乳児院や児童養護施設のこどもたちを、週末や休み期間に預かる「フレンドホーム」(東京都の制度の名称)。俳優の佐藤浩市さんは、ご夫婦でこの活動に参加しています。「ハードルを上げすぎず、自分たちができる範囲のことをやるという姿勢で臨んでいます」と語る佐藤さんに、活動を通して感じたこと、そしてこどもたちへの思いについてお聞きしました。

自分たちができる範囲でやってみよう

――まず、佐藤さんが「フレンドホーム」の活動を始めたことには、どんなきっかけがあったのでしょうか。

今から4年半前、妻に「こういう制度があるのだけど、わが家も参加してみない?」と誘われたのが最初です。当時、僕には「フレンドホーム」に関する知識もなく、果たして自分にできるだろうかという不安がありました。
でも人間、時には背伸びをすることも必要です。背伸びをして足元が見えなくなるようでは困るけれども、自分たちができる範囲でやるのならいいんじゃないか――。そんなふうに感じ、妻に「やってみようか」と返事をしたのです。

――こどもたちを迎え入れるにあたっては、どんなことを心がけましたか?

いろいろ考えた末に行き着いたのは、「特別扱いはしない」ということでした。積極的に話しかけてかまってあげなきゃとか、あちこちへ遊びに連れて行かないと、など自らハードルを上げることはするまいと。こちらが身構えていたら、こどもたちだって気を使うでしょう?
とはいえ、ただ放っておくのも違うので、僕のスタンスとしては「言うべきとき、何か質問されたときに必要な言葉をかける」ということでいいんじゃないかと。もちろんそれだって簡単ではないですが、あとはもう経験のなかでつかんでいくしかない、と割り切ることにしました。

――こどもたちとの交流で、印象に残っているエピソードはありますか?

ある女の子が髪を切ったとき、「おっ、切ったの? 似合うね」と何げなく声を掛けたんです。そのときの彼女の表情が、今まで見たことのない「本当」の笑顔だったんですね。それがすごくうれしくて、「ああ良かった、こういうことを紡いでいければいいな」と思いました。

こどもたちとの交流で、印象に残っているエピソードについて語る佐藤浩市さん

ものづくりの現場から何かを感じとってもらえたら

――こどもたちとは、どのように過ごしていますか?

「フレンドホーム」では、預かるこどもたちと食事をしたり、こどもたちが家に泊まりに来たりもします。

1人暮らしをしている息子(俳優の寛一郎さん)や息子の友達も交えてご飯を食べ、進路について話し合ったりもしましたね。いたって普通のことしかしていませんが、その「普通」が特別なのだという子もいるのです。
映画の撮影現場に、こどもたちを連れて行くこともあります。昔はよく息子を連れて行きましたし、僕自身もこどものころ、親(俳優の故・三國連太郎さん)に連れて行ってもらいました。

――撮影現場の見学は、素晴らしい経験になりますね。

大人たちが働いている現場を見て、初めてわかることってたくさんあると思うんです。僕はこどものころ、周囲から「いいよね、お父さんが有名で」とか「俳優って、すごく簡単でいい仕事だね」と散々言われ、そのたびに「そんなことはないんだけどな……」と心の中で反発していました。役を演じるって本当に大変なんですよ。撮影中にケガをすることもあれば、わずか数分のシーンに1日かかることだってある。1カットのためにどれだけ多くの人間が動いて、どれだけの時間をかけてやっているのか。そういう部分は表に出ないだけなんですよね。

なので、実際にものづくりの現場を見て、「素敵だな」でもいいし「仕事するって大変なんだな」でもいいから、何かを感じとってもらえたらうれしいなと。もしかしたらそのなかで、将来役者を志す子が出てくるかもしれませんしね。

父親としての「失敗」から見直す、こどもとの距離感

――現在、寛一郎さんも役者として活躍されています。ご自身の子育てを振り返って、思うところはありますか?

いやあ、失敗ばかりです(笑)。家には仕事を持ち込まないつもりでいたのに、現場であったちょっとした出来事を、しっかり持ち帰ってしまったことも多々ありました。ただまあ、息子も同じ役者の道に進んだのでね。ダメな姿を見せることで反面教師にはなったのかな、と思っています。

自身の子育てを振り返って、思うことを語る佐藤浩市さん

――時代とともに良しとされる父親像も変わってきましたが、佐藤さんが考える「理想的な親」とは?

僕はゴルフが好きで、息子にも教えていた時期がありました。厳しくするのが正解だとばかりに、「なんでこんなことができないんだ!」と頭ごなしに叱っていたら、あるとき「もう二度とクラブを握りたくない」と言われてしまった。そりゃそうですよね(笑)。昭和だったら厳格な父親でも良かったのかもしれないけど、もうそういう時代ではないですから。
たとえばニンジンが嫌いな子がいたとして、「残さず食べ終わるまで席を立つんじゃない!」と声を荒らげたところで何の解決にもならない。そんなとき「この子はニンジンが嫌いなのか。どうしたら美味しく食べられるようになるのかな?」とちょっと考えてみることが、こどもとの距離を縮める近道になるのでは――。いまはそんなふうに思っています。

ハードルを上げすぎてもよくない

――佐藤さんが「フレンドホーム」の活動を始められて4年半。里親や「フレンドホーム」のような制度に親しみを感じてもらうには、どんなことが必要だと思いますか?

まずは制度の存在を広く知ってもらうことですよね。たとえば映画館で流すような、1~2分程度のコマーシャル映画を作るとか。彼女ら、彼らこどもたちの希望に直結するんだよ、といった、大変な中にも楽しさのようなものを感じられる伝え方があったらいいのでは、と思いました。里親というと、必ず養子縁組をしなければいけないといったように、間違ったとらえ方をされているケースもある。僕もそうでしたが、数日という短いスパンで週末や休み期間に預かることもできる、ということすら知らない人もたくさんいます。

里親制度について語る佐藤浩市さん

――そもそも里親という言葉に重みがありますしね。

そうなんですよね。「簡単ですよ」とは絶対に言っちゃいけない。けれどハードルを上げすぎて、皆が参加できなくなってもいけない。正直、僕も言葉や責任への重さから身構えていたところがありました。そんななかで、里親でなくても例えば「フレンドホーム」のような関わり方もできることを知ったのです。
「里親」という言葉の響きは重いんだけれども、入り口としては「軽く」したほうがいい。その相反するものを近づけていくには、やはり一人でも多くの人が参加して、周りに伝えていくことが必要なのだと思います。

――最後に、このインタビューを読んでいる人たちにメッセージをお願いします。

まずは「フレンドホーム」を検索して調べてもらうところから始めてくれてもいいし、何かの拍子に「そう言えば佐藤浩市が言っていたな?」と思い出してくれるのでもいい。今回、僕がこうしてお話しすることで、少しでもこの制度に興味を持っていただけたら、そして自分にも何かできることはないかと考えていただけたら、とてもうれしく思います。

インタビューを読んでいる人たちにメッセージを語る佐藤浩市さん

PROFILE さとう・こういち/1960年、東京都生まれ。19歳で俳優としてデビューして以来、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞をはじめ数多くの賞を受賞。日本を代表する名優としてテレビ、映画などで活躍している。

PROFILE さとう・こういち/1960年、東京都生まれ。19歳で俳優としてデビューして以来、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞をはじめ数多くの賞を受賞。日本を代表する名優としてテレビ、映画などで活躍している。