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宗教の檻の中で育つ NYから

[第226回]宮家あゆみ

Photo:Nishida Hiroki

『Educated』は、宗教上の理由で学校に一度も通ったことのなかった女性が、英国ケンブリッジ大学で博士号を取得するまでを綴った回想録だ。著者のタラ・ウェストオーバーは、アイダホ州の山麓に住むモルモン教原理主義者の両親のもと、7人きょうだいの末っ子として育った。前文にも記されているが、本書はモルモン教を批判するものではない。彼女の父親が極端な原理主義的信仰の持ち主だったという特殊なケースである。


タラの生い立ちは過酷だ。父親は自らを預言者とし、家族のすべてを決定していた。政府を敵とみなすサバイバリスト(生存主義者)であり、来るべき世界滅亡を信じ、食料や燃料を蓄えていた。家族が大怪我をしても病院には行かせず、自然療法で対処した。


タラには出生証明書がなく、政府に洗脳されるという理由で学校にも通えなかった。家庭で学んだのは、19世紀のモルモン教教典を読むことだけ。10代になると父親の廃品集積場でスクラップ収集の仕事を始めた。兄のひとりからは虐待を受けた。やがて、家計を助けるために町でアルバイトを始めたタラは、自分がいかに特殊な環境にいるかを知る。別の兄の勧めで独学で受験勉強し、17歳で大学に入った。


入学後は自分の無知を思い知らされた。ホロコーストの存在や、ヨーロッパが国ではなく地域であることを初めて知った。タラの心に新しい価値観が芽生えていく。心理学の授業では父親が双極性障害ではないかと考えるようにもなった。歴史学の教授は彼女の聡明さと学業への情熱を見逃さなかった。


博士号取得のため英国に渡ったが、ついに両親と自分の考えのちがいに折り合いをつけることはできなかった。タラは恥と罪と裏切りの意識に苛まれ続ける。


本書は自らの意思と努力で大学に進学した女性が、教育によって自分自身を発見していく成長の物語だ。凄惨な経験が語られるが、著者の口調は快活で、感傷的なところはない。米社会の都会と田舎の格差について考えさせられる点は、昨年のベストセラー、J・D・ヴァンス著『ヒルビリー・エレジー』と同じだ。


表題「Educated」とは「教育を受けた者」という意味だが、それは著者の誇りのようにも、両親からの批判のようにも聞こえる。



(次ページへ続く)

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