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日本の英語教育の根本的な誤りは、「使うことを想定していない」ことにある

英語が拓く世界 更新日: 公開日:
外国語指導助手の授業は、小学校でも長く続いているが……=2007年、北海道(本文とは直接関係ありません)

「日本人は、なぜここまで英語ができないのでしょうか?」

これはなかなか答えが出ない問いです。「日本で暮らしていると英語は特に必要ないから」という意見をよく聞きます。確かにこれには一理も二理もあります。

ただ、英語ができるというだけで就職が有利になったり、海外出張の機会が増えたり、昇進のチャンスが高まったりと、英語をできることで得られる利益は相当大きいのですから、もっと上手くなってもいいはずだと思うのです。

また、日本人は少なくとも中高6年間英語を勉強しますし、日本全国津々浦々、いたるところに英会話学校もあります。本屋には大量の英語の参考書や問題集が並んでいます。それなのにここまで英語ができないというのも、考えてみれば実に不思議なことです。日本の英語教育は何かが根本的に間違っているのだと考えざるを得ません。

それでは具体的には、何がどう間違っているのでしょうか? 

「使うこと」がまったく想定されていない

もっとも根本的な間違いは、実際に英語を「使う」ことがまったく想定されていないことです。

教科書には長い間 “This is a pen.” という文章が一番最初のレッスンに掲載されていました。

果たしてこの文章を使うことはあるのでしょうか? ちなみに私は英語が話せるようになってもう35年ほどが経ちますが“This is a pen.”という文章を使ったのはおそらく3回もありません。“This is a red car.” でも同じことですが、自明なことをわざわざ口に出して言う機会などほとんどありません。“You are American.”  “I am Japanese.”  などといった文章は今の教科書にも登場します。「be動詞を教えたい」「不可算名詞を教えたい」という単元の意図はわかるのですが、単元で「教えるべき」ことを無理やり詰め込むため、現実には絶対に使わない文章がテンコ盛りです。

文法の授業も「使うこと」に結びついていない

外国人と英語で議論する英会話喫茶の会員たち。英語への苦手意識を克服しようと、さまざまな業態が生まれた=1979年9月、大阪市(朝日新聞社撮影)

僕自身が中学生の頃に「be動詞+動詞のing形」は、「現在まさに進行中のこと」を説明するときに使うのだ、という説明をしてもらった覚えがあります。いわゆる現在進行形ですね。

そして、普通の現在形の文章を進行形に書き換える問題などを大量にやらされた覚えがあります。例えば、

現在形: “I play tennis.”

現在進行形: “I am playing tennis.”

 

現在形: “He studies English.”

現在進行形: “He is studying English.”

 

というような具合です。

そしてここでも、「一体どんな状況で “I am playing tennis.”なんて言うんだろう?」と疑問に思った記憶があります。

もちろん実際にこういう表現を使う状況はありうるわけですが、それは物理的にラケットを振り回してテニスをしている最中だけではありません。 “I am working as an engineer.”(僕はエンジニアとして働いている),  “He is studying medicine to be a doctor.” (彼は医者を目指して医学を勉強している)といった具合に、自分が今取り組んでいる課題などを言い表すときに多用されます。

ところがこういった具体的は用法や、実際にどんなときにどんな構文が使われるのか?という一番肝心なところがゴッソリと抜け落ちており、文法のための文法学習としか言いようのない例文や問題がずっと続くのです。

こんな受け身は絶対に使わない

例えば能動態から受動態への書き換え問題なども、メカニカルに書き換えることが目的化しているため、実際に相当おかしな問題が続々と登場します。例えばこれ、実際に問題集から抽出した問題です。

Keiko has finished her homework.

(ケイコは宿題を終えたところです)

    ↓

Her homework has been finished by Keiko.

(宿題はケイコによって終えられたところです)

 

Her homework has been finished… なんて言い方、絶対に遭遇しません。どんなに文法的に正しいにせよ、奇妙な感じしかしません。もう一つ、実際に問題集から抽出した例を見てみましょう。

 They will be holding a party at this time tomorrow.

(彼は明日の今頃、パーティを開いているだろう)

    ↓

A party will be being held at this time tomorrow.

「明日の今頃は、パーティは開催されているだろう。」

 

これも文法のルールを覚えてもらう問題としてはそう悪くないのかもしれませんが、こんな言い回しをすることはまずありません。結局、文法の勉強が、文法のための文法になってしまっているのです。パズルを解くような面白さはありますが、実用性にあまりにも欠けていると言わざるを得ないでしょう。 

英語の精読から得られるものは?

1872(明治5)年刊行の英語リーダーに準拠した参考書。1語ずつ和訳をつけ、番号順に読むと意味が通じる。日本の英語教育は、漢文読み下しのような形で始まった=刀祢館正明撮影

また、日本で英語学習と言えば「精読」という作業は避けて通れないものとして認識されています。文の構造の把握、構文を見極めなど、単語の品詞を理解するなど、得られるものは確かにたくさんあります。このため精読をしっかりこなしておくと、穴埋め、整序、与えられた和文から英訳する問題などには滅法強くなります。

しかし、これもまた実際に使うことにほとんど結びつかない学習方法です。精読をやりこみ、有名大学の入試を突破し、TOEICで高得点を取った方でも、実際に英作文をしてもらうと冠詞を始めとする限定詞全般の使い方や可算名詞、不可算名詞の使い分けなどもガタガタです。

日本の一流大学を卒業した人が欧米の大学院に進学しても読むのがあまりに遅いため、他の留学生の倍の時間がかかってしまうのが現実です。また、論文を書いて提出しようにも、あまりにも文章が悲惨なため、提出前に別のネイティブにまず赤入れしてもらわないと提出物としてのクオリティに達しないのです。

この精読というやり方は文章の和訳などをしなければならないときにはかなり役立つ読み方ですが、文章を丸ごと読んですんなり理解するには、あまりにも不自然な読み方だと言わざるを得ません。結局これも最終的に「使う」ところに目的が置かれておらず、受験問題を解くことが目的化しているところが問題なのです。

英語を使う練習がない

また、会話練習の機会がほとんど存在しないのも大きな問題です。せっかく各学校に英語学習の補助をするための先生(ALT・Assistant Language Teacher)がいるのに、彼らの役割は極めて限定的で、上手に活用されているとはとても言いがたい状況です。

これも結局、「英語を使う」という視点がゴッソリと抜け落ちているからでしょう。英語は実際のコミュニケーションに「使え」てナンボです。日本全国津々浦々に会話にばかりフォーカスした英語学校が乱立しているのは、この反動なのかもしれません。

この10年の外国人観光客の増加で、英語は旅館の関係者に欠かせないスキルになってきている=2008年、長野県松本市、田中正一撮影

また、発音を習う機会もありません。そのためほとんどの人が、一体何が正しい発音なのかを知ることもないまま、延々と英語学習を続けてしまうのです。ALTを上手に活用することでもっと目に見えた向上が図れる部分だと思うのですが、残念ながらほとんどの学校では行われていないようです。

なお、日本の学校はまず小学校でローマ字を教えるところから始めていますが、本当は英語圏の幼稚園でやっているように、まずフォニックス(発音と綴りの関係を教えるためのカリキュラム)を教えるところから始めればいいのです。

なぜ日本でフォニックスを教えてこなかったのかはまったくの謎ですが、最近ではこのフォニックスをベースにした英会話教室なども増えていますので、子供の英語教育でお悩みの方は、そういった教室を探してみることを強くオススメします。

動として生まれた英会話学校

こういった文法や和訳に偏った学習方法ではいつになっても喋れるようにならないとソリューションを提供したのが、日本全国津々浦々に建ち並んだ語学学校です。スカイプ英会話なども大流行りですが、これらもまた、学校英語がケアしてくれない英語を「使う」練習をする機会を与えてくれるものだと考えてよいでしょう。

では、こうした英会話教室やスカイプ英会話で喋りまくると、実際に英語が使えるようになるのでしょうか?

結論から言うと、残念ながら大きな成果をあげている学校は少ないようです。確かに話す機会はたくさん得られるのですが、これまで身につけてきた文法知識をどのように使うと自然に聞こえ、どのように使うと不自然なのかといった指摘がないため、なんとなく会話慣れするレベルに留まってしまうのです。もちろん、非常に優れたカリキュラムを有し、大きな向上が期待できる学校がないわけではありませんが、見分けるのが難しいのが難点です。

どうすれば英語を「使える」ようになるのか?

この連載で何度も指摘しましたが、結局は「使う」ことを念頭に置いてカリキュラムを組んでいかないと、実用に耐える英語力を学ぶ機会を学習者に提供することはできません。

そのためには文法は文法、発音は発音、単語の暗記は単語の暗記といったように別々にアプローチしていくのではなく、常に使うところから始まり、使うことで終わるようにカリキュラムを組んでいく必要があります。

このような学習方法は実はもう世の中に存在しています。次回は、一体どのように学習すれば、より短期間に、より自然な表現能力が身につくのか、考えてみたいと思います。