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画期的な薬の開発を成功に導いた「三つの質問」とは

People 更新日: 公開日:
赤間勉さん

幸運を逃さなかったマネジメント




――昨年、米国の大手ファイザーに52億ドル(約5720億円)という巨額で買収されたシリコンバレーの創薬ベンチャー、アナコア・ファーマシューティカルズで、薬を送り出された経験をお持ちです。
入社したのは2003年です。当時はまだ生まれたばかりのベンチャーで、私がフルタイムの社員としては13人目でした。化学者として、薬の候補物質の合成を担当していました。


開発に携わった薬のひとつは、Kerydin(ケリディン)です。爪白癬という、水虫の菌が爪に入ってしまう病気の塗り薬で、2014年に米国のFDAの承認を受けました。もう一つが、16年に米国で承認されたアトピー性皮膚炎の塗り薬Eucrisa(ユークリサ)です。ステロイドを使わないアトピーの塗り薬としては約15年ぶりの新薬で、子どもでも使えます。これが、ファイザーによる買収につながりました。


――新薬の開発には大手でも10年以上かかるのが普通と言われますが、どうしてそんなスピード開発が可能だったのでしょうか。
創薬のプロジェクトは、ほとんど失敗すると言ってもいいぐらいです。米国にもベンチャーはたくさんありますが、薬を出せないまま消えていく会社も多い。そういう意味では、幸運もありました。たとえば同僚がある化合物をつくろうとしていたのですが、目標とするものはできなかったんです。ところが、ついでにできた化合物の働きを念のために調べたら、薬になりそうな性質が見つかった。科学では時折そういうことがあります。ブレークスルーは、思いもしないところから生まれてくるんです。


ただ、幸運だけでは薬は出せなかったと思います。そこで大きかったのは、やはりマネジメントです。特に創業初期に会社を率いた経営陣の影響は大きかったと思っています。

開発を成功に導いた「三つの質問」


――どんなマネジメントだったんでしょうか。
当初のトップは、いわゆるシリアル・アントレプレナー(連続起業家※)でした。経営のプロとして、百戦錬磨の研究者たちを率いたんです。最初はサイエンスにも詳しくはなく、週1回のミーティングでは質問ばかりしていました。ところが2年もすると、知らないことがないぐらいになった。ものすごい勉強量だったと思います。さらに大きかったのは、ビジネスの方法論を持ち込んだことです。


※シリアル・アントレプレナー ベンチャーを次々に立ち上げる起業家。会社が一定規模まで育ったり、株式公開や他社への売却のめどがついたりした時点でその会社を離れ、また別のベンチャーを立ち上げる場合が多い。


彼は、ミーティングでこんな質問を繰り返して聞いてきました。
1.What is the biggest risk? (最大のリスクは何か?)
2.What is the critical path? (クリティカルパス※はどこか?)
3.Is the timeline aggressive but possible? (その見積もり時間は最短かつ実現可能か?)

の三つです。


※クリティカルパス 「重大な経路」の意味。いくつもの作業が並行して進むプロジェクトの中で、最も時間がかかり、その進み具合が全体の進行を左右するような一連の作業の連なり。プロジェクトの進行を管理するうえで、把握しておくことが欠かせないとされる。


「100点」の薬はあり得ない



――リスクや時間をどう管理するかを考えることを、研究現場にも徹底させていたんですね。
三つの質問で問われているのは、要するに「優先順位を考えろ」ということです。候補物質の探索、製剤、臨床試験と開発のステージはどんどん変わっていきます。そこで大事なのは、その時々に「何をすべきか」。それはまた「何をしないべきか」ということを決めることでもあります。ベンチャーではお金も時間も限られるので、これがとても重要だったんです。


大企業では、薬の候補物質が見つかっても「もうちょっと最適化しよう」といったことを考えます。ところがベンチャーでは、それをやっていたら手遅れになる可能性がある。そこは強く意識していました。


――おかげで開発のスピードも速かった。
速いですね。もともと人数が少ないですし、組織の階層もそんなにないという理由もあります。


もうひとつ感じたのは、薬に100点はあり得ないんです。まったく副作用がなくて、薬効がすばらしい、理想の薬というのは基本的にない。98点もおそらくないでしょう。ただ、80点か90点か分かりませんが、当局からきちんと薬として承認されるレベルはあります。ですから、まず薬を出すためには、その必要十分なレベルをクリアすればいい、ということです。


完璧を求めていると、何もできません。最短でいくため、開発の各段階で必要十分な基準を明確にして、それをクリアしたら次に進みました。そのためには、「この懸念はあるけど許容範囲」とか、「これだけのリスクは取れる」とか、基準を見極める必要があります。簡単ではないですが、経営陣がそれをやっていきました。


――開発に大きな障害はなかったんですか。
創薬のプロジェクトの場合、どんなにうまくいっていても中断する理由を見つけるのは簡単です。それほど、行き詰まりだらけです。でもそこで、「うまくやればここまでできる」と、なんとか進める理由を見つけていきました。そういう前向きな考え方が強いのは、シリコンバレーのカルチャーかもしれません。


できた薬も、もともとつくろうと思っていたものからは、ずいぶん変わりました。あるホウ素の化合物が抗菌剤になると考えてスタートしたんですが、これはダメでした。ユークリサになった化合物は、元々感染症に使おうと思っていたんですが、炎症にも効くんじゃないかということでやってみたら効いたんです。臨床試験は乾癬の薬として始めましたが、この病気のいい薬は他にもあるからということでアトピーに切りかえたら、これが良かったということなんです。


日本の研究者も米国のベンチャーで活躍できる


――そういうやり方は、やはりベンチャーならではですか。
今の大手はやらないでしょうね。新しい化合物をつくって、それが何に効くかを広くスクリーニングするというのは、昔ながらのやり方に近いと思います。


今はまず、薬が効くメカニズムを踏まえて、標的のたんぱく質などに作用する化合物をつくり、その標的以外に影響しないように化合物を最適化していくやり方が多いと思います。ところが、このやり方だとタンパクには作用したけれど、細胞には効かないかもしれない。動物だと分からないし、人間だとさらに分からないということになる。人間の体は、まだ分かっていないことが多いからです。

それよりは、どんなメカニズムでもいいから、とにかく効くものを見つけるやり方がすごく効率が良い部分もあるんです。


――ブログなどでは、日本の研究者もシリコンバレーで活躍できると発信されています。
それは自分がやってきて、感じることですね。ぼくは日本で、本当にみんなすごい人ばっかりだと思っていたんです。知識でも勝てないし、議論しても、すぐ負けちゃうし。こんな自分でもシリコンバレーでもできるということなんです。そうとしか思えないと言うか、実体験です。


――その日本から薬が出ないとすると、何が足りないんでしょう。
結局マネジメントでしょうね。研究者だけにやらせておくと、どこまでもどこまでも最適化を延々やっちゃうとか、知らない間に横道に行っちゃうとかということが起きがちです。やっぱり、たずなを持つ人が大事だなと思っています。




あかま・つとむ/1964年生まれ。89年に協和発酵工業に入り、2001年に米カリフォルニア州のベンチャーへ。03年にアナコア・ファーマシューティカルに入社し、アトピー性皮膚炎の治療薬「ユークリサ」などを送り出した後、16年12月に退社。ブログ(http://apot.exblog.jp)もつづっている。