ロサンゼルスで今年3月、YOSHIKI(48)が差し出した両手は、壊れそうなぐらい、弱々しかった。右の手首にかけて、サポーターが巻かれていた。
「触れるとびびびっと痛いんです。最大限のケアをして、それでも壊れていくのは仕方ないのかな」
ビジュアル系バンド「X JAPAN(エックス・ジャパン)」時代からドラムを激しくたたいてきた。手術を勧められたが、ピアノを弾けなくなるのが心配で、避けてきた。
だがスタジオに入り、ピアノの前に腰を下ろすと一変した。力強く鍵盤を操り、英語で米国人スタッフに厳しく指示を飛ばす。ライブ用のビデオ撮影は、深夜から明け方近くまで続いた。
今回の取材はもともと2年前に予定していた。しかし、突然の体調不良で入院、延期になっていた。
「当時は胃腸を壊し、うずくまってしまうような毎日だった」。精密検査も受けたが、原因は不明。「いろいろ停滞していた」。それが今は、クラシックで初の世界ソロツアーなどを次々にこなす。
1980〜90年代に一世を風靡したX JAPAN。そのリーダーでピアニスト、ドラマー、作詞・作曲家、音楽プロデューサーと何役もこなしてきた。90年代にかけて、「Tears」「Forever Love」「紅」などヒット曲を連発した。
しかし、バンドの絶頂期は終わりを告げる。看板ボーカルのToshl(トシ)が97年、突如脱退。X JAPANは解散に追い込まれた。自己啓発セミナーの団体による「洗脳」が原因と言われた。97年末の解散ライブ以降、Toshlとは何年も口をきかなくなる。
98年5月には、一番の盟友だったX JAPANのギタリスト、HIDEが急死。10歳で父を自殺でなくしており、2度目の大きな喪失だった。
「何もかもドラマチック過ぎた。バンドのことを考えるのも嫌で、扉を閉めて過去のものにしたかった」
ひたすら語学特訓
99年、転機が訪れる。天皇陛下即位10年の奉祝曲の作曲を依頼されたのだ。母に背中を押されてピアノ協奏曲を作曲、天皇、皇后両陛下の前で弾き、歓声を浴びた。
「あの依頼がなければ、もうステージには上がっていなかったと思う」
以降、アーティストとしての意欲を取り戻していく。バンド時代に始めた海外活動を本格化させた。英語も猛勉強、今も一日1時間はレッスンを受ける。人脈作りのため、イベントにも足を運んだ。
「周囲が自分を知らないというのは、楽しかった。またイチから頑張れる、って」
ライブ活動や作曲を続け、2011年に大きなチャンスをつかむ。米アカデミー賞の前哨戦、ゴールデングローブ賞のテーマ曲を依頼された。ロサンゼルスに長年住む映画ライター中島由紀子の紹介で、同賞を主催するハリウッド外国人記者協会の記者たちと親しくなり、ホームパーティーに招かれた。そこで出会ったのが、まもなく同協会の会長に就くベテラン記者、アイーダ・タクラ・オライリーだ。親しく話していると、彼女から「テーマ曲、書かない?」と持ちかけられた。
翌日、「YOSHIKIに一目ぼれした」と興奮気味に話すオライリーの姿を、中島は今も覚えている。「なんてカリスマ性のあるアーティストなの! 彼のような人を放っておく手はない」
YOSHIKIは依頼を快諾、作品が授賞式会場で流れた。
「一寸先は闇」
中島は、あるイベントで目を見張った。YOSHIKIがハリウッドの大物、スタン・リー(91)と現れたのだ。リーは「スパイダーマン」などスーパーヒーローの原作を手がけた著名編集者・プロデューサーだ。記者の間でも「スタンの隣の彼は誰?」と話題になった。
「2〜3年前にパーティーで会い、好感を持ったよ。コンサート映像も見たが、彼のような才能の持ち主はなかなかいない」。そう称賛するリーは11年、YOSHIKIを主人公にしたミニコミック「ブラッド・レッド・ドラゴン」も企画、出版した。
「ステージを降りると、穏やかで品が良くて礼儀正しい。だからこそ、大物に好かれるのでは」と中島はいう。
「でも、プライドがズタズタになることの繰り返しだった」とYOSHIKI。12年4月、全米最大のハードロックの祭典「ゴールデン・ゴッズ・アワーズ」で、X JAPANがアジア初の最優秀インターナショナルバンド賞を受ける。授賞式の直前、報道陣が待ち構えるレッドカーペットで記者に呼び止められた。「質問したいから待ってて」。そこへ「大物スター」が現れ、後回しに。約20分、立って待ち続けた。結局、記者から出たのは「時間だし、やっぱりいいや」の一言だった。
「それでも、世界で挑戦してるから甘えてられないなって。最近ようやく、多少のことがあっても苦を苦と思わなくなった。原動力にもなるな、って思えてきた」
Toshlとの「断交」も、約10年の時を経て雪解けに向かった。08年には東京ドームでX JAPAN再結成コンサートを成功させた。リハーサルでYOSHIKIはToshlに繰り返した。「一緒にやっていこう。何でも力になる」。Toshlが新著「洗脳」(講談社)で明かした。10月にはToshlらとニューヨークでライブの予定だ。
「ずっと捨て身で生きてきた。アーティストって一寸先は闇」。そう言うYOSHIKIに「これから」を尋ねた。
「最近、家族を持つことを考え始めた。守るものができるって幸せなんだろうなって。そういう年になったのかな」。はにかみながらほほ笑んだ。(文中敬称略)
自己評価シート
YOSHIKIさんは、自分のどんな「力」に自信があるのか。編集部があらかじめ準備した10種類の「力」に順位をつけてほしいとお願いしたところ、「行動力」「独創性・ひらめき」「運」を1位にするランキングをいただいた。
「何となくひらめきで、本能的に動いちゃう。野性の勘はすごい」と自己分析する。「英語は全く話せなかった」状態で渡米した。しかし、持ち前の「集中力」と「持続力」で猛勉強、今や欧米メディアからのインタビューを難なくこなす。
ライブでは激しく動き回り、観客席に飛び込むこともいとわない。それだけに「体力」が最下位とは意外だ。「気合でもってるだけで、体力には自信ないんですよ。気力はあるのでマラソンはします」と笑う。
MEMO
ピアノ…タップダンサーだった亡き父に4歳で買い与えられたピアノが原点。毎月買ってくれたクラシックアルバムを聴いて育った。ピアノは今も1日2〜3時間は練習するが、両手に故障を抱え、8時間以上はドクターストップがかかる。
美肌法…間近で見てもつるつるのお肌。「たばこやビールは何年も前にやめ、赤ワインを飲み始めてから一気に肌が若返ったんですよ」。たばこは母の誕生日に「やめて」と言われて以来、吸っていない。健康のため普段は野菜やチキン中心の食事だが、週に1日だけ、カレーやピザなど好きなものを食べる。
文・写真
文・藤えりか
1970年生まれ。経済部、ロサンゼルス支局長などを経てGLOBE記者
写真・鈴木香織
写真家。ロサンゼルスを拠点に、ハリウッド俳優やミュージシャンのポートレートなどを撮影