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元アパレル店長は男装で戦場へ行った アフガン密着28年の女性記者(上)

アジアで働く
アフガニスタン北部タハール州で1998年、タリバーンと戦う北部同盟の戦闘員らと記念撮影する安井浩美さん(左手前)。男性用の服を来て取材していた=安井さん提供

安井さんは1980年代、京都のデパートにある洋服店で働いていた。取り扱っていたのは、最先端のアパレルブランド「ピンクハウス」の洋服や雑貨。

「あのころは外国からモデルさんを呼んだり、ファッションショーを開いたりすると、洋服が飛ぶように売れる時代やったの」。ほどなく店長に抜擢され、販売実績を系列店舗で日本一に押し上げた。

安井浩美さんは1980年代後半、京都のデパートの洋服店で働いていた=安井さん提供

ファッション業界の仕事は嫌いでなかったが、5年ほど働いて貯金がたまったころ、「ふっと、旅に出たくなった」。脳裏には、子どものころにテレビで見た、シルクロードの情景が浮かんでいた。荒涼とした砂漠の中を、ラクダの隊商がゆっくりと進む――。テレビの向こうの異文化を、自分で確かめたかった。

旅の計画を親友に伝えると、親友は二つ返事で「私も行く」。それまで買い集めてきた洋服をタンスに片付け、代わりにリュックサックやウォーキングシューズ、寝袋などを買いそろえた。ピンクハウスのデザイナーには「なんでわざわざ大変な場所に行くの」と慰留されたが、決意は固かった。

まずは上海に渡り、電車で中国西部最大の都市ウルムチに向かった。「西に行くにつれて、だんだん顔の彫りが深くなって、町にはイスラム教のお祈りの音が響き始めた。『何これ、日本とぜんぜんちゃうやん!』って、目にするもの全てにワクワクしてたんよ」

エジプトのツタンカーメン王の墓の前で記念撮影する安井浩美さん。1990年、安井さんは親友とともにシルクロードをめぐる旅をし、エジプトにも立ち寄った=安井さん提供

その後、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシャとシルクロードをたどっていった。イランの人たちは「みんなとっても優しくて、断ると涙目になるくらい親切やった」。現地ではドルが公定レートの30倍もの価値があり、思いがけず五つ星ホテルに泊まれた。

イタリアにも立ち寄った。師走の町を親友と歩いていたところ、見知らぬ紳士が車を止め、ホテルまで送り届けてくれた。紳士は別れ際、窓越しに「メリークリスマス」と告げた。安井さんと親友は顔を見合わせた。「そういえば、きょうクリスマスやん」「めっちゃ、かっこえ~やん」。うっとりしながら、走り去る車を見送った。

およそ1年の旅の後、日本に帰ったのだが、心残りが一つあった。それは、シルクロードの中間点にあるアフガニスタンに行けなかったことだった。旅の目当ての遊牧民は、アフガニスタンで見つけるつもりだった。当時はアフガニスタンに侵攻していたソ連軍が撤退を終えたばかりの時期で、軍閥が割拠して国土は荒れていた。パキスタンからアフガニスタンに入ろうとしたが、国境が閉まっていた。

帰国後はガイドブックを作る編集社のカメラマンとして働いた。ガイドブックに載せる写真を撮りながら、撮影の技術を身につけた。そして1993年、軍閥同士が戦う内戦下のアフガニスタンに向かった。国連やNGOの車に同乗し、国境越えに成功した。

アフガニスタンの東部ジャララバードでは、避難民キャンプの子どもたちが脱水症状や下痢で亡くなっていた。首都カブールでは日が暮れても砲撃がやまず、夜空にヒュンヒュンと赤い閃光が走った。撮りためた写真を日本に持ち帰り、内戦の現状を雑誌などで報告した。

取材を続けるには、お金が必要だった。辺境の旅を扱う旅行会社のガイドとして働いた。リビアでは日本人団体客とともに広大な砂漠を横断し、ジョージアでは山賊に襲われて金目の物を奪われた。幸いケガをすることはなかった。

リビアの砂漠地帯で日本人観光客の旅行ガイドをする安井浩美さん(中央)。安井さんは1990年代後半、ガイドでためたお金で、アフガニスタンの取材を続けていた=安井さん提供

ためたお金は、アフガニスタンの取材につぎ込んだ。忘れられないのは、1995年春の北東部パンジシールでの出来事だ。パンジシールは切り立った渓谷に家が張り付くように建てられていて、細い道が谷沿いに走っているのだが、ある朝、「ミシッミシッ」「カランカラン」と荷物を載せた動物が歩いているような音で目が覚めた。安井さんは「遊牧民だ!」と直感し、布団を飛び出した。

道に出ると、じゅうたんや赤ん坊を載せたラクダやロバが谷を埋めるように数百メートルの列を作って移動していた。「あのときは体が震えた。居場所がつかめなかった遊牧民が、予告なく目の前に現れたんだもん。それから後を追いかけて、付きまとって、シャッターを切りまくったの」

アフガニスタン北東部パンジシールを移動する遊牧民。1990年代後半、安井浩美さんは遊牧民の撮影にのめり込んだ=安井さん撮影

遊牧民は夏の間、高原の宿営地にとどまり、家畜の乳を乾燥させたチーズボール「クルート」を作っていた。夏の終わりには平地の宿営地に移動を始め、途中の町でクルートを売ることで現金収入としていた。当初撮影を嫌がっていた人も、テントで一緒に寝泊まりするうちに打ち解け、宿営地に招き入れてくれるようになった。

遊牧民を追いかけながら、内戦の現場も見続けた。各地で部族同士が戦いを繰り広げていた。なかでも南部を拠点とするパシュトゥーン系の武装勢力タリバーンが優勢で、対立するタジク系やウズベク系などの軍閥からなる「北部同盟」が激しく抵抗していた。

安井さんは北部同盟が支配する村から前線に近づいた。軍閥の司令官たちにインタビューしながら、現地のダリ語を覚えていった。なるべく目立たないように、男性用の民族衣装を身につけた。替えの衣装は1枚だけ。ときおり川で水浴びし、汚れを落とした。苦しい環境でも笑顔を絶やさない安井さんのことを、司令官たちは「ムルサル」(バラの花)と呼んだ。

後編に続く