先輩里親の体験を聞くことは、里親に関心を寄せる人が自分事として考える機会にも、そしていま実際にこどもに向き合い奮闘している里親が自らを客観視できる機会にもなります。里親3年目で小学1年生のこどもを養育中の菅原康弘さん・千春さん夫妻(東京都在住)が、日ごろ感じていることを里親歴30年で12人のこどもを育てた石原京子さん(富山市在住)にオンラインで聞いてみました。里親にはどんな悩みがあるのか。里親にどんな喜びを感じているのか。本音を探っていきます。

いつ里親になりましたか?

菅原千春さん(以下、千春さん):今日は先輩里親の石原さんに、いろいろ伺えることを楽しみにしています。早速、知りたいのは里親になる年齢のこと。私たち夫婦は血縁にはこだわらず、体力のあるうちに子育てを始めたいと思ったので、30代で里親登録しました。石原さんも30歳前後で登録されたそうですが、登録に至った理由を教えていただけますでしょうか。

石原さん:私は23歳で結婚したのですが、里親について考え始めたのは結婚前です。首都圏の児童養護施設で働いていたときにいろいろな問題を抱えているこどもたちと出会い、施設出身者を支える社会の仕組みがないことに気づいたんですね。そこで「里親になればこのようなこどもの支援ができる」と考えました。

こどもたちが社会と関わって働いて、隣近所と付き合う家族の中で普通の暮らしができれば、彼らにとって里親が実家のような役割を担うことができるとも思いました。もともとは20代で2人出産し、30歳で里親になりたかったんですね。でも、30歳目前になっても子宝に恵まれなかったので、結婚後に働いていた保育園を退職し、里親登録しました。実際に里親に初めてなったのも30歳前後です。

石原京子さん
石原京子さん

菅原康弘さん(以下、康弘さん):若くして里親になられたのは、そのようなきっかけがあったからなんですね。私たちは最初、民間の特別養子縁組あっせん団体の話を聞きに行ったのですが、児童相談所(以下、児相)で里親制度について知り、特別養子縁組よりは養育里親の方がしっくりくる気がしたんです。私たちは2人とも東北出身で実家は近くにありません。養育里親でもさまざまな社会資源が使えるので、自分たちに合っていると思いました。

石原さん:ライフスタイルに合わせることは大事ですね。

千春さん:まだまだ若い年齢の里親は少ないみたいで、私たちも地域の里親会ではいつまでも若手です。

菅原康弘さん・千春さん夫妻
菅原康弘さん・千春さん夫妻

いまと昔、里親の認知度は

康弘さん:いまも里親は世間的にそれほど認知されておらず、「特別な存在」と思う人もいます。石原さんが登録したころはどうだったのでしょうか?

石原さん:40年前も今も変わらないと思います。我が家は「こどもの名字を大事にしたい」という思いがあり、玄関にはたくさんの名字の表札が並んでいました。そういったことから「親子関係が他の家庭とは違う」と見られていたかもしれません。

千春さん:里親制度の認知度は、まだ高くないですよね。「里親って何?」と聞かれることも多々あります。幼稚園や小学校ではうちの子が初の受け入れケースでしたから、先生にも制度についていろいろと話しました。家族でも、実家の父は当初はあまり理解できなかったようです。でも時間が解決策となり、いまではすごく可愛がってくれています。

石原さん:私は近所とも付き合いはありましたけれど、里親だからといってあれこれ言う人はいなかったように思います。実家の両親は「あなたにできるの」と思っていたようですが、心配する気持ちがあってのことだと思います。だからこそ、そう思われることも覚悟で里親になることも必要ですが、一緒に暮らせば「なるようになる」とも思います。

石原さん
石原さん

学校には、包み隠さず話す

千春さん:学校生活については、いかがでしたでしょうか。うちの子は学校でも菅原の名字(通称名)を名乗っていますが、教育委員会の書類などは生みの親の名前(本名)が書かれていることがあります。名前が呼ばれる学校行事の前には電話して「気をつけていただけますか」とお願いしたこともあります。ですので、学校には包み隠さず話しています。石原さんの場合はどうだったのでしょうか?

石原さん:学校には里親家庭であること、保護者である私たちとは苗字が違うこと、児相が関わっていることを最初に話しました。また、苗字が違うことでからかったりする同級生に知ってほしいと教員に手紙を託したことがありました。「委託児童になったのはこどもの責任ではない。里親制度は児童福祉法の制度である。私たちは実の親ではないが親としてこの子のそばにいる」と書きました。このような声をあげることも周りの理解につながり、幸せな学校生活を送るためのひとつになるのではないでしょうか。

子育ての大変な時期は? 里父・里母のありかたとは

康弘さん:幼児から18歳までの子育てでいつの時期が一番、大変でしたか? うちのこどもはまだ7歳ですが、私たちのイメージとしては「やはり思春期は大変なのだろうなぁ」と思っています。

石原さん:想像通り、思春期は大変です。でも我が家は複数養育で年齢の近い子が何人かいたので、こども同士で話すことで思春期特有の悩みも少しは解消できていたと思います。それに寝静まった後に降りてきて、私に自分のことを話したりもしていました。ここは実子の場合でもあまり変わらないかもしれませんね。

康弘さん:思春期のころですと自立支援という視点も必要になってくるんですよね。

菅原康弘さん
菅原康弘さん

石原さん:我が家はこどもたちが家事を分担していました。自分で身の回りのことをできるようになるためのトレーニングです。「今日のおかず、おいしかった」などと誰かが言うと、「作ったの、俺!」などと言って、褒められた子はとてもうれしそうでした。

一方で思春期のときにも大事なのは、やはり夫婦の連携プレーです。たとえば、父親に厳しく言われた後は母親がフォローするなどが必要です。菅原家はどうですか?

康弘さん:妻からは「(こどもの)お兄さんみたい」と言われています(笑)。なかなかビシッとは言えないし、たまに厳しく言うと泣いてしまうので甘やかしていました。しかし、最近は私が厳しく言うと反省するので児相の担当者から「いい傾向です」と言われました。時には親としての威厳を見せていきたいと思っているところです。

石原さん:本当にその通りかと思いますね。

康弘さん:こどもが小学校に入り、委託期間の終わりを意識するようになりました。18歳まで我が家にいるとしたら、あと11年です。自立できるように育てなければいけませんね。

一緒に過ごすいまの時間を大切に

千春さん:こどもの相手をするのは体力が要りますし、思い通りにいかず、疲れることも多いです。石原さんは日々どのように過ごされていましたか?

菅原千春さん
菅原千春さん

石原さん:私が住む富山は自然豊かです。休日は庭仕事を一緒にしました。土に触れ、植物が育つ過程を共有することを大切にしました。トマトを収穫し、秋に植えた球根が春に花を咲かせるのを見るとうれしそうでした。我が家には薪ストーブがありますので、薪を割って運んで。その後は暖炉の炎を囲んでテレビを見たり、お茶を飲んだり……。普段通りのことを一緒にする時間が、かけがえのない時間になると思います。

千春さん:私はこどものころ、親よりもきょうだいと遊ぶ時間を過ごしてきたので、一人っ子と過ごす時間を「どうしたものか」と思うことがあります。

石原さん:いまの時間が大切ですよ。大きくなったら「あんなにベタベタしていたのが懐かしい」と思います。いまは大変だと思いますが、離れていくのは早いです。小学校3、4年生になると友達のところに遊びに行ってしまいますからね。

康弘さん:うちの子はアウトドアが好きで、昆虫などの生き物も大好きです。家でも時間があると昆虫図鑑などを読んでいます。妻の故郷の秋田に行ったときは雄大な自然があって、裏山には虫やモグラがいるのを喜んで見ていました。

石原さん:東北のご実家では、ご両親がこどもと遊んでくださるのではないですか。

千春さん:そうです。こどもは実家にすぐ馴染んでくれました。両親はとても可愛がってくれます。こどもはそれに存分に甘えていて(笑)。そのうち、1人で私の実家に行きたがるかもしれません。行かせてあげたいけれど、私がさみしいかも。2、 3日ならいいですかね。

菅原さん夫妻の息子はいま、昆虫や写真を撮ること、ゲームに夢中
菅原さん夫妻の息子はいま、昆虫や写真を撮ること、ゲームに夢中

こどもを受け入れるということ

康弘さん: いま、考えているのは複数養育のことです。1人を養育して3年が経ち、いま7歳になったところで「もう1人」とも思いますが、タイミングが分かりません。石原さんが2人目を受け入れた時期と複数養育されるに至った理由を教えてください。

石原さん:私の場合はタイミングを考える間もなく、2人目と3人目が一緒にやってきました。当時、私たち夫婦は神奈川県に住んでいたのですが、児相から「近所に見てきてもらいたい家庭がある」と言われました。児相職員の代わりに現場へ行くなんて、いまは考えられないことですよね。

伝えられたアパートに行くと母親が家を出ていて数日経過し、病気の父親とネグレクトのこども2人がいました。その子らをそのまま受託することになったのです。我が家はこうして複数養育になったのですが、元々いたこどもはその子たちに「お兄ちゃん」と言われて喜んでいました。

千春さん:我が家ではこどもとも「新しい家族がほしいね」と話し合っています。相談することでこどもが「自分も家族の一員としてこの家にいられる」と安心してくれているようです。いま、うちの子が7歳なので、年下がいいと思っています。複数養育の場合、里親と委託された子、またこども同士の相性の良し悪しも気になります。

石原さん:多くのこどもを育てるなかで、相性が悪いケースもありました。ただし、私たちはその子に対して何ができるかを考え、実行することに努めました。こども同士でけんかをすることもありましたし、口に出すことができないこどもが壁を殴って穴を開けてしまったということも。

しかし、黙っているよりも感情を表に出してくれる方が、問題点がはっきりするのでいいです。抱える問題はいろいろです。こども同士で打ち明けあって解決できるかといえばそうではありませんが、「皆、何かを抱えている」と理解し合うことは救いになっていました。

木彫作家としても活動する石原さん。壁にはこどもたちの写真が並ぶ
木彫作家としても活動する石原さん。壁にはこどもたちの写真が並ぶ

康弘さん:こどもはこどもでいろいろなことを考えていますよね。うちの子が来たのは4歳になる直前で、「なぜ自分はここにいるのか」「ずっとここにいても良いのか」など、言葉を変えていろいろ聞いてきました。私たちはごまかさずに答え真実を伝えるようにはしています。石原さんは本格的な真実告知はどのようなタイミングで、どのように伝えましたか?

石原さん:1歳2カ月で受託した子が4歳になったころ、保育所から帰ってきて「お母さん、僕は本当の子ではないの? 本当のこどもでないと可愛くないの?」と聞いてきたことがありました。私はこどもを膝にのせて、生みの親は別にいることを話しました。父親が病気であることや母親が既に新たな家庭を持っていることも。

我が家にいるきょうだいも同じだと言いました。「どの子にも2人ずつ父と母がいて、生みの親は側にはいない。けれど里親とあわせて4人の親が見守ってくれている」と話しました。4歳なりに理解してくれたようです。上の子たちが「お前が一番、可愛がられていてうらやましいね」と言ってくれました。誰かに言ってもらえると安心感が増すかもしれません。菅原さんは真実告知にあたり、葛藤はありましたか。

千春さん:言葉を選びつつも、うそなく伝えました。こどもは年齢が上がるごとに言葉を変えて聞いてきます。かみ砕いてわかりやすいように伝えるようにしています。

「先輩里親からの話はとても勉強になります」と話す菅原さん夫妻
「先輩里親からの話はとても勉強になります」と話す菅原さん夫妻

自立したこどもと里親の関係性

千春さん:こどもが自立して我が家を出て行った後の経過や、その後の里親との関係も気になります。石原さんは自立したこどもとの関係はどうでしょうか?

石原さん:委託期間が短い子や県外に行ってしまった子はその後、連絡が途絶えていることもあります。自立した後、成人してからしばらく我が家で暮らし、何年かして自立していく子もいます。その子にとって自立のために必要な時間を過ごす場所があるのが里親家庭の良さだと思います。

富山県内にいる子たちは頻繁に顔を見せてくれます。結婚するときには私たちが親代わりを務め、里帰り出産をし、こどもの習いごとの送迎をしたこともあります。毎年、正月には県内にいるこどもと、その家族20人ぐらいが集まります。委託されたこどものこどもは孫みたいなものです。その“孫”たちは「いとこだ、いとこだ」と言い合っています(笑)。

千春さん:巣立った子が実家だと思って会いに来てくれるのが理想ですね。

里親としての生きがいとは

康弘さん:石原さんの里親としての生きがいは何でしたか?

石原さん:里親のときは無我夢中です。こどもの成長を見守ることができたのは幸せでした。苦労したのは里親よりこどもの方だったと思います。苦労を乗り越えて仕事を持ち、家庭を築き、こどもを育てている姿は私たちの誇りです。また、“孫”の成長や未来に大きな喜びを感じています。幸せにできなかった子もいると思います。ただ、私は平凡な人間なので、そういう子たちに対しては「ごめんね」と言うしかありません。

千春さん:気負いすぎないことが大切ですよね。

石原さん:里親は一人ひとり違います。こどもたちも。無理せず、自分らしく、困ったときには児相や里親仲間や友人に相談し、使える社会資源は使いましょう。委託されたこどもを丸ごと受け入れ、変わらない愛情を注ぎ続けることができるのが里親です。里親が幸せであれば、こどもも幸せなのではないでしょうか。


石原京子さん

いしはら・きょうこ/1947年、鹿児島県生まれ。首都圏の障害児施設や児童養護施設の職員を経て結婚ののち、77年に神奈川県で里親登録。80年に富山市へ移住し、12人を育てる。60歳を契機に里親を引退し、2010年から4年間は富山県里親支援機関で相談業務にあたる。木彫作家としても活動し、日展や日本新工芸展に出品。


菅原康弘さん・千春さん夫妻

すがわら・やすひろ/1986年、山形県生まれ。24歳で千春さんと結婚し、2018年に東京都で養育里親に登録した。里親制度の認知度を高める活動に意欲を燃やしている。

すがわら・ちはる/1979年、秋田県生まれ。これまで学童保育の仕事や障害者福祉に携わってきた。里親になったのは39歳のときで、現在は主婦として家事・育児に専念。子育てに決まった正解はないのでは、と自分らしい子育てを模索中。