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ソ連版スペースシャトル、ソユーズ、ガガーリン…宇宙大国ロシアをめぐる

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
ヴェーデンハーで見ることのできるブラン機は、ハリボテに近い=撮影・服部倫卓
ヴェーデンハーで見ることのできるブラン機は、ハリボテに近い=撮影・服部倫卓

前回に引き続き、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行から60周年を迎えるのを記念して、宇宙に関連した話題を取り上げます。今回は、ロシアの宇宙博物館めぐりです。

ロシアの代表的な宇宙博物館は、首都モスクワのある一画に集中しています。

以前、「全ロシア博覧センターは旧ソ連の国際関係の縮図」というコラムをお届けしましたが、くだんの全ロシア博覧センターがその舞台に他なりません。

社会主義のソ連時代には「ソ連邦国民経済成果展示場」と呼ばれていただけあって(その略語から現在もVDNKh〈ヴェーデンハー〉と呼ぶのが一般的)、ここはソ連の経済および科学の成果を内外に誇示するための施設であり、その一環として非常に充実した宇宙関連展示も行われていたわけです。

ソ連崩壊後の1990年代には、宇宙関連展示が荒廃したこともありましたが、現在はすっかり息を吹き返しています。

宇宙征服者のオベリスク=服部倫卓撮影
宇宙征服者のオベリスク=服部倫卓撮影

全ロシア博覧センターに所在し、ソ連時代から国を代表する宇宙開発の殿堂となってきたのが、「宇宙飛行士博物館」です。

地下鉄のヴェーデンハー駅からも近く、上掲の写真に見るように、巨大な「宇宙征服者のオベリスク」が目印になっているので、簡単にたどり着けるでしょう。

ちなみに、高さ108メートルもあるこのオベリスクは総チタン合金製であり、かつては資本主義陣営にとっても驚嘆すべきものでした。

宇宙飛行士博物館では、ソ連の主な宇宙開発プログラムを象徴するアイテムが展示されており、ロシア語と英語の解説が添えられているので、かつて社会主義の超大国が手掛けていた宇宙開発の軌跡を学ぶことができます。

宇宙機器は、宇宙に旅立ったら地上に戻ってこないものが多く、したがって博物館の展示も模型が主流とはなりますが、貴重な実物も一部含まれています。

ソ連の宇宙開発プログラムとしては、まず月探査の「ルナ計画」に触れておくべきでしょう。

アメリカのアポロ計画が有人月面着陸に成功したので、ソ連の影が薄くなってしまいましたが、もともとはソ連のルナ計画の方が先行していました。

1959年1月のルナ1号は地球の重力圏から離れた世界初の人工惑星となり、同年9月のルナ2号は世界で初めて月面に到達した人工物となりました。

宇宙飛行士博物館では、ルナ16号の模型が展示されています。ルナ16号は1970年9月に打ち上げられ、世界で初めて、無人探査機により月の石を地球に持ち帰ることに成功しました。回収された月の土壌は、101グラムだったということです。

ルナ16号の2分の1模型=服部倫卓撮影
ルナ16号の2分の1模型=服部倫卓撮影

ソ連の宇宙開発プログラムの中でも、とりわけ画期的だったのが、金星探査の「ベネラ計画」です。1961年2月のベネラ1号に始まり、1983年6月のベネラ16号まで、金星探査の挑戦が続きました。

このうち、金星に着陸機を放ち、温度や大気成分のデータ送信に成功したのがベネラ4号であり、それにより金星大気のほとんどが二酸化炭素であること、きわめて高温、高圧であることが判明しました。

宇宙飛行士博物館には、そのベネラ4号の模型が展示されています。その後、1970年8月打ち上げのベネラ7号が、史上初めて金星への着陸に成功することになります。

ベネラ4号の3分の1模型=服部倫卓撮影
ベネラ4号の3分の1模型=服部倫卓撮影

ソ連の宇宙開発プログラムでは、火星探査の「マルス計画」も忘れてはなりません。1962年11月打ち上げのマルス1号から、1973年8月打ち上げのマルス7号まで続き、後継の「フォボス計画」に引き継がれました。

宇宙飛行士博物館に展示されているのはマルス3号の模型であり、これは1972年12月、史上初めて火星表面に軟着陸した探査機でした。

マルス3号降下モジュールの実寸模型=服部倫卓撮影
マルス3号降下モジュールの実寸模型=服部倫卓撮影

このように、やはり展示物は模型が多いのですが、貴重な本物の展示品の一例としては、ソユーズ37号が挙げられます。

1980年にソ連人とベトナム人の乗組員を宇宙ステーション「サリュート6号」に輸送した宇宙船であり、これによりベトナム人のファム・トゥアンはアジア人として初めて宇宙飛行を行ったことになりました。そして、別のクルーを乗せて地球に帰還、その際の着陸モジュールが宇宙飛行士博物館に展示されているわけです。

1980年10月11日にカザフスタン共和国ジェスカスガン市付近に着陸したソユーズ37号=服部倫卓撮影
1980年10月11日にカザフスタン共和国ジェスカスガン市付近に着陸したソユーズ37号=服部倫卓撮影

全ロシア博覧センターには、宇宙飛行士博物館とは別に、もう一つ立派な宇宙関連展示施設があります。「宇宙・航空センター(通称、宇宙パビリオン)」というのがそれです。

宇宙飛行士博物館がヴェーデンハー駅から至近なのに対し、こちらは駅からだいぶ離れていますが、訪れる価値は充分にあるでしょう。

実は、この宇宙パビリオンはソ連崩壊後に金欠に陥り、展示スペースとして貸し出されていました。筆者も1990年代の半ばに立ち寄った際には、あまりの荒廃振りに「宇宙大国としての矜持も地に墜ちたな」と感じたものです。

ようやく、プーチン政権の下で宇宙パビリオンを復活させることが決まり、大掛かりな再建作業を経て、2018年4月12日に新装オープンしたということです。

宇宙パビリオンは建屋が広大なので、展示物も大型のものが多く、ソ連・ロシア宇宙開発のスケールの大きさを実感できます。

ロシアの子ども向けが中心ですが、様々なプログラムや企画で宇宙を学んでもらおうという取り組みも見られます。

宇宙パビリオンでは国際宇宙ステーション「ミール」も体感できる=服部倫卓撮影
宇宙パビリオンでは国際宇宙ステーション「ミール」も体感できる=服部倫卓撮影

ソ連の宇宙開発プログラムでは、「ブラン計画」も特筆すべきものです。地上と宇宙との間を行き来する宇宙往還機を開発するものであり、その形状が酷似していることから、しばしばソ連版のスペースシャトルと呼ばれました。

しかし、ソ連は必ずしもアメリカのスペースシャトルをパクったわけではなく、もっと前から独自に構想を練っていたようです。

ブランは、1988年11月に初飛行に成功しましたが、その後のソ連崩壊による混乱などから、それが唯一、最後の飛行になってしまいました。

しかも、実際に宇宙に飛んだ1号機は、ソ連崩壊後の2002年に格納庫が強風で潰れて下敷きとなり(8名が亡くなる大事故に)、壊れた機体は解体・廃棄されてしまいました。

本来なら次に飛ぶはずだった2号機は、現在カザフスタンのバイコヌール宇宙基地に置かれていますが、見るも無残な状態のようです。

いくつか作られた試験機のうち、唯一の飛行テスト用試験機だったOK-GLIという機体は、資金難から売りに出され、現在はドイツのシュパイアー技術博物館で展示されています。

それでも、今日のロシアではかろうじて、ヴェーデンハーでブランの雄姿を見ることができます。宇宙パビリオンの近くに、開発段階で力学テスト用に作られたブランの実寸模型が展示されているのです。

模型は、1993年から2014年まではモスクワのゴーリキー公園に置かれていたものが、2014年にヴェーデンハーに移されました。

筆者は中に入ったことはありませんが、機体の内部を見学することも可能です。しかし上述のとおり、機体の力学テストのために作られた模型であり、実際に見た人によると、内部の再現はかなりおざなりとのこと。

入場料を払う価値があるかどうかは微妙で、外から眺めるだけで充分かもしれません。

ヴェーデンハーで見ることのできるブラン機は、ハリボテに近い=撮影・服部倫卓
ヴェーデンハーで見ることのできるブラン機は、ハリボテに近い=撮影・服部倫卓

最期に、宇宙開発の立役者となった偉人たちゆかりの博物館を紹介してみましょう。

モスクワのヴェーデンハーにはもう1カ所、宇宙に関係する博物館があります。ソ連ロケット開発の父であり、ガガーリンを宇宙に送った宇宙船ボストークも開発したセルゲイ・コロリョフ(1907-1966年)の住んだ家が、「アカデミー会員コロリョフの家博物館」として公開されているものです。

ただ、筆者はここを見学したことがないので、実際に訪れたことのある別のコロリョフ博物館をご紹介しましょう。

実はコロリョフはウクライナ中部のジトーミル出身であり、ジトーミルには立派な「コロリョフ記念宇宙博物館」があります。

ウクライナ・ジトーミルのコロリョフ博物館=服部倫卓撮影
ウクライナ・ジトーミルのコロリョフ博物館=服部倫卓撮影

もちろん、60年前に人類初の宇宙飛行を成し遂げたユーリー・ガガーリン(1934-1968年)の博物館もあります。

ガガーリンの故郷であるロシア西部スモレンスク州の街は、1968年にガガーリン市に改名されているのですが、そのガガーリン市に「ガガーリン記念合同博物館」が設けられています。「初の宇宙飛行博物館」や生家など数箇所からなる博物館の複合体です。

最後に、帝政ロシアからソ連時代にかけての宇宙学の元祖とも言うべきコンスタンチン・ツィオルコフスキー(1857-1935年)という学者を取り上げておきましょう。

独学でロケット研究、物理学、数学などに打ち込み、そのSF作品は日本でも翻訳されています。ロシアの宇宙・ロケット開発の下地を作った人物と見ていいでしょう。

そのツィオルコフスキーが生涯の多くを過ごしたロシア中部のカルーガには、1967年に「ツィオルコフスキー記念宇宙歴史博物館」が開設されました。

何と宇宙開発をテーマとした博物館としては、これが世界初だったそうであり(アメリカのスミソニアンの一部である国立航空宇宙博物館は1976年開設)、ソ連という国が世界の宇宙開発をリードしていた時代が確かにあったのだということを、改めて思い知らされます。

筆者は残念ながらここに行ったことがないのですが、YouTubeに博物館の公式チャンネルがあり、英語字幕付きの動画が配信されていたので紹介しておきます。