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「天井のない監獄」ガザ地区はどんなところ?エルサレム在住アナウンサーが見た現状

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UNRWAガザ事務所の前に立つフリーアナウンサーの新田朝子さん=2022年5月、本人提供

日本の皆さん、こんにちは。

エルサレム在住のフリーアナウンサー、新田朝子です。

今回から、一般の旅行者がなかなか足を踏み入れることができないパレスチナ自治区のガザ地区について、3回に分けてお伝えします。

というのも、現在、私は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA、アンルワ)のエルサレムにある本部渉外局で2022年3月からインターンとして働いています。

各国の大使館と連絡を取ったり、資金調達をしたりする部署なので、支援の現場を訪れて状況を視察することはとても大切です。そのため、イスラエルとの大規模な軍事衝突からちょうど1年のタイミングである5月に、他の職員と一緒に初めてガザ地区を訪問しました。

その時感じたことや、出会った人々について、つづっていきます。

ガザ地区の地図=Googleマップより

ガザってどんなところ?

ガザ地区は、長さ50kmほどの細長い形をしています。大きさでいうと、鹿児島県の種子島くらいです。そこに200万人を超える人たちが住んでいて、世界で最も人口密度が高い場所の一つとも言われています。

よく「天井のない監獄」と表現されるガザ地区ですが、2007年から約15年に及ぶイスラエルによる封鎖によって、人や物資の移動はかなり制限されていて、貧困率や失業率が高く、多くの問題を抱えています。

世界銀行のデータ(2020年4月)によれば、ガザの人たちの50%以上が貧困状態にあるとされています。

失業率は日に日に上がっていると言われていて、2021年時点で47%とパレスチナ自治政府が発表しています。同じパレスチナのヨルダン川西岸地区では16%なので、ガザ地区が、いかに失業率が高いかということが見て取れます。

ガザ地区の青果店などが並ぶ通り=2022年5月、筆者提供

イスラエル側からガザに入るには、3つの検問所を通過する必要があります。基本的には、人道支援に携わる人や外交官、ジャーナリストなどの限られた人しか、入ることができないのです。

私は国連のインターンという立場で他の職員と一緒に検問所に行きました。何度もパスポートや必要書類を見せる過程で、本当に入れるのだろうかと不安な気持ちになりました。

その検問所を通ってイスラエル側からガザ地区へ入ると、なんだか不思議な感じがしたのです。

普段なかなか行けない場所だけに、とても遠い場所のように思えていたのですが、イスラエルとガザは陸続きでつながっています。私が住んでいるエルサレムからガザ市の中心まで約80km。車で1時間半ほどしか離れていません。

当然、気候も同じですし、街を歩いて青果店などの店先を覗くと、売られている野菜や果物も同じ。

それから、イスラエルと同じく地中海に面していて、海沿いにはカフェやイスラム教の礼拝堂のモスク、ホテルなどもありました。

夜間にライトアップされたガザ地区のモスク=2022年5月、筆者提供

これまで「紛争地」という報道で見聞きするイメージが強く、どこかでガザは「別世界」だと思っていた自分に気づきました。

ですが、自分が今住んでいる場所(エルサレム)からこんなに近くにガザはあって、日常生活を送っている人たちがいるのだということを改めて感じたのです。

同じ地中海沿いのイスラエルの都市テルアビブと比べると、一部にホテルやカフェがあっても、その数は比べ物にならないくらい少なく、小規模なものでした。テルアビブのように海外からの観光客でにぎわう風景も、閉鎖されたガザ地区だけに、ありません。

地中海に面したガザ地区のビーチには、くつろぐ人の姿も見られた=2022年5月、筆者提供

ガザ地区では、2021年5月にイスラエルとの激しい軍事衝突があり、イスラエル軍の空爆で子どもを含む250人以上が亡くなりました。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。背景には、1948年のイスラエル建国に端を発したパレスチナとの長年の対立があります。

それはいまだに続いていて、解決の糸口は見えないままです。止まっているイスラエルとパレスチナの和平交渉が進まなければ、いつまた衝突が起きるか分からない状況なのです。そういった意味で、状況が安定せず、いつ何が起こるか分からないという危険は常にあります。

ガザ地区の商店などが立ち並ぶ通りで見かけた荷馬車=2022年5月、筆者提供

とはいえ、そこには人々の生活があり、変化の兆しも見えない閉ざされたガザ地区という場所でも、人々はたくましく暮らしています。今回のガザ地区での5日間の滞在中、くまなく見ることができたわけではないのですが、私自身が身の危険を感じるようなことはありませんでした。

ガザ地区に入るということで、少し構えていた部分や緊張感も入るまではあったのですが、実際に入ってみるとそのような気持ちになる瞬間はありませんでした。

UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)はどんな支援をしているの?

ガザ地区南部ハンユニスにあるUNRWAの学校で授業を受ける子供たち=2022年5月、筆者提供

UNRWAは、1948年のイスラエル建国とその後の戦争などで故郷を追われたパレスチナ人と、その子孫に医療や教育、食料の支援などを行っています。

2021年時点で、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区やガザ地区、ヨルダン、レバノン、シリアにいる約570万人のパレスチナ難民がUNRWAに登録しています。

ガザでは、UNRWAのまとめによると人口のおよそ8割に当たる170万人がパレスチナ難民で、およそ2割がもともとガザで暮らしていた人たちです。かなりの割合であることは見て取れると思います。

UNWRAはガザで22のクリニックと275校の学校、8つの難民キャンプを運営しています。

ガザ地区南部ハンユニスにあるUNRWAの病院=2022年5月、筆者提供

UNRWAはまた、ガザに住む約110万人に食料支援などを行っています。人口の8割は食料支援がないと生活が成り立たない状態だといいます。封鎖前の2000年当時は8万人未満の人しか食糧支援に頼っていなかったことから、現在と比較すると食糧支援に依存する人の数が明らかに増えたことがわかります。

2021年にガザ地区で起きた武装勢力とイスラエル軍の軍事衝突が記憶に新しいですが、その際にイスラエルからの空爆で壊れた7000ほどの家屋の再建も行っています。

ガザ地区南部ハンユニスにあるUNRWAの難民キャンプ=2022年5月、筆者提供

UNRWAガザ地区の最高責任者トーマス・ホワイト氏によれば、ガザの若い人たちの失業率は70%、難民の貧困率は80%以上で、彼らはガザの厳しい経済状況の影響をまともに受け続けています。

昨年の軍事衝突は、その状況をさらに悪化させ、ただでさえ脆弱なガザの社会インフラにもダメージを与えました。

特に子どもたちのメンタルヘルスの状況は悪化し、約75%の子どもたちが何らかの心理社会的、精神的サポートを必要となり、ガザに住む人々にとって、社会的・経済的状況の悪化の一因となりました。

また、ロシアによるウクライナ侵攻の影響を聞いてみると、世界的な食料市場に影響が出ていてガザの人たちにとって最大の懸念事項は、食品の値段の高騰や入手に関してだということです。

UNRWAガザ事務所にてUNRWAガザ地区最高責任者のトーマス・ホワイト氏と筆者(右)=2022年5月、筆者提供

中東ではパンが主食であり、とても重要です。UNRWAはガザ地区で110万人分のパンを支給しています。

例えば、小麦粉はガザの市場で約24%値上がりしていることが分かっています。もし、UNRWAが現物で食料を提供していなければ、もっと上がっていたかもしれません。そのため、世界的な食糧価格の高騰から人々を守るために、このような支援が非常に重要なことだと語ります。

一方で今の課題は、食料調達に必要な資金を確保することだと言います。国際社会と協力して、来年夏までの食料支援活動を継続するために必要な資金を確保したいと話していました。

ガザの人たちってどんな人たち?

これまでガザの人たちとオンラインでやりとりする機会があっても、直接会うのは初めてでした。

今回、ガザ訪問が初めてだった私は、できるだけ多くの人と話をしようと心掛けました。出会った人たちは優しい人ばかりで、ガザにきたことを歓迎してくれました。

カメラを向けると、手を振ってくれたり、一緒に写真を撮ろうよと言われたりすることも多く、人の行き来が自由にできないからこそ、外から来る私のような外国人が珍しく、興味を持ってくれているのだと感じました。

ガザ地区南部ハンユニスにあるUNRWAの難民キャンプにて。「写真を撮っていい?」と聞くと「一緒に撮ろう」と言われて自撮りすることに=2022年5月、筆者提供

日本のアニメや韓国ドラマなどに興味のある人も多く、アジア人である私の顔を見て駆け寄ってくる人たちも多かったです。

子供から大人まで、フレンドリーな人が多かった印象です。訪問した学校や病院でもとても歓迎してもらい、どこに行っても手厚いおもてなしを受けました。外から来た人をもてなすことは、アラブの文化の一つとも言えると思います。

別れ際には「また会いにきてね」とか「これが最後にならないでね」といったあいさつもあって、自分ではなかなかガザの外に行くことができないからこそ、また来てほしいという思いも感じました。

ガザに住んでいる人たちは、ここで生きる以外の選択肢がないからです。

その中で、いつ何が起きるかわからない場所であり、本当にまた会えるかわからないというのも、ガザならではの状況だとも、感じました。

もちろんどんな場所にいても、明日何が起こるか分からないのは、誰もが同じかもしれません。

ただ、ガザ地区にいると、より強くそのことを感じさせられるのです。

現に、これまでの軍事衝突で身近な家族や親しい友人を突然失った人たちがたくさんいて、それでも前を向いて生きている姿を見ると、その強さに言葉を失いました。

短い滞在ではありましたが、紛争地で生き抜く人たちの強さや優しさに触れて、その存在がとても身近に感じられました。みなさんにも、私の体験をお伝えすることでガザ地区のことをもっと近くに感じてもらえたらと思います。