「どうにもならないところは受け入れつつ、愚痴りながらやっていく。きちんとやるに越したことはないけれど、なんでも“きちんと”は難しい。頑張り過ぎなくていいんじゃないかな」。そう話すのは、神戸市の野口啓示さん(51)。野口さんは、妻の婦美子さん(58)とともに2003年、勤務先の児童養護施設の分園として「野口ホーム」を始めました。16年にはファミリーホーム(※)に移行。分園時代からの約20年間で育てたこどもは19人に上ります。多くのこどもたちと信頼関係を築いてきた野口さん夫妻が、頑張り過ぎずにこどもと向き合い続けることの大切さを教えてくれました。

※里親家庭を大きくした事業。里親や乳児院・児童養護施設職員経験者の自宅等で補助者も雇い、より多くのこどもを養育する。

夫婦でファミリーホームをしてみたい

道幅2メートルもないレトロな商店街が名物の神戸・塩屋。野口ホームが建つのは、商店街を抜け、細い坂道を上っていった先です。野口さん夫妻は、豆腐屋さん、八百屋さんをはじめ、いろいろな人たちと言葉を交わしながら歩いていきます。その中には、夫婦の活動を支えてくれている人も。ちょっとした会話に、温かさがにじみます。

野口ホームのリビングルームに入ると、壁に「NOGUCHI HOME」と刺しゅうされた手作りのボードが飾られているのが目に入ります。これは野口ホームで育った、ある女の子がプレゼントしてくれたもの。でも、そうした関係性に至るまでには、社会福祉学について海外でも学び、児童福祉の現場を知り尽くした啓示さんでも容易には越えられない、人と人の壁を感じる経験もあったのです。

可愛い刺繡がリビングの壁を飾っている
可愛い刺繡がリビングの壁を飾っている

日本とアメリカの大学院でソーシャルワークについて学んだ啓示さんは1999年、現場でこれまでの学びを実践しようと、神戸市で児童養護施設や乳児院を運営する社会福祉法人「神戸少年の町」に就職しました。そこで出会ったのが、保育士として働いていた婦美子さんです。

啓示さんと出会う前から、こどもにとってよりよい環境づくりや関わり方を模索していた婦美子さん。大人数で生活する施設では、思うような家庭的な環境を与えられないことが気がかりだったといいます。こどもたちが自宅や里親宅で外泊するのは、正月とお盆のときだけでした。しかし、そのころには社会的養護の現場において、施設に入所するこどもたちと親とが適切な関係性で再構築をはかろうとする「早期家庭復帰」の動きが広がってきます。完全に家族の元へと戻るだけではなく、時々でも帰宅したり、家族の絆を再確認できる「面会」をしたりといった、さまざまな形で家族の再統合を試みるように。すると、施設でもこどもたちの状況に違いが出てきました。

野口啓示さん
野口啓示さん

「月に1回家に帰れる子とまったく帰れない子、親と面会する機会がある子とない子。親との関係ができているこどももいる一方で、0歳から18歳まで施設で育ち、家庭がどのようなものかを知らないこどももいました」(婦美子さん)

もともと里親に関心があったという婦美子さん。施設が地域で開設した少人数制の分園に、他の保育士と交代で泊まり込み、こどもたちの世話をしていました。そんな中で啓示さんと出会い、2000年に結婚したのです。

婦美子さんはいったん施設を退職し、啓示さんと夫婦としての基盤を作っていきましたが、こどもは授かりませんでした。婦美子さんが施設に復職することになったときに考えたのが、少人数のこどもを家庭的な環境で育てるグループホームの運営です。2人が理想としたのが、アメリカ・ネブラスカ州の児童福祉施設「ボーイズタウン」でした。

野口婦美子さん
野口婦美子さん

「ボーイズタウンでは、広大な敷地内で数十組の夫婦がそれぞれの家で養育者としてこどもを育てていました。また、日本でも夫婦で児童自立支援施設や児童養護施設を運営している人たちと仲良くなり、夫婦単位で(社会的養護が必要なこどもを)育てるところに良さがあるのだろうなと思い始めました」(啓示さん)

「私もボーイズタウンの取り組みにはロマンを感じていました。そしてこれから夫婦としてどう生きていくかを考えた時に、家庭を求めているこどもたちと一緒に家庭を作っていきたいと思ったのです」(婦美子さん)

施設側も2人の考えを受け入れてくれました。こうして03年、施設の分園として「野口ホーム」がスタートしたのです。

こどもが自立した後に、帰ってこられる場所にしたい

啓示さんは、日中は施設で家庭支援専門相談員として働き、夜は野口ホームに帰宅。その後は施設長に就任しました。

野口啓示さん・婦美子さん夫妻

たとえ血がつながっていなくても、野口ホームが施設を出て行ったこどもたちが帰ってこられる家に、こどもの“実家”になれればいい――。そう考えていた2人は、職員が交代で野口ホームを運営する案が出てきたタイミングで話し合い、16年に施設を退職。同時に里親登録をし、施設の分園だった野口ホームを、ファミリーホームに移行しました。その時に野口ホームで暮らしていたこどもたちは、本人や血縁関係のある家族、施設に意向を確認したうえで、施設からファミリーホームへの措置変更がなされました。

無視されても、普通に声をかけ続けた3年間

子育ては、決して楽しいことばかりではありません。学校に行きにくくなり、スマートフォンに依存して引きこもってしまったこどももいました。しかし2人は冷静に、粘り強くこどもに向き合ってきました。

「子育てで失敗はないと思っています。だってこどもが“失敗作”になってしまうでしょう。『あの時こうしておいたら良かった』ということもありません。そう思うのなら、現在で努力するだけです」(啓示さん)

ある時、以前に勤めていた施設の他の分園が閉鎖することになりました。そこで養育されていたこどもたちを他のホームに移さないといけなくなりました。野口ホームには中学3年の女の子を受け入れることに。本人も納得していましたが、しばらくすると、女の子は啓示さんとだけ話さなくなりました。

婦美子さんは手作りの絵本でこどもたちへの思いをつづる。手描きの絵本(左)と製本されたもの(右)
婦美子さんは手作りの絵本でこどもたちへの思いをつづる。手描きの絵本(左)と製本されたもの(右)

「何回か『俺が悪いところがあったら直そうか』と歩み寄りましたが、しゃべらない理由を聞いても『自分で考えたら』としか言われなくて。なんぼ考えても分からへんから、考えるのをやめました。そこから普通にしようと決めて、返事がなくても話しかけていました」(啓示さん)

女の子は、婦美子さんやホームに住む他のこどもたちとは普通に会話していました。啓示さんだけを徹底して無視し続けたのです。

「周りもけっこうしんどかったです。でも、彼女の兄に相談したら、『うらやましいわ』と。『俺は思春期に施設で反抗できなかったけど、妹がそこで反抗させてもらっているのならありがたいわ。ありがとう』と言われました」(婦美子さん)

それから約3年後のある日、啓示さんは、高校3年生になった女の子から、突然「話があるんやけど」と話しかけられました。婦美子さんを交えて話を聞くと、彼女の口からは思いがけない言葉が飛び出しました。

「彼女が『ごめんなさい』と。『普通に行ってらっしゃい、おはようと言ってくれたからうれしかった』と言われました。彼女なりにいろいろ考えたのでしょうね。彼女自身の力で、状況を変えてくれました」(啓示さん)

野口啓示さん・婦美子さん夫妻

「もう夫婦で泣きましたよ。ワインで乾杯して、主人に『よう頑張ったな』と言って。『もうやめよう』と里親をやめてしまっていたらそこで終わっていたけど、一緒に生活し続けてきたからその日があった。里親のいいところだなと思いました」(婦美子さん)

翌朝から、啓示さんと普通に話すようになった女の子。その子が大学受験に合格し、ホームを出ていくときにプレゼントしてくれたのが、「NOGUCHI HOME」と刺しゅうした手作りのボードだったのです。

しつけも大事だが「楽しい時間を共有したい」と思うように

野口さん宅の玄関には、夫妻とこどもたちとの写真が飾られています。分園で初めて受け入れたこどもはもう30代。その次の世代のこどもは20代になりました。現在は、大学生から小学生まで3人のこどもを育てています。時を経て、夫妻の子育ての方法も変わってきました。

「昔はしつけをきちんとして、勉強もさせなあかんという感じで関わっていました。そういうことも大事でしょうが、いまは、それよりも『楽しいことを共有したらいいんじゃないか』と考えています」(啓示さん)

野口さん夫妻は毎年、こどもたちと高知県馬路(うまじ)村に行きます。里親として受け入れたこどもは20代となってすでに結婚し、それぞれの配偶者やそのこどもも一緒に参加するようになりました。啓示さんはキャンプや川遊びの写真を見せながら、うれしそうに話します。
「なんかもう、家族でしょ。こういうことができるようになるんやなと」

こどもと絵本を読む野口婦美子さん

「1日1日暮らしてきて、本当に家族になっていけているなと思います。黙っていても家族になっているのではなくて、父の日や母の日、こどもの誕生日、敬老の日にお祝いするなど、ちょっとずつ意識しているから、家族になれたのではないでしょうか」(婦美子さん)

里親やこどもに伴走するシステムを作りたい

しかし、里親を続けていくためには、こどもたちとの絆の構築だけでなく、現実的な課題もクリアしていかなければなりません。野口さん夫妻が、ファミリーホームを始めて最初に感じたことは、里親への支援がもっとあっても良いのでは、ということでした。児童養護施設などの場合は、こどもたちの交通費などの面で公的援助があったり、民間からの贈り物や寄付などがあったりと、日常のいろいろな面でサポートがありますが、里親にはそうしたサポートはありません。野口さん夫妻は17年、これまでの経験を生かし、そうした里親や里親家庭に委託されているこどもをサポートしていこうと、NPO法人「Giving Tree」を設立しました。

商店街を抜けたところに「Giving Tree」がある。そこには、「子育てサポートセンター」と記されている
商店街を抜けたところに「Giving Tree」がある。そこには、「子育てサポートセンター」と記されている

「ファミリーホームになったときに、里親は守られていないなと感じました。自立するときのスーツなど施設のこどもたちが受けられる支援を、里親家庭で育つこどもたちが受けられないケースもあって。『力になりたい』と言ってくださる方もいたので、NPO法人を作って、こどもたちを支援するための寄付を募りました」(啓示さん)

「Giving Tree」では、里親を対象にした相談事業や、集まった寄付金で若者たちに私立高校入学準備金やスーツ、成人式の振袖などにかかる費用を助成する自立支援事業などに取り組んでいます。野口ホームで育ったこどもも、スタッフの一員として若者の自立支援に関わっています。

「Giving Tree」の新しい事務所。目下準備中
「Giving Tree」の新しい事務所。目下準備中

「里親にもこどもにも、サポートは絶対必要です。里親やこどもに伴走するシステムを作っていかなければいけません。また、里親には里親独自の問題を分かり合える、“里親の友達”を作ってもらいたいですね。私も里親会などでいろいろと聞いてもらったことで、すっきりした気持ちになることができていました」(啓示さん)

「Giving Treeでも里親とこどもたちが横につながれたらいいと思っているんです。こども同士でつながっていれば、大きくなってから、親を通さずに相談し合うこともできます」(婦美子さん)

不安ばかりを募らせずに、まずやってみてほしい

里親制度に興味はあっても、二の足を踏んでしまう人もいます。婦美子さんは、そんな人たちにこんなメッセージを送ります。

野口啓示さん・婦美子さん夫妻

「やらずにいると不安ばかりが募るので、やってみたらどうでしょうか。週末里親でもいいし、養護施設のお祭りに行ってみてもいいんです」。踏み出してみれば、「なんかいけそう」「やっぱり無理そうだ」などと感触が分かると話します。

「施設や里親を通して、素晴らしいこどもたちに巡り会えました。人によって合う、合わないはあると思います。でも、こういう里親がいる、こういうこどもがいるということは知ってほしいですね。たとえ里親にならなかったとしても、自分に合ったスタイルで社会的養護を必要とするこどもに関わったり、理解したり、思ったりしてくれればと思います」


野口啓示さん・婦美子さん夫妻

のぐち・けいじ/1971年、大阪市生まれ。NPO法人「Giving Tree」理事長。福山市立大学教育学部教授。
のぐち・ふみこ/1964年、兵庫県宍粟市生まれ。NPO法人「Giving Tree」事務局長。
夫妻は2003年に神戸市の社会福祉法人「神戸少年の町」の分園として「野口ホーム」の運営を始め、2016年にファミリーホームに移行。分園時代から現在までに、19人のこどもを養育してきている。2017年に、里親やこどもたちを支援するNPO法人「Giving Tree」を設立した。