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バナナを見たことがない人に出会った 北朝鮮に赴任した大使が見た暮らしの現実

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
トマス・シェーファー元駐北朝鮮ドイツ大使が発表した著作「金正日から金正恩まで」=本人提供

シェーファー氏は2007年から10年までの期間と、13年から18年までの計2度にわたり、北朝鮮大使として活躍した。

北朝鮮は外部からの情報流入を極端に警戒している。豊かな外の社会を知った北朝鮮市民が、当局に反発することを恐れているからだ。脱北者の1人は「外部の人間だと判断した場合、近くの分駐所(派出所)に必ず届けなければならない」と語る。この脱北者は、一部のメディアや旅行客が「当局の隙をみて、独自に見聞きした」という映像や記事を流していることについて「北朝鮮にも自由があるというアピールをするため、問題ない場所を選んで好きにさせているだけだ」とも語る。

シェーファー氏もある週末、同僚と一緒に、平壌近郊にある港湾都市の南浦に小旅行に出かけた。プライベートだったので、Tシャツにジーンズ姿だった。ある店の前で現地の市民に囲まれた。市民の1人が電話をかけていた。相手は、国家保衛省(秘密警察)か社会安全省(一般警察)の担当者のようだった。市民の持つ電話口から、相手の緊張した声が漏れてきたという。声は「何が起こっているんだ」「外国人は何をしているんだ」と立て続けに質問を繰り出していたという。緊張は、シェーファー氏がドイツ大使だとわかるまで続いたという。

トマス・シェーファー元駐北朝鮮ドイツ大使が発表した著作「金正日から金正恩まで」=本人提供

シェーファー夫人は、平壌にある音楽大学で歌のレッスンの受講を希望した。だが、許可が出るまで何カ月も要した。シェーファー氏は、当局が「外国人との不正な接触」を恐れた結果ではないかと推測する。

夫人は2008年初めから、北朝鮮で最も著名な歌の教師に大学の敷地内で週2回、プライベートレッスンを受けた。夫妻が13年、2度目に北朝鮮に赴いた際、夫人は同じ教師からレッスンを受けた。シェーファー氏によれば、この音楽大学で学んだ外国人は夫人が最初で、18年に北朝鮮を離れるまで、他の外国人が学ぶこともなかった。

シェーファー氏は大使在任中、大使館の外壁を、ドイツの著名な画家、ミヒャエル・フィッシャーの絵で飾る計画を立てた。北朝鮮当局は「北朝鮮市民の感情を傷つける」として、激しく反発し、計画は実現しなかった。

もちろん、この理由は疑わしい。シェーファー氏の乗った乗用車が交差点で信号を待っていたとき、北朝鮮市民たちは、窓を開けた車の中から流れてきた西洋音楽に楽しげに聞きほれていたという。大使館の庭で開いたレセプションでも、北朝鮮のゲストたちは、会場に流れるロックバンドのジェネシスやクイーンの音楽を楽しんでいた。

シェーファー氏は書籍のなかで、当局の抵抗の理由について「北朝鮮では、自由を示唆する可能性がある抽象芸術は挑発的で危険だと考えられているからだ」と語った。

トマス・シェーファー元駐北朝鮮ドイツ大使=本人提供

一方、北朝鮮はユーチューブなどを通じ、豊かな市民生活の演出に努めている。平壌のスーパーにはパンや野菜、肉類などが豊富にそろっている。だが、シェーファー氏が見聞きしたのは、貧困にあえぐ北朝鮮の人々の姿だった。

シェーファー氏らはある日、中朝国境にある中国・丹東に出張した。平壌に戻る途中、車が故障した。近くの畑で働いていた農夫たちがタイヤ交換などを手伝ってくれた。シェーファー夫人がお礼にバナナをあげると、農夫たちは疑わしげな目つきになり、夫人に「これは、一体どうすればいいのか」と尋ねたという。農夫たちにとって、バナナを見たのは初めての経験だった。

また、シェーファー氏は別の日、大便の入ったプラスチックのボトルを持った10歳前後の子どもたちの姿を見た。子どもたちは山に登り、そこで大便を使って堆肥をつくっていた。北朝鮮は深刻な肥料不足に陥っており、当局が各家庭に対し、割り当てた肥料を提供するよう指示する。人々は大便を奪い合うため、屋外トイレにカギをかけ、見張り番を立てるケースも珍しくないという。

「革命の首都」と呼ばれる平壌の人々の生活が豊かかと言えば、そうでもない。ドイツ大使館のレセプションに招かれた北朝鮮市民は、シェーファー氏に対して「この数年間、肉なんか食べたことがなかった」と語り、レセプションを楽しみにしていたと明かした。でも、この市民は肉を全て食べきれなかった。この市民は落ち込んだ様子で、シェーファー氏に「私の胃はもはや、栄養満点なものを受けつけない」と語ったという。

北朝鮮の農村風景=北朝鮮関係筋提供

シェーファー氏は「平壌にはコーヒーショップや高価なレストランがいくつかあるが、上流階級しか使えない。平均的な平壌市民は肉を食べる余裕もほとんどない。市場で売られている輸入品のほとんどは、彼らが手に入れるためには高すぎる。平壌でもここ数年、長時間にわたる停電が何度も起きた」と語る。

同時に「地方の人々は更に貧しい。彼らの食べ物に対する選択は非常に限られている。ほとんどとは言えないまでも、多くの人が栄養不足の状態だ」と語る。

シェーファー氏が目撃した北朝鮮の人々の苦労は経済面だけではない。

北朝鮮は2009年秋、「100日戦闘」を行った。この期間中、市民には厳しいノルマが課せられ、残業も頻繁に行われた。市民を常に忙しくさせることで、余計なことを考えさせないことを狙った北朝鮮の思想統制手段の一つだ。

北朝鮮外務省のエリートたちも、この期間中は毎週金曜日、農村部に「支援戦闘」に出かけなければならなかった。シェーファー氏ら外交団は、金曜日は外交協議ができなくなる日だと覚悟していたという。

シェーファー氏らは、北朝鮮が厳しい国際社会の制裁のなか、制裁逃れとみられる場面も目撃した。中朝国境地帯にある経済特区の羅先では、中国企業が投資した工場を視察した。生産していた織物や靴にはラベルがついていなかった。「北朝鮮製」であることを隠す意図があるようだった。別の工場では、水産物を入れた箱に「吉林産水産物」という表示が記載されていたという。

そして、北朝鮮による厳しい思想統制の現場にもたびたび遭遇した。

シェーファー氏らはある日、金日成総合大を訪問した。学生らがドイツ語を勉強していた。同氏が「なぜドイツ語を勉強しているのか」と聞くと、学生らは「両親に命じられた」と答えた。同氏が「なぜ、あなたたちの親はドイツ語を勉強するように命じたのだろうか」と聞いても、学生らは理由を知らなかった。さらに「なぜ聞かなかったの」と問い詰めても、学生らは首をすくめて笑うばかりだったという。

ある、雨が降る夏の夜、シェーファー氏と夫人は、拡声機の音で目が覚めた。音は遠くから聞こえてくるようだった。興味を覚えた夫妻は音に向かって数キロ歩いた先で、明かりのないなか、雨の中で数百人の子供が歩行訓練をしているのを見た。ほとんどが10歳から13歳のように見えた。子どもたちの表情には、喜びや楽しんでいる気配はうかがえなかった。雨と拡声器の騒音が響くなか、小さな女の子が疲れ果てて、積み上げられた衣類のうえで眠っていた。

また、北朝鮮は信教の自由があると公言し、平壌に教会も設置している。だが、シェーファー氏が聞いた「説教」は以下の通りだった。

「悪の力である米国と南朝鮮が現在、核戦争を準備しています。神の助けを借りて、私たちはすべての攻撃を防ぎ、神の名前と祝福のもと、統一のための大聖戦を始めます。祖国を離れ、半島全体を解放し、南に平和を運びます。金正恩同志が私たちを導いてくれます」

シェーファー氏は著書で、「外国人がほとんど行かない」平壌の場所に掲示されたポスターの内容を明らかにした。それは「不純なプロパガンダ」に関する通知だった。本や写真、映画、音楽を通じて「不純なプロパガンダ」を密輸、所持、購入、販売、流通、消費することを禁じていた。

ポスターはまた、無許可の会議や外国との通信、「みだらな歌」、違法なアルコール生産、軍事施設の撮影などを禁じていた。違反者は階級や所属に関係なく、「最も厳しい処罰」か「家族を伴った強制移住」が科せられるとした。シェーファー氏によれば、「最も厳しい処罰」とは、死刑を含む厳罰を意味するという。

そして、シェーファー氏らはある日、郊外への小旅行中、通過しようとした小さな街の入り口で30分ほど待たされた。通行人は、同氏らに「町の中心部で公開処刑が行われている」と教えてくれた。

シェーファー氏はインタビューで、北朝鮮による監視・統制システムについて「間違いなく旧東ドイツよりもひどい。東ドイツの人々は、自国内や他の社会主義諸国への旅行のほか、西ドイツとの間で手紙や小包を交換することも許されていた。平壌の住民は、特別の許可なしに首都を離れることさえできない。私は何十年も平壌を離れていない人々を知っている」と語る。そして、著書のなかで「北朝鮮の貧困の原因は、経済制裁ではなく、そのシステムにある」と指摘した。