俳優の佐藤浩市さん・亜矢子さんご夫妻は、乳児院や児童養護施設のこどもたちを週末や休み期間に預かる「フレンドホーム」の取り組みを、5年以上にわたって続けています。月や年単位で養育する「養育里親」と比べ、こどもと過ごす時間は限られています。それでも佐藤さんご夫妻は「こどもと向き合うなかで、かけがえのない時間を過ごさせてもらっている」といいます。佐藤さんご夫妻に、これまでの思いやエピソードを語っていただきました。
意を決して相談……浩市さんの答えは「いいんじゃない?」
佐藤さんご夫妻が登録しているのは、東京都の制度である「フレンドホーム」です。週末や夏休みなどの長期休みに施設のこどもを迎え入れて自宅で一緒に過ごし、休みが終わるとまた施設に送り届けます。
最初にフレンドホームをやってみたいと持ちかけたのは、亜矢子さんでした。もともと児童養護施設のこどもたちとふれあうボランティアなどをやっていた亜矢子さん。あるとき施設になじめず、自室に引きこもりがちな女の子がいると知ったことがきっかけだったといいます。
「部屋にこもってしまって、ごはんもあまり食べていないという話を聞いて……。家庭という、施設とはまた違った場所で過ごすことで、少しでも元気になってもらえたらという思いでした」(亜矢子さん)
強い気持ちがありましたが、夫は多忙を極める俳優です。「自宅に家族以外のこどもがいたら、仕事で疲れているときにくつろげないのでは」と思うと亜矢子さんもなかなか言い出せず、半年ほど胸の中に思いをしまっていたといいます。
意を決して浩市さんに持ちかけたところ、意外にも返ってきたのは「いいんじゃない?」という言葉でした。
「ちょうど息子(俳優の寛一郎さん)も成長して家を離れていましたし。施設にいるこどもたちのために何かできるなら、いいことなんじゃないかと思いました」(浩市さん)
とはいえ、浩市さんには「『里親』という言葉の響きに責任の重さも感じた」という思いもあったそうです。「ハードルはあるけれど、ちょっと背伸びしてみようといいますか。無理をするのではなく、少しだけ背伸びして、自分たちができることをやってみよう、そんな気持ちで始めました」
じっくり向き合い、見守る 「私たちも成長できた」
フレンドホームとして自宅に迎え入れた女の子の声は小さく、なかなか普通の声で話すことができませんでした。
「施設の中でも職員さんとあまり会話ができない状態の子でしたから、日常で声を発するということをしていなかったんですよね」と、亜矢子さんは振り返ります。
「でも、声を出しなさいとか、強要することはしたくなかった。こちらが話しかけて、彼女はうなずくだけでもいい。徐々に話せるようになればいいと考えていました」(浩市さん)
じっくり向き合い、見守ることにした浩市さんと亜矢子さん。相手にはっきり聞こえるような声で女の子が話せるようになるまで、実に2年近くかかったといいます。
「最初は蚊の鳴くような声だったけれど、だんだんこちらが離れたところにいても聞こえるようになってきて。あいさつもできるようになって。笑顔が見られたときには、喜びを感じましたね」(浩市さん)
おふたりは、実子である寛一郎さんを育てたときとは違う感慨を抱いていました。
「『じっくり待つ』ということを、自分の子育てのときにはできていなかったな、と」(亜矢子さん)
「昭和の人間ですからね。どうしても『ああしろ、こうしろ』『こうじゃなきゃ駄目だ』と強く言ってしまっていた。それが自分の子育ての反省点だったので、それは繰り返したくなかった」(浩市さん)
実子のときとは違う向き合い方をしたことで、「親としてもういちど成長させてもらった」と、おふたりは感じています。
施設へ向かう道は「特別な時間」 夫婦の会話もさらに増えた
並んで台所に立って料理をしたり、花を生けたり。休日を一緒に過ごした後は、こどもを施設へ送り届けます。
浩市さんにとって、施設へ向かう道中は「特別な時間だった」といいます。
「僕が車で送っていくとき、『またね』と言ってお別れするまでの30分間、車中での時間を彼女がとても大事に感じていてくれるというのが伝わってきて、僕もその空気感が好きで。彼女から教えてもらったことがいっぱいあったなあと振り返って。ちょっと、抽象的なんですけど(笑)」
いつもの交差点を曲がったら、施設に着く。「ありがとうございました」と女の子が小さく言う。言葉は多くないけれど、毎回繰り返される、キャッチボールのようなやりとり。「そのキャッチボールが次また会うときにつながっていく。それがよかったですよね」(浩市さん)
女の子を送り届けた後は、次回の受け入れまで夫婦でその子のことを話します。
「その子の好きなフルーツを次は出してあげようとか、今度は一緒にこれをやってみようとか。その子の笑顔や幸せのために、夫婦の間でポジティブな会話が生まれるんです」と亜矢子さん。「こどもが成長して独立して、家にふたりでいるご夫婦って多いと思いますが、フレンドホームを通じて我が家は明るい会話が増えたし、すごくいいんじゃないかって思うんです」
会えない時間にその子のことをおもい、次の交流を楽しみに会話するというのは、短期での関わりならではなのかもしれません。
「家庭での生活」に触れることはこどもの未来を変える
佐藤家で過ごすうち、言葉や笑顔が出てくるようになった女の子ですが、浩市さん自身の、自宅での様子も変わっていったといいます。
「撮影現場で結構重いシーンを演じて帰ってくると、やっぱりピリピリしているらしくて。自分では『鎧(よろい)』は脱ぎ捨ててきているつもりなんですけどね。妻に言わせると『ものすごくピリピリしている』と」
亜矢子さんに「こどもが怖がるよ」と指摘された浩市さん、いまでは気持ちの切り替えをしてから帰宅するようになったそうです。
「家にいるときは普通に、ただそこにいるようにしている」と話す浩市さん。夫婦での役割分担も特になく、女の子とは「日常を当たり前に過ごす」ことをいまも大切にしているそうです。時折実家を訪れてくる寛一郎さんも、ごはんを食べたり会話をしたり、ごく自然に交流しているそうです。
5年の月日が経ち、女の子も大きくなりました。彼女の成長をこれからも見守っていくことを、おふたりは楽しみにしています。
フレンドホームや、こどもの支援団体代表として日々こどもに向き合う亜矢子さんは、普段表舞台に出ることは多くありません。今回はたくさんの人に里親制度のことを知ってもらえるならと、インタビューに応じてくれました。以前は海外のこどもを支援していたそうですが、親と生活できない環境にあるこどもが日本にたくさんいることを知り、日本のこどもたちを支援する一般社団法人も立ち上げたそうです。
「実の親と暮らせないこどもたちが日本にこんなにいるなんて、私も前は知りませんでした。大人たちには、そういう子たちともっとふれあってほしいなと思います。たとえ週末だけ、お休みのときだけでも、家庭での生活を送ることはこどもの未来に変化を起こすと思います。私たちのフレンドホームのように、そんなにハードルが高くない取り組みもあるので、里親制度のことをぜひ知ってほしいです」(亜矢子さん)
「責任はあるから、背伸びは必要なんです。でも、ずっと背伸びしていたら相手も疲れてしまいますよね。僕はこどもを受け入れて、あるとき背伸びをやめてかかとを落としたら、背伸びしていたときと見える景色が同じだったんです。それは僕がこどもと関われたからなんだと思っています。また抽象的ですけどね(笑)」(浩市さん)
さとう・こういち/1960年、東京都生まれ。19歳で俳優としてデビューして以来、多くの映画、テレビドラマなどで活躍。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞をはじめ、数々の賞を受賞している。
さとう・あやこ/舞台女優として活動後、1993年に浩市さんと結婚。フィリピンやインドのこどもたちの支援に携わる。2014年より日本の児童養護施設のこどもを支えるボランティアを始め、施設出身の子が無料で美容師の施術を受けられるプロジェクトを立ち上げるなど、多岐に渡って活動している。