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『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』 いまの日本に通じる、かつての米南部

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
東京でインタビューに答えるソフィア・コッポラ監督=鬼室黎撮影

日本を長年見つめた米国人女性からみると、かつての米南部と日本には相通じるものがある、そうだ。ソフィア・コッポラ監督(46)の最新作、23日公開の米映画『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』 (原題: The Beguiled)(2017年)は南北戦争下の米南部が舞台。カンヌ国際映画祭で女性として56年ぶり、史上2人目の監督賞に輝いた彼女のインタビューから、「女性に期待されること」を考えた。

約4年ぶりに来日したコッポラ監督に1月、インタビューした。その際、「米南部の文化は、日本に通じるものがあると思う」とも言われ、私は一瞬、疑問符に包まれたが、新作で描かれた女性たちを思い浮かべるにつれ、次第に納得した。

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』より © 2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』は1864年、米南部バージニア州の女子寄宿学園を軸に展開する。ニコール・キッドマン(50)演じる園長マーサが、教師エドウィナ(キルスティン・ダンスト、35)とともに、アリシア(エル・ファニング、19)ら5人の女子生徒を教育しながら戦火を逃れてひっそり暮らしていたところへ、脚に傷を負った敵の北軍兵士マクバニー(コリン・ファレル、41)が転がり込む。傷の手当てをして南軍の目からも守って共に暮らすうち、女性だけで築いてきた世界に波風が立ち始める。

「南北戦争の南部」と聞くと、現代、ましてや日本からは遠い話に思えるかもしれない。だがコッポラ監督いわく、「設定は昔の話ではあるけれど、今も共感を呼ぶ点に興味を惹かれた。物語の中心にあるテーマは、私たちが今なお経験している男女間の力の相克。それを眺めるのはおもしろく、現代的なものとして共感できるものだった」。

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』より © 2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

「南北戦争や米南部にとても興味があった」と言うコッポラ監督は、当時の南部の女性たちの日記を読み、理解を深めた。「おもしろいことに、当時はビクトリア朝の時代のように非常にきちんとした感じがありながら、情熱や激情に満ちていた。北部とは非常に違っていて、『女性らしさ』について、とても誇張された考え方があった。今も名残はあるけれど、当時の女性たちはさらに、非常にちゃんとしていて上品で、女性らしくしていなければならず、それが当時の南部の文化の多くを成していた。女性は誰しも『女性らしくあれ』という考え方のもとで育っているけれど、南部はその究極版ですね」

それが今の日本にも通じるものがある、というのがコッポラ監督の見立てだ。「今作は性的な抑圧や、それを甘んじて受け入れる物語。女性が不当に扱われていると感じる文化に生きる人には、共感してもらえると思う」

東京でのイベントに臨むソフィア・コッポラ監督=藤えりか撮影

そう考えると、今作が一層、身近に思えてくる。21世紀の日本は、少なくとも教育現場で「女性らしくあれ」と言われる場面はかなりなくなったが、逆に大人になるにつれ、「モテ」「婚活」をあおるさまざまな場で「女性らしさ」を求める表現や空気に直面したりする。例えば不倫報道ひとつとっても、いまだに女性の方が、よりバッシングを受ける。女性が秩序を崩したとみなされるや、それが疑いであっても、受け入れる土壌はまだ、なかなかない。

コッポラ監督は、『ゴッドファーザー』シリーズに『地獄の黙示録』(1979年)などで知られる巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督(78)を父に持ち、母は『ボンジュール、アン』(2016年)(81)で長編監督デビューを果たしたエレノア・コッポラ(81)だ。新作の公開ごとに来日する両親にたびたび同行、少女時代から40代の今まで、彼女なりに日本を見つめてきた。東京を舞台に米国人男女の孤独を描いてアカデミー脚本賞に輝いた『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)の撮影では、日本にしばらく滞在した。

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』より © 2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

「『ロスト・イン・トランスレーション』はセットで撮影したり、私自身は日本の業界について知っているというわけではない。ただ、日本とは常につながりを感じている。今回の『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』が日本でどう受け止められるか、興味がある」。ソフィア・コッポラ監督は言った。

今作は1966年の小説が原作で、これをもとにした別の映画が半世紀近く前に作られている。『白い肌の異常な夜』(1971年)。その邦題からも感じ取れるように、正直、「欲求不満の女性集団は怖い」といった印象を強く残しかねない作りで、今の目から見ると失望を禁じ得ない。コッポラ監督自身、「『白い肌の異常な夜』は同じ物語ながら、非常に男性の視点で描かれている。女性たちは正気じゃなくて、ただ常軌を逸しているように見える」と疑問を投げかけている。

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』より © 2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

1971年版は、監督が故ドン・シーゲル、主演はクリント・イーストウッド(87)。師弟で知られる彼らの他の作品群、『ダーティハリー』(1971年)に『真昼の死闘』(1970年)、 『アルカトラズからの脱出』(1979年)を並べると、いかにマッチョなコンビか、映画ファンならおわかりいただけるだろう。

コッポラ監督はこの1971年版を「女性の視点」で上書きした。そうしてカンヌ国際映画祭で女性としては史上2人目、56年ぶりに監督賞を受賞した。

とはいえ彼女には、「男性目線の世界観を覆そう!」といった特別な気負いは感じられない。もともと、常に「女性らしさ」を強調し、ガーリーな雰囲気で満ちあふれる作風で知られる。

ソフィア・コッポラ監督=鬼室黎撮影

例えば記者としての私自身を振り返ると、性差を際立たせる書き方はほとんどしないし、いわゆる「女性的」とされたものには、あまり興味を示さないようにしてきた節がある。書いたものに結果的に女性としての視点が含まれたとしても、周囲からあらかじめ「女性ならではの視点を記事に」などと言われたら反発しがちだし、「男性の記者だと『男性ならではの視点を』と求められたりしないのに」と肩に力を込めてしまう。

コッポラ監督はそんな「力み」からは一見、常に自由でいるように見える。インタビューも記者会見も、涼やかにこなしているように映る。でもそこに至るまでには、きっと葛藤があったのではないか、と今回のインタビューでうっすらと感じた。

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』より © 2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

「私が女性の視点の話が好きで、女性の考え方に興味を持つようになったのは、大勢の男性に囲まれて育ったからだと思う。自分自身の一部を見るような形で興味がある」とコッポラ監督は語った。

「大勢の男性」の代表的なひとりは、間違いなく父フランシスだ。映画界を代表する巨匠の作品に、娘コッポラ自身も若い頃には役者として出演した。『ゴッドファーザー PART II』(1974年)に『ランブルフィッシュ』(1983年)、『ランブルフィッシュ』(1983年)、『ゴッドファーザー PART III』(1990年)などだが、いずれもきわめて「男性的」な作品。かつ、経験もさほどないまま出演しただけに、演技を酷評されることも多かった。特に『ゴッドファーザー PART III』はマフィアのボスの長女という大事な役どころだっただけに、批評家はさんざんにこき下ろした。彼女の演技が興行成績の足を引っ張ったとまで書かれ、最悪な作品や演技などに贈られる「ゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)」の最低助演女優賞と最低新人賞をダブル受賞した。この時の出演は、ウィノナ・ライダー(46)が土壇場で降板したゆえの代役という事情もあったが、世間は「親の七光り」として手厳しかった。

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』より © 2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

それが、父と同じように映画監督かつ脚本家になるや、長編デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』(1999年)は批評家から称賛され、続く『ロスト・イン・トランスレーション』はアカデミー賞で脚本賞を受賞しただけでなく、作品賞や監督賞、主演男優賞にもノミネートされた。アカデミー監督賞ノミネートは女性として3人目で、史上最年少の監督賞ノミネート女性にもなった。この記録は、今も破られていない。

父の「庇護下」と見られがちな役者稼業から離れ、父と比べられることが明白な映画監督という仕事を選んだ結果、「親の七光り」なんて言う人を蹴散らした形だ。

だからだろうか、女性としての質問以上に、父の影響について水を向けた時の方が、コッポラ監督は決然としていた。「私は父の現場で彼の仕事を見て育ったし、彼は私の偉大な教師。彼から多くを学んだことには感謝している。でも私にはまったく違う個性や考え方があり、それが作品の血肉となってきた。私の作品は私自身の反映。そこにはまったく違う関心がある。私は、私が見たいと思うものを撮る。他の誰かに似た作品を作りたくはないし、誰かのコピーをしようとも思わない」

ソフィア・コッポラ監督=鬼室黎撮影

そうしてコッポラ監督は、映画界にまだまだ少ない「女性の視点」をもたらし、「女性監督への期待」にも応える形となっている。

男性社会の映画業界ではびこってきた性的被害にノーと言う「#MeToo(私も)」「Time’s Up(もう終わりにしよう)」の広がりと相前後しこのところ、興行的にも批評的にも成功した女性監督の映画が増えている。「女性ヒーロー映画は受けない」という定説を覆して記録的ヒットを喫した『ワンダーウーマン』のパティ・ジェンキンス監督(46)は、奇しくもコッポラ監督と同い年。6月公開予定の『レディ・バード』(2017年)のグレタ・ガーウィグ監督(34)は1月、女性として史上5人目にアカデミー監督賞にノミネートされ、キャスリン・ビグロー監督(66)に次ぐ史上2人目の女性受賞となるかが注目されている。

コッポラ監督がインタビューの終盤に語った言葉は、そんな状況だからこそのメッセージとして響いた。「アカデミー賞はまだとても政治的。でも期待は持てます。今はこれまでとは違った人たちが映画を作るようになっているし、それによって文化がより豊かになっていくと思う。女性たちには、自分自身の物語を語ろうという気持ちになってほしいと思う」