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戦闘だけでなく珍獣を追うことも……アフガン密着28年の女性記者(下)

アジアで働く
アフガニスタン中部バーミヤンで修復中の仏教遺跡の取材をする安井浩美さん=2017年9月、乗京真知撮影

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1990年代後半、安井浩美さん(56)が取材していたアフガニスタンでは、武装勢力タリバーンが国土の大半を支配し、新政権を樹立した。

ところが、2001年9月に米国で同時多発テロが起こると、情勢は一変した。米国は、同時多発テロを首謀した国際テロ組織アルカイダがアフガニスタンに隠れていると非難し、タリバーン政権への空爆に踏み切ったのだった。

安井さんは日本で衛星電話などをそろえ、共同通信社の記者として空爆下のアフガニスタンに入った。多くの報道陣が移動に手間取るなか、安井さんは軍閥のヘリコプターに乗り込んで、いち早く前線に向かった。米軍と北部同盟が手を組み、タリバーンを山奥に追い込んでいく掃討作戦に密着した。

アフガニスタンの首都カブールを占拠した武装勢力タリバーンの戦闘員ら。タリバーンは1996年、カブールを制圧して新政権を樹立した=安井浩美さん撮影

タリバーンが敗走し、戦闘が落ち着いた後の2002年には、西部ヘラートの避難民キャンプを取材した。キャンプには住み家を失った人たちが数十万人集まっていた。現地では米ニューヨーク・タイムズの女性記者ゴールさんと行動をともにした。ゴールさんが信頼する中古車販売業者のサブールさんが、用心棒をかねた運転手として取材に付き添った。

移動中にタリバーンの残党に誘拐されそうになったり、エンジンが故障してして立ち往生したりすることもあったが、なんとか首都カブールに戻った。その後、女優の黒柳徹子さんが国連児童基金(ユニセフ)の親善大使としてアフガニスタンを訪問した際の同行取材でも、サブールさんが運転を買って出てくれた。

アフガニスタンの避難民キャンプを視察した黒柳徹子さん=2002年2月、安井浩美さん撮影

サブールさんは、安井さんが遊牧民を取材したパンジシール出身で、話は尽きなかった。「チャカル ブルン?」(ちょっとお出かけしない?)。2人は一緒にマンゴージュースを飲んだり、公園を散歩したりして、心を通わせた。

安井さんは、サブールさんについて「取材のときに荷物を持ってくれたり、気遣いの言葉を掛けてくれたりして、すごい親切やってん。そこで少しずつ、私のことを気に掛けてくれてるんや、と気づいたの。私もアフガニスタンが好きだし、ここに住むなら2人がいいなと思ってたんよ」と振り返る。

新婚旅行はトルコだった。イスタンブールのモスクでコーランの一節を読み上げ、イスラム式の結婚式を挙げた。カブールに戻った後の2003年春、役所に結婚を届けた。

安井浩美さん(右)と夫サブールさん(左)は2007年、アフガニスタンの中部バーミヤンでホテルを開業した。ローラ・ブッシュ米大統領夫人(当時)も立ち寄った=安井さん提供

そのころカブール近郊では、奇妙なうわさが広がっていた。鋭い牙を持った動物が出没し、村人40人が襲われた――。動物は「ペシャクパラング」(ペシャクはネコ、パラングはヒョウの意味)と呼ばれていた。

謎めいた話を聞くと、確かめてみたくなるのが安井さんだ。カメラを持ち、目撃談が相次ぐカブール北方のショマリ平原へ向かった。現地で情報を集め、住民が射殺したという死骸を見つけた。薄茶色のふさふさした毛はキツネを思わせたが、鋭い歯はオオカミのようだった。

アフガニスタンの首都カブール北郊の平原で見つかった「ペシャクパラング」と呼ばれる動物の死骸=2003年、安井浩美さん撮影

地元民は「戦死した人の肉を食べた野犬とキツネの混血種」「米軍が基地に人を近づけないために放した動物」などと様々な持論を展開。安井さんは正体不明の珍獣に向き合う住民の様子を死骸の写真とともに記事にした。

2000年代中盤は、治安が一時的に良くなった時期で、国内移動がしやすくなった。安井さんは、千数百年前に仏教文化が花開いた中部バーミヤンの仏教遺跡に通い、世界最古級の油絵技法を使った壁画や高さ55㍍もある大仏の取材にのめり込んだ。

アフガニスタン中部バーミヤンの断崖に彫り込まれた大仏の跡。2001年にタリバーンに爆破され、粉々になっていた=2017年7月、乗京真知撮影

大仏はタリバーン政権時に爆破され、大半が崩れ落ちていたが、その残骸から木の皮に書かれた「謎の経文」が見つかったとの情報が発掘チームから寄せられた。

経文は建立時に大仏内に納められた「胎内経」らしく、それ自体が珍しかったが、肝心の経文の中身は分かっていなかった。安井さんは専門家に取材を重ね、経文が7世紀にバーミヤンを訪ねた玄奘三蔵が訳し、日本にも伝わったお経の原典に相当するものであることを突き止め、特報した。インド方面で生まれた仏教がアフガニスタンを経由して日本に伝わっていたことが、バーミヤンの経文からも裏付けられた。

安井浩美さんが作ったアフガニスタンの首都カブールの寺子屋で勉強する子どもたち=2003年6月、安井さん撮影

取材の傍らで、戦時下の子どもを支援する活動も続けてきた。2002年には避難民キャンプで暮らす子ども向けの寺子屋を開設した。学校に通えず、ひもじい暮らしを送っていた子どもたちが、多い時で200人以上集まった。

子どもたちの教材費や先生の給料は、カメラマンとしての収入や日本の友人からの寄付でまかなった。全ての子どもが公立学校に通えるようになるまで6年間続いた寺子屋の活動は、単著「私の大好きな国 アフガニスタン」(あかね書房)に記録した。

2010年には貧しい家庭の女性を支えるハンディークラフト工房をカブールに作った。アフガニスタンには裁縫ができる女性が多いが、それを生かす働き口や販路がなかった。安井さんは女性たちに縫いぐるみやポーチを預けて、伝統的な刺繡を施してもらうことにした。

アフガニスタンの首都カブールのハンディークラフト工房で刺繡を施す地元女性=2014年10月、安井浩美撮影

アフガニスタンならではの色使いや手縫いの味わいは、欧米のチャリティー団体や国際NGOからフェアトレード商品として注目された。日本のNGO「シャンティ国際ボランティア会」の通販サイトでも扱われている。

これまで安井さんがデザインした縫いぐるみは約20種類、ポーチは約80種類、バッグは100種類近くに上る。「むかしファッション業界にいた経験が、こんな形で生きるなんてね」

今では100人弱の女性が参加し、刺繡の手間賃を家計の支えにしている。刺繡は女性たちが自宅に持って帰ってやるため、新型コロナウイルスが広がるなかでも続けられる強みがある。今年も多くの注文が寄せられ、刺繡糸の在庫が切れるほどの人気だ。

アフガニスタンでは、女性が働くことを良しとしない考えが、まだまだ根強い。それでも、安井さんは言う。「働きたいと言って来てくれる女性が、たくさんいる。最初は簡単な縫い物から始めて、少しずつ難しい刺繡も出来るようになって、プロの仕事を覚えていく。小さなことでもコツコツ続けると、生活を変える力になる。そんな姿を見ていると、どれだけ忙しかろうと、この取り組みを続けたいと思うんよ」

アフガニスタンの首都カブールのハンディークラフト工房で働く女性たち=2020年1月、安井浩美さん撮影

気がかりなのは、治安改善の兆しが見えないことだ。安井さんが住むカブールでは、武装勢力の自爆攻撃がやまず、多くの市民が犠牲になっている。砲弾が飛び交った内戦時代や、爆弾が降り注いだ米国の空爆時とは、また違った不安が町を覆っている。

それでも、現地に住み続けるのは、なぜなのか。安井さんは「不安はあるけど」と前置きした上で、「町には、客人をもてなし、親戚や知り合いを大事にする、素朴な人たちがいる。町を出ると、見渡す限りの山々や、地平線まで視界が突き抜けるような、むき出しの自然がある。やっぱり私にとっては、居心地の良いところなんやと思う」と話す。

そして、そこに暮らす人たちが困っているのを見ると、「何とかしないと」と奮い立つ。子どもたちの考える力を養うために学習教室を作れないか。伝統料理や民話を通じてアフガニスタンのことを日本に紹介できないか。次から次へとアイデアがあふれる。「アフガニスタンのために、私ができること、やりたいこと、まだまだ、いっぱいあるんよ」