「120%全力投球して燃え尽きてしまわないような里親のスタイルがあってもいい」
こう語るのは、東京都新宿区で里親をしている中島善郎さん(43)です。妻の泰子さん(39)とともに、里親研修を受けて2016年10月に里親登録し、11月からこれまでに22人のこどもの養育をしてきました。里親というと、こどもが大きくなるまで育て上げるというイメージを持つ人がいるかもしれませんが、中島さん夫婦は、1年の半分を使って「短期的な里親」として活躍しつつ、「条件が整えば長期の養育里親をしてもいいかも」という選択も考えています。
共働きでもできる里親、という方法
中島さん夫婦が預かったこどもは、児童相談所が緊急性があると判断し、原則2カ月までという決まりがある「一時保護」のこどもたち18人と、別の里親が一時的に休息をとる「レスパイト」の期間に預かったこどもたち4人です。未就学児1人、小学生4人、中学生6人、高校生9人、中学校卒業後のこども2人といったように、年齢もばらばらです。
一時保護やレスパイトのための受け入れは、里親登録する際、東京都内の児童相談所から聞かれます。児童相談所は、里親登録の際のさまざまな情報をもとにマッチングしていきます。
社会的養護が必要なこどもが増える中で、虐待や家庭環境の問題で一時保護するこどもは増える傾向にあります。一時保護所、あるいは児童養護施設や乳児院とともに、里親も役割を担っています。
「立て続けに来ることがあったり、期間が空いたりすることもありますが、だいたい1年に5人ぐらい。1年の半分ぐらいの時間は、家にこどもがいるという感じですね」
「私たちは共働きなので、なるべく学校に通える中高生ぐらいのこどもを児童相談所にお願いしています」
様々なこどもを預かり、経験値が高まっていく
中島さんは、カリフォルニアの法律事務所で働いていた妻の泰子さんと出会って日本に来ることになる35歳まで、アメリカで暮らしていました。里親に登録したきっかけの一つは、そのころの経験にあるといいます。
「高校生になってから、夏休みにこどもと一緒に過ごすサマーキャンプのアルバイトをして以来、ずっとこどもと関わりのある仕事をしてきました。大学を出た後にグループホームで4年間働き、その後もこども関係の仕事を9年ほどやりました。やっていて楽しいし自分自身の充実感もある、自分に一番合っている仕事だなと思っていました」
日本では自営業の貿易商をしながら、夫婦で話し合い、里親をすることにしました。主たる養育者は善郎さん。会社員の泰子さんは、コロナ禍で在宅勤務になる前は、毎日通勤していました。
「いつかは条件が整えば長期でやろうかという話もしていますが、それ以外の経験として、いろんな年齢、性別のこどもと接したいと思っているんです。一人に絞るよりもいろんなこどもと過ごすことで経験が広がっていく感じがあります。思春期や反抗期の子がうちにくることもあるので、長期で里親をすることになった場合にその経験が生きるのではないかと思っています」
「何かしてあげないと」とがんばりすぎないことも大切
長年こどもと関わる活動をしてきた中島さんですが、泰子さんにはそうした経験はありません。こどもを受け入れ始めた当初は、力が入りすぎてしまったこともあったそうです。
「一緒に暮らしていても、こどもにとっては何もしない時間も大事だと思います。妻は最初の2年間ぐらいは、里親としてこどもに『何かしてあげないと』みたいな感じで、すべての時間をこどもと関係を持って埋め尽くすようにやっていました。それで疲れてしまったこともありました。『そこまで頑張らなくてもいいよ』と伝えました」
「例えばお弁当も毎日すべて手作りしていましたが、いまは冷凍食品も使ってストレスがないようにしています。疲れているときは『(一時保護で)次のこどもを預かるまで1カ月は空けて欲しい』と児童相談所に伝えて、リフレッシュしながら無理なくやっています」
短い期間での里親だからこそ、なるべくそのこどもの興味や関心に合わせて、やりたいこと、そのこどもが楽しめることを親子でやるようにしています。ある音楽グループが好きな子が来たときは、一緒にライブに行ったこともあるそうです。こどものプライバシーに配慮するように周囲の大人に説明しながら、一緒にホームパーティーを楽しむこともあれば、町内会の行事に参加することもあります。こどもを孤立させないためです。地域では「中島さんちの子」という感じで接してくれています。
敬語から『ねぇ、おじさん』に変わったときに喜び
短期間であっても、親と暮らすことができないこどもたちを受け入れることで、中島さん夫婦が得られたこともあります。
「なかなか伝わりにくいかもしれませんが、普通に笑ったことが一番の思い出なんです。最初の日は、みんな正座してすごく礼儀正しくて、敬語を使いますが、2週目ぐらいになるとソファで横になってマンガを読みながら『ねぇ、おじさん』と話しかけてくれるんです。スーパーに行って、変わった名前の商品を見つけて、2人でゲラゲラ笑ったことなども思い出です」
中島さん宅で生活する中で、こどもたちが安心感を得たからこそ見られる何げない日常の光景です。
「うちに来るこどもの多くは、不安定な家庭環境から来ています。我が家も全然完璧ではないけれど、夫婦で意見が合わなかったときにどういう感じで話し合うのか、世間との付き合いなどを見てほしいと思っています。自分の家と比べてしまうと思いますが、それはそれでいいと思います。どちらが良いか悪いかではなくて、いろんな家庭を見ることで自分がいつか家庭を持ったとき、どういう親や家庭を目指すのかを考えられる引き出しになればと思っています」
間違ったら謝ることを見せることも大人の役割
里親でも、間違ったことや配慮に欠けたことを言ってしまうことがあります。中島さん夫婦も時には反省することがあり、真摯(しんし)に謝っているそうです。
「例えば、こどもが児童相談所の担当者から聞いた話として『この日に帰れるかも』と言っていたことに対して、私たちのほうが(こどもより)社会的養護に関する制度については詳しいので、ついつい『多分そこまで早くは帰れないよ』と言ってしまったんです。でもその子はすごく傷ついてしまって、ドアをバーンと閉めて部屋を出て行ってしまいました。その後落ち着いてから話し合って、『あのときおじさんはちょっと言い過ぎたね、ごめんなさい』と謝り、関係は取り戻せました。間違えたときに謝るのは、きちんと謝ることができる親や大人の見本になりたいと思うからです」
中島さんは、大都市圏では受け入れたこどもの部屋の確保といった住居問題のほかに日本のカルチャーに課題があるのではないかと指摘します。
「里親制度がいいことだとわかっていても、『普通でいたい』『目立つリスクがあるならやりたくない』というような日本のカルチャーがあると思います。隠しごとをするみたいに里親をやるより、『社会的養護が必要な子のためにがんばっています』と胸を張って言えるようになると、周囲の人たちも応援しやすくなると思います」
だからこそ、中島さんは少しでも里親制度に関心がある人たちにこう語りかけます。
「里親になれなくてもできることはたくさんあります。世界を変えるような大きなことじゃなくていい、でもちょっと行動に移してもらえるだけで、大変な状況を経験しているこどもの気持ちが少し楽になると思います」
なかじま・よしろう/1978年、アメリカ・サンフランシスコ生まれ。妻の泰子(やすこ)さんとの結婚を機に35歳のときに日本へ。2016年に里親登録。善郎さんは自宅で自営業の貿易商をしている。泰子さんはメーカーに勤務。