「厳しいとは思いますが、これからは各々頑張って生きてください。…………解散!」
お笑いコンビ・麒麟(きりん)の田村裕さん(42)は、母親をがんで亡くし、父子家庭だった中学2年生のとき、製薬会社をリストラされた父親に家族の解散を言い渡されました。3人きょうだいの末っ子の田村さんが、1カ月間、公園で過ごした経験をカミングアウトした著書『ホームレス中学生』は多くの共感を呼びました。
当たり前だと思っていた生活が急に失われたとき、子どもたちはどのような気持ちなのか? そういった状況に立たされた子どもたちに私たちができることは何か? 田村さんと一緒に考えてみました。
――2020年2月に第3子が生まれ、お子さんたちも田村さんと同じ3人きょうだいになりました。
自分の子ども時代を考えると、3人の親になるとは思っていなかったですよ。でも、突然、父親に「解散」と言われてもなんとかなったのは、きょうだいが3人いたことがポイントだったのかなと思います。父親代わりの兄、母親代わりの姉がいたので、食いつなぐことができたし、誰一人欠けてもあかんかったなぁという風に思います。
僕もいつ子どもたちに「解散」宣言するかわからないと思っているんですよ。だから、子どもは多いほうがいいと思っていたんです。
――田村家はもともと4LDKのマンションに住み、グランドピアノもあったそうですね。父親も大手製薬会社の会社員。田村さんはバスケットで活躍。でも、『ホームレス中学生』を読んだ人たちは、ある日突然、社会的養護の対象になることがあるんだと、自分事として受け止めた人が多かったと思います。
僕はいま、子どもたち各々で生きていってくださいねという感覚を持ちながら暮らしています。何か状況判断が必要なときは、必ず子どもに聞くんです。「どうしたらいい?」「意見教えて」って。子どもであっても一度は判断を任せてみて、失敗したら「次は違う方法を試してみようね」ってアドバイスするんです。子どもはしんどいと思いますけど……。
――田村さんは約1カ月間、公園で過ごしたとき、周囲の大人に「助けて」と声を上げることは難しかったのですか。
小学生の低学年だったら言ったでしょうけど、高学年から中学生はそういうの、一番言いにくい年頃だと思います。責任を負う能力はないにも関わらず、心は成長していて早く一人前に見られたいと考える年頃ですからね。迷惑をかけたくないという気持ちがとにかく強くて、恥ずかしいことなのかもしれないとも思っていたので、誰かに「助けて」って声をかける発想がなかったですね。
――迷惑をかけたくなくて、遠慮してしまう気持ちが強かったのですね。
いじめだと相談を受け付けてくれるところがあるっていうことは子どもでも理解していましたが、生活に困っているっていうことは「自分の家の問題やろ」と当時は考えていて、助けを求めていいものだと思っていなかったんです。
――それで抱え込んでしまうのですね。
そうですね。(社会的養護の制度を)知らないということも大きいと思いますよ。困ったときにどこに行けば相談できるのか、解決できる情報を得られるのかがわからないと、当事者である子どもからは声が上げられないと思います。だからこそ、子どもなりに、家族が厳しい状態になったときに必要な大人や情報にアクセスしようと考えられる知識と環境があるといいですよね。
――公園生活を始めて約1カ月後に偶然親友と出会って本心を伝えたことを機に、ホームレス生活を終えていますね。このときはなぜ本心を伝えることができたのですか。
出会った相手があいつじゃなかったら話せなかったですね。本当に仲が良くて、何回も家に行ったことがあって、その家には毎日色々な人が来て食事をしていることを知っていたから。拾ってきた猫もいっぱいいたし。
あとで彼に聞いたら「昔から俺、ほっとかれへんタイプやねん」って。僕も「それで俺のことも助けてくれたんや」みたいな会話をしたことがありましたね。僕が1カ月ぶりにお風呂に入っているとき、全部、母親に説明してくれていたんですよ。僕にとって当時助けてくれる地域の人たちがいたというのは、大きな支えでしたね。
――田村さんは中学生のとき、養育里親のご家庭にも一度行かれたんですよね。
電車に乗って家に行きました。キレイに整理された家でした。僕のために用意された和室に入ったとき、とてつもない違和感があったんです。ここは自分の家ではないと。お兄ちゃんとお姉ちゃんに伝えた結果、里親家庭にはお世話にならず、生活保護を受けながら大学生の兄、短大生の姉、中学生の僕の3人で暮らすことになりました。
――里親家庭で暮らすことに抵抗感があったのですか。
里親自体に抵抗感があったわけではないんです。ただ、知らない土地の知らない家に住むっていうのは、転校もあるし、すごく違和感があったんです。それでも住んでしまえばね、すごく優しそうな里親さんでしたし、あっという間になじんで感謝の気持ちを日々持って暮らしていけたと思います。
――里親制度や社会的養護についてもう少し知っていたら、時間をかけて説明してくれる大人がいたら、違う選択肢もありましたか。
そうかもしれません。当時の僕は、里親になられる方たちの思いを知らなかったので、里親と僕との関係はWIN-WINじゃないと思っていました。一方的にお世話になるもので、里親家庭にとってはマイナスなんじゃないかな、申し訳ないなって考えていました。そんな中で僕は生きていかれないって考えていました。
本当はWIN-WINの関係であって、無理して里親家庭をやっているんじゃないんだ、僕がその家でお世話になることで喜んでもらえる部分があるんだと知っていたら、違う判断をしていたかもしれないですね。
――里親でも、児童養護施設でも、地域の人たちでも、子どもの成長を見守ったり、支えたりする大人の存在、セーフティーネットは大切ですね。
コロナ禍で環境が目まぐるしく変わっていく中、生活が不安定になるだけじゃなくて心も安定しなくなることがあると思うんです。そういう時代に子どもたちの受け皿を大きくしていくことは大事なことですね。理想をいえば、親と暮らせない子どもたちが、自分自身で選べるぐらいになるといいですね。
――里親やファミリーホームをする人たちが増え、地域での受け皿を増やしていくためにはどうしたらいいと思いますか。
支える側でも支えられる側でも、誰でもどっちになるかわからない世の中で、里親制度への理解を広めていくためには学校の授業に組み込んでいった方がいいと思います。親になるための授業もあればいいなって思います。
――里親制度に関心がある人にメッセージをお願いします。
この世に生まれた以上、心が揺さぶられることが多い人生ほど、いい人生かなと思うんです。それは人との関わりの中で感じるしかないと思うんです。
誰かのことを知って、その人のことを考えた時間分だけ感情って動くのかなって思います。里親になることに二の足を踏んでいるのであれば、一度やってみてから判断してみてもいいと思いますよ。
たむら・ひろし/1979年、大阪府吹田市生まれ。99年にお笑いコンビ・麒麟を結成、芸人活動に加え、『ホームレス中学生』の出版や、バスケットボールのYouTubeチャンネル「麒麟田村のバスケでバババーン!」を開設するなどマルチに活躍。Clubhouseでの子育ての悩み相談も好評。
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