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あるイラク系移民に託された、予期せぬ役割の話

ニューヨークタイムズ・マガジンから 更新日: 公開日:
Illustration: Melinda Josie/The New York Times

An Iraqi Immigrant's Unexpected Role 

すべてのナンセンスなことが起こる前、私はイラクに住んでいた。夫のイブラヒムと私がモスルを離れたのは1968年。彼の政治的経歴のせいもあったが、2人とも先へ進みたかった。夫が整形外科医としての地位を確立するには最も優秀な医者のもとで勉強するに限る。そんな医者はアメリカにいるのだった。私たちはかつて夫が研修医として勤め、同郷の知り合いもいるクリーブランドへと移ることにした。

モスルを離れるということは、生活を一からやり直すということ。夫は診療所を閉め、再び研修医のように器具を握ることを受け入れなければならなかったし、私にとってもそれは、エリート女子小学校の教師というキャリアを終えることを意味した。

ちょっとしたことが不安でもあった。食料品店に行くのもスーク(イスラム圏の市場)に行くのとは勝手が違った。雪が襲ったある日、車もない、食べ物もない私は息子たちに厚着をさせスーパーマーケットの「Piggly Wiggly」をまねた店へと向かった。まさかなイスラム教徒である私が、夕飯の買い物で「pig」と名のつく店に足を踏み入れることになるなんて。

ともあれ私はラップに包まれた冷凍肉のケースに囲まれていた。どれがイスラム教徒に許された「ハラール」肉なのか、できる限り考えたつもりだ。でも雪の中、カートを引きながら「私はなぜここに? 神様、私にどうしろと?」という思いしかなかった。

夫がニューヨーク州北部にある整形外科の欠員を埋めることになったときは気持ちが沸いた。でも、モスクもなければイスラム教徒の学校もなく、コミュニティーもない土地では、何もかもが地元へ帰れと言っているようだった。

ニューヨーク州に住み始めてから少し経った頃、同じくイスラム教徒である夫の医者仲間から一本の電話があった。「アルシンジャリさん、先生に伝言をお願いしたいのですが」「ええ、どうぞ」。夫の仕事の電話を受けることには慣れていた。「注文に少し変更があったとお伝えください。市場の人からも確認の電話があると思います」。そう言って、電話は切れた。 

言われた通り電話はあった。「先生は今週、お忙しいですか? 牛肉のサイドと後ろの部位を余分にお願いしたいんですが、仕入れるのが……」「牛肉?」。私は混乱して、話を遮った。「そんなにたくさんどうしろと?」「注文があと2家族分増えたんです」。電話の主はそう説明した。

彼女が何を言っているのか、やっとわかった。外科医である夫は、鋭利な器具の扱いには自信があるし祈りの言葉も知っている。どうやら彼はこの地域のため食肉をハラール処理するという業務を買って出たようだった。しかし、キルクーク警察署長の娘で、スレイマニアのイラク軍司令官の孫である私は、教師として外交官や知事のご令嬢たちを教えたのだ。

「私はアクタル・アルシンジャリよ」。思わず大きな声で言った。「アルシンジャリ医師の妻ですよ? 外科医のアルシンジャリの!」「はい、奥様」「お宅のお店にも何度も行っています」。相手は無言だった。「私は、肉屋の妻ではありません」。そう言って受話器を置いた。

今となっては笑ってしまう高飛車さだが、当時はまだ、根を下ろすことにしたこの街は、かつての暮らしと何の関係もないのだとやっと気づき始めたところだった。私たちが成功した医者と30年のキャリアがある教師という存在になるには時間が必要だったのだ。はじめは、まだそういう役割を担っていなかったのだから。あの日の私は怒りに満ちていた。でも確かに、夫を肉屋として必要としている人がいた。だとすれば私は、「肉屋の妻」になるべきだったのだ。

(語り手 アクタル・アルシンジャリ、執筆 シンシア・アグスティン、抄訳 菴原みなと)©2017 The New York Times

 

Akhtar alSinjari

76歳。現在は一線を退き、ニューヨーク州のイスラム協会フィンガー・レイクス・スクールの会員。

 

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