド・テン』のひとり、エドワード・ドミトリク監督に南カリフォルニア大学で教わっているんですよ」

故ドミトリク監督はトランボ同様、委員会で証言を拒んで収監されたが、その後の歩みはまったく違う。隠れて書ける脚本家と違い、本人が現場に来なければ撮影が進まない監督は「偽名でやるわけにはいかず、ただ職を失うだけ」(ローチ監督)。結局、委員会で仲間の名を証言して映画界に復帰し、故ハンフリー・ボガート主演『ケイン号の叛乱』(54年)など名作を世に残した。

『トランボ』より ©2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

多くの著名な映画人を教授陣に持つ南カリフォルニア大学で、ドミトリク監督が教壇に立った80年代の学内の空気をローチ監督は今も思い出す。「かつてブラックリストに載せられ翻弄(ほんろう)された人たちも学内にはいて、ドミトリク監督との間にはピリピリした緊張感が流れていた。あれから30年も経っていたのに」

ローチ監督は、委員会に協力を求められた人たちの苦境を描いた過去の書物を読んだ。「トランボは揺るぎない信念をもつ常に気高い人物だったが、仕事もできず、家族も養えず、苦しい立場に立たされた人たちもいた。ドミトリク監督の葛藤は深刻だったのだろう。いま考える以上に、簡単なことではなかったのだと思う」

撮影にあたりローチ監督は、女優リー・グラントら、かつてブラックリストに載った映画人に取材したほか、トランボの2人の娘、ニコラとミッツィにも聞き取りを重ねた。「トランボが偽名で書いた脚本を売るのを家族ぐるみで支えた描写は、彼女たちの話に大いに助けられたよ。常に監視対象だったなか、秘密を守るのはいかに恐ろしいことだったか、彼女たちは教えてくれた」

『トランボ』より ©2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

そうした場面でも描かれているように、トランボは二束三文の報酬しか得られないB級映画でもいとわず書き続けた。「お金のためだけの仕事はしたくない」とはどこの世界でも聞かれる言葉だが、取り上げられた筆を奪い返すように書き続ける彼の多作ぶりをスクリーンで眺めると、そんなことはとても軽々には言えない気分になる。それでいて、その傍ら紡いだ『ローマの休日』や、メキシコを舞台にした『黒い牡牛』(56年)の脚本が、それぞれ別人名や偽名の下でアカデミー賞を獲得するわけだから、質を問わない量産は必ずしも良質な作品づくりを阻害しないのかもしれない。

ローチ監督自身は、赤狩りを主導したマッカーシーが世を去った1957年に生まれた。「私の父は当時20歳そこそこだったが、冷戦の戦士のような人でね。米政府のため防衛産業の研究所で働く、きわめて保守的な人だった。リベラルな私は彼の政治思想とはまったく相いれず、よく議論したよ」

そんな父を持つローチ監督は、本作に実名で登場するタカ派俳優の故ジョン・ウェインや、反共コラムニスト、故ヘッダ・ホッパーらが「国のため」「産業のため」と信じてトランボらを追いやった構図を踏まえつつ、こう解説する。「トランボが共産党員になった頃は、(第2次大戦中の)全体主義やファシズムに対抗するものとして、またゆきすぎた資本主義のもとで労働者の権利を守るためとして、米国の多くの文化人が入党した。今から見れば民主社会主義といったところだが、労働運動を嫌う映画人らは、『共産主義の脅威』という言い方で攻撃した」

ローチ監督は、元共和党副大統領候補サラ・ペイリン(52)を描いてエミー賞やゴールデングローブ賞に輝いたテレビ映画『ゲーム・チェンジ 大統領選を駆け抜けた女』(2012年)や、映画『俺たちスーパー・ポリティシャン めざせ下院議員!』(12年)など政治風刺作品でも知られる。政治の流れを見据えてきた監督として、「共和党大統領候補ドナルド・トランプらが、米国や欧州でイスラム教徒のテロの恐怖をあおっているさまは、共産主義の恐怖があおられた当時と似ている。かつてのような『魔女狩り』はどこでも起きうる。もうすでに起きているのかもしれない」と懸念する。

ジェイ・ローチ監督 ©2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

同じようなことがまた映画界に吹き荒れたら、ローチ監督はどう行動するのだろう。一拍置いて、彼は答えた。「それこそが、この映画が投げかける問いなんだ」