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私の海外サバイバル

[第126回]映画きっかけ 「現場みたい」と協力隊に@キガリ(ルワンダ)

古岡繭

RWAMITTU(ルワミッツ)社勤務



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ルワミッツ社の従業員たちと農場で

青年海外協力隊でルワンダに派遣され、首都キガリから高速バスで2時間半のところにあるンゴマ郡の郡庁で若者の雇用促進やビジネス支援の仕事をしました。昨夏に2年の任期を終えて帰国した後、すぐに戻り、協力隊の先輩が2年前に北東部のニャガタレ郡で立ち上げた、蜂蜜やジャムを製造・販売する会社で働いています。従業員11人の会社です。地域に根づいた企業をめざしていますが、輸出品の開発も進めています。

私の主な担当は販促企画や広報。オフィスのあるキガリで勤務することが多く、政府の役人や弁護士と協議することもあります。


ルワミッツ社の農場にあるハチの巣箱








英語とフランス語も公用語ですが、老若男女に通じるのはやはり、現地語のキニアルワンダ語。2014年夏にこちらにきて1カ月ほどレッスンを受け、今では仕事でもある程度は使えるようになりました。


ルワンダでは、一つの用事を片づけるには思わぬ時間がかかります。協力隊時代は、雨が降ると集会や仕事に来ない人もいて、悩まされました。バスは席が埋まらないと出発しないこともあり、時間が読めません。訪問先で待ちぼうけを食らうことも多く、時間のコントロールがとても難しいです。


政府の役人は多忙で、アポイントがなかなか取れません。上司や上位機関が言ったことは絶対で、事前確認をしておいても急遽キャンセルになることもあります。現地語を使って距離を縮めたり、電話ではなく直接会ったりしてコミュニケーションを取るように心がけています。


高校時代から世界史が好きで、アフリカに興味を持ちました。80万人から100万人が犠牲となったとされる1994年のルワンダ大虐殺を題材にした映画「ルワンダの涙」を見て、アフリカに関わることをしたいと思い、大学院ではルワンダに接しているウガンダの元子ども兵の経済的自立を研究しました。友人や双子の妹が海外に飛び立って行くのに触発され、より現場を見てみたいと思って協力隊に応募し、派遣されたのがルワンダでした。


昔は大好きなパン屋でパートをしながら子育て・家事という暮らしに憧れていました。今はルワンダにどっぷり漬かり、この国のことが好きになり、海外に関わる仕事を続けていきたいという思いが強くなりました。



Mayu Furuoka

ふるおか・まゆ/1989年、兵庫県姫路市生まれ。大学院修了後、青年海外協力隊でルワンダへ。現在は蜂蜜やジャムを製造・販売するRWAMITTU(ルワミッツ)社で働く。



(次ページへ続く)

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