ライフワークとしてボランティア活動にも積極的に参加している川嶋あいさん
ライフワークとしてボランティア活動にも積極的に参加している川嶋あいさん

親子の葛藤、「引き出しに置いておく」ことで前に進めた

シンガーソングライターの川嶋あいさんは、名前を大切にしています。本名「川島愛」の「川島」は、養子縁組をした親の名字であり、「愛」は生んでくれた親が付けてくれたものだからです。

「会えなくても、この人には絶対幸せになって欲しい」と願うそれぞれの親への愛が、若者たちの心を震わす曲を作り続ける原動力になっています。葛藤を乗り越えたからこそ今がある川嶋さんが、里親の元で暮らす子どもたちや里親たちに「壁」の乗り越え方を教えてくれました。


3歳で施設から「お父さん」「お母さん」の家へ

――里親制度を知らない人、また里親という言葉を知っていても具体的なイメージが浮かばない人が多くいます。川島家で暮らすことになった経緯を教えて下さい。

生まれてすぐに乳児院に預けられ、3歳の頃に、地元福岡の児童養護施設で父と母と出会いました。その施設で同じような年代の子たちと一緒に生活をしていましたが、たまに会いに来てくれる人がいて、その2人がお父さん、お母さんなんだろうなと思っていました。心の中で「早くお家に連れて帰ってくれないかな」と思っていたのを覚えています。

――里親、そして養子縁組をした川島家での生活は、どのような記憶として残っていますか?

すぐに養子縁組をしたのだと思います。父と母と3人での生活が始まって、何の疑いもなく、何の不自由もなく愛情をたっぷり注がれて生活をしていました。私が10歳の時に父は亡くなってしまったのですが、経営していた土木建築会社の若い従業員を招いて一緒に食卓を囲むような、人が絶え間なく来ていた家庭でしたね。父は優しくお茶目な人で、夕ご飯の後や寝る前にオセロゲームやトランプをしてくれました。母はすごく豪快豪傑な人でした。私は小さい頃、初めて会う人が近づいてくるだけで泣いてしまうような子どもでしたが、父も母もすごく開放的で明るい性格の人たちでしたね。

4歳の頃、笑顔でカメラにピースする川島あいさん
4歳の頃の川嶋あいさん ©︎2020 TSUBASA PLUS CO.LTD

母の育児相談が音楽の道につながった

――音楽は、母親がきっかけを作ってくれたそうですね。なぜ、母親は熱心に音楽を学ぶ場や発表する場を作ってくれたのでしょうか? 親子にとって、当時やそれからの人生において音楽はどのようなものでしたか?

「ずっと歌を歌っていてほしい」「歌手になる夢をかなえてほしい」という母の気持ちは、3歳の時から母が亡くなるまで、途切れた瞬間がありませんでした。実は私もずっと疑問に思っていました。母がなぜあそこまで執着して私に歌をやらせようとするのか。

これは約2年前、故郷の音楽教室の先生が教えてくれました。3歳で引き取られた私は、毎日のように「施設に帰りたい」と泣いていたそうです。戸惑っていた母が、先生のところに育児相談に行ったところ、そこで歌の体験レッスンをしてみたら泣き止んだそうです。そこで「続けさせてみよう」ということになり、私の音楽人生の始まりにもなりました。

母は、歌うことでこの子が笑顔になるのならずっと歌っていてもらおう、そういう感覚だったのかな。私も幼心なりに、母が喜ぶなら歌いたいという気持ちでした。どうして歌手になるのかという会話は一度もしたことはありませんでしたが、見えないところで絆のようなものが音楽を通してずっと切れずに続いていて、それは血よりも濃厚に私と母の中に流れていたように思います。

9歳の頃、発表会のステージで歌を歌う川島あいさん
9歳の頃、歌を歌う川嶋あいさん ©︎2020 TSUBASA PLUS CO.LTD

自分だけを見つめてくれる人がいたら救われる

――子どもが成長する中では親子関係でぎくしゃくすることもありますが、川嶋さんは、子どもの頃、親子の「壁」をどう乗り越えてきましたか?

子どもって自分だけ見つめてくれる人が、たった1人でもいてくれると救われるし、明日をがんばろうという気持ちになれます。私にとっては、育ててくれた父と母です。たくさんけんかをしたし、親子の縁を切るんじゃないかというやり取りもいっぱいありました。それでも、お互い離れたくないという気持ちがありました。お互いを見つめ、時間をかけて、戸惑いながらも、面倒くさいと思いながらも、一つ屋根の下で暮らしてみるとかけがえのない存在だと分かっていきます。子どもにとって守ってくれる存在は必要だからです。

里親に関心を持っている人たちに伝えたいのは、子育てはそもそも1人でできるものではないと思います。母も音楽教室の先生に育児相談をしていました。これは一般の家庭でも同じですよね。今の時代、親が抱え込まず、誰かに相談しながら子育てすることが大切だと思います。

親が誰かに相談しながら子育てができる環境が必要だという川嶋さん
東京・渋谷の空を見つめる川嶋あいさん

「出生」を知った悲しみを乗り越えられたわけ

――川島家での生活の中で一番苦労したこと、苦しかったことは何ですか?

中学生になって、自分の出生にかかわる書類を見つけて、事実を知ってしまった時です。この人たちが本当の両親だと信じてきたから。ものすごく衝撃的で、悲しくて、苦しくて、「今まで幸せだったのに」と自分のこれからの人生を悲観してしまいましたね。

その苦しみを一瞬にして忘れさせてくれたのも母の存在でした。母は一生言うつもりがなかったのか、私が大人になってから話すつもりだったのかわからないですけど、すごく悲しそうな表情で。「施設であいと出会って、川島家の養子になったんだよ」、「でもあいはお母さんの本当の娘やけんね」って。短い言葉でした。

――その後、その話を深く聞くことはなかったのでしょうか?

その話はそれ一回きりでしたね。16歳の時に母が亡くなり、その後で、自分の出生のことや生まれてきた背景を知りたくなって、戸籍を調べたり、施設に行って先生に話を聞いたりしました。全部聞き終えた後に、母の中で葛藤があったんだろうなと思うようになりました。子どもを育てたことがないから、どうやってこの子と向き合って、育てていけばいいのだろうって、たぶん必死に見えないところで悩んでいたのだろうと思います。

――「出生」を知った時に生じた母親との距離感を、互いにどう乗り越えてきたのでしょうか?

母も変わらぬ態度で接し続けてくれたので、私の中ではいつの間にか生みの母ではなく育ての母ということが、どうでもいいことに変わっていきました。私も、このことを引き出しにしまってとりあえず置いておくという切り替えができたからだと思います。この「引き出しに置いておく」ということができたから、私は生きられたし、前に進めました。

――生んでくれた母親や育ててくれたご両親への思いに変化はありましたか?

本当に私の人生は不思議なめぐり合わせの連続です。最初の一歩は生んでくれた母親だと思います。「命のバトン」を、育ててくれた両親が受け取り、さらに路上ライブで出会ったみんなや今のスタッフのみなさんが受け取ってくれたと思います。そこに血っていうものは一切存在していないんです。血じゃなくて、一緒に過ごした時間、誰かを思う気持ちなんです。

自分の人生を『命のバトン』と比喩する川島あいさん
「命のバトン」の大切さを語る川嶋あいさん

「居場所」づくりはかけがえのない宝物になる

――乳児院や児童養護施設、里親家庭、特別養子縁組といったように、社会的養護のもとで子どもを育てていく仕組みがあることは、社会にとってどういう意味があると思いますか?

将来、ものすごく大きなかけがえのない宝物になるかもしれない出会いをもたらしてくれる「居場所」です。そこだけは本当に切らさないでほしいと思っています。家庭の事情でなかなかお父さんお母さんと一緒に暮らせない子たちがいるという事実をぜひみなさんに知ってもらい、忘れないで、心に留めていただきたい。私も親と一緒に暮らせない環境にいましたが、そういう私に気づいて、偶然の出会いで引き取ってくれた人によって、素晴らしい人生をもらいました。

――日本の里親制度で課題と感じること、期待したいことがあれば教えてください。

私が養子縁組されてからも、小学生低学年の頃までは毎年夏休みや冬休みに施設から遊びにくる「お姉ちゃん」や「お兄ちゃん」がいました。父と母が「季節里親」として迎え入れていたんだと思います。小学校高学年だった「お姉ちゃん」は中学生になると、「私この家にお邪魔していていいのかな」みたいな態度を感じました。年齢が上になると里子として受け入れてもらう難しさもあると聞きます。その後、どんな人生を送ったのか、いろんなことを想像しちゃいます。

また、施設の職員の皆さんは、それぞれ何人もの子どもたちのことを担当していて、それぞれの子どもの事情を考えると、本当にいっぱいなのかもしれません。職員さんの気持ちのゆとりや充実感も、重要なことだと思います。施設の職員だけじゃなくて、地域の多くの支え手によって子どもたちを育てるという認識に社会が変わり、子どもを守る仕組みが増えていったらいいなと思います。

これからの日本の里親制度に期待をよせる川島あいさん
「あい」の意味をかみ締める川嶋あいさん

「今ちょっと苦しいんだよね」って伝えてみて下さい

――川嶋さんは母親に背中を押されて上京し、渋谷で1000回の路上ライブを行ったそうですね。当時や今、川嶋さんの目に渋谷の若者たちはどのように映り、どんな変化を感じているのでしょうか?

独りで渋谷駅のハチ公前で歌って、CDを手売りしているときから感じていましたが、一人ひとり悩んでいて、どうしようもなくて、この街に来てふらふら歩いて時間が流れていく、という印象を持っていました。今、そういう子は家にこもって、スマホ見ながら何とか楽しいことを探そうと悩んでいるのかな、と思います。でも、悩みの質は変わっていないと思います。

――川嶋さんは、学校訪問などで若い世代との交流も積極的に続けていますが、必ず言おうと決めていることはありますか?

勇気を出して「今ちょっと苦しいんだよね」って伝えてみて下さい。私も、ずっと「う〜ん」って悩んで黙って、2、3時間スタッフと向き合っていることがあります。うまく言えなくてもずっと見ていてくれて、その時間だけで元気になれるんです。こんなに悩んでいる自分でも受け止めてくれる人がいて、もしかしたら何かまだやれることがあるかもしれないと思えるようになります。言葉にできなかったらLINEとかでもいいと思います。この人なら信じられるかもしれない、って思える人に迷わずSOSを出して下さい。


かわしま・あい/1986年生まれ。2002年から路上で歌い始め、2003年渋谷公会堂でのライブを実現。I WiSHのaiとして人気番組の主題歌「明日への扉」でデビュー。06年からソロ活動をスタート。代表曲に、卒業ソングの定番「旅立ちの日に…」、「My Love」「compass」「大丈夫だよ」「とびら」など。ライフワークとしてボランティア活動にも積極的に参加している。

かわしま・あい/1986年生まれ。2002年から路上で歌い始め、2003年渋谷公会堂でのライブを実現。I WiSHのaiとして人気番組の主題歌「明日への扉」でデビュー。06年からソロ活動をスタート。代表曲に、卒業ソングの定番「旅立ちの日に…」、「My Love」「compass」「大丈夫だよ」「とびら」など。ライフワークとしてボランティア活動にも積極的に参加している。

本事業は里親制度広報啓発事業として実施しています(実施主体:朝日新聞社・厚生労働省補助事業)
SHARE

知りたい

もっと知りたい

理解を深めたい