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中村哲先生の思いは、私たちが受け継ぐ 日本で学んだアフガニスタン人留学生が帰国

Behind the News ニュースの深層
東京農業大学の博士課程を終え、証書を手にするグラブ・グルブディン=2020年3月20日、本人提供

3月20日、晴天が広がった東京農業大学のキャンパス。グラブ・グルブディン(32)は、四角い帽子と黒いガウンに身を包み、博士課程の修了証書を握りしめていた。「アフガニスタン、日本の両国に感謝したい」

昨年12月、中村がアフガニスタンで凶弾に倒れた直後、日本にいる留学生仲間らとフェイスブックなどで連絡を取り合い、中村の遺体が日本に戻る日に成田空港に駆けつけたのが、グルブディンだった。

グルブディンは、中村の活動拠点で、殺害現場となったアフガニスタン東部ジャララバードで生まれ育った。地元のナンガルハル大学で農業を勉強していた2006年ごろ、中村が進めていた用水路の工事現場で中村と出会う。そのとき、中村が一人の「労働者」として働く姿に心を打たれ、日本行きの背中を押された。

「日本人の勤勉さと誠実さを目の当たりにして、日本に行って勉強すべきだという夢をもらった」。グルブディンはそう振り返る。

中村哲医師(左)の広島での講演で、一緒に写真に納まるグラブ・グルブディン=2018年9月、同氏提供

グルブディンは東京農大で、収穫した後の野菜や果物を長持ちさせる技術の研究にとりくんだ。アフガニスタン東部は夏は気温が50度になるほど暑く、電気のアクセスも悪い。トマトは通常2、3週間しか持たないが、緑色の状態で早めに収穫し、一定の温度で保存すれば、数カ月持たせることができるという。

「トマトを緑色のまま一定の温度で保存するといいという論文はあったが、細かく比較をして、なぜそうなるのかを論じた論文はなかった」。グルブディンの指導を担当した東京農大教授の小塩海平(53)は、そう話す。他にもアフガニスタンからの留学生はいるが、「グラブさんは押しが強く研究にも熱心で、リーダー的存在だった」という。グルブディンは昨年、シンガポールでの学会に参加し、賞も取っている。

グルブディンは3月、日本を離れてアフガニスタンに帰国し、ナンガルハル大学で教員の仕事に戻った。

帰国の数日前、グルブディンは中村が現地代表を務めていたNGO「ペシャワール会」に手紙を書いた。「私たちの地域へのご支援とご協力への心からの感謝と、私たちもプロジェクトの円滑な実施に協力する用意があることをお伝えするため、この手紙を書かせて頂きました」。記者に託した手紙には、そう書かれていた。

東京農業大学の修士課程を終えたグラブ・グルブディン。3月下旬にアフガニスタンに帰国した

用水路で救われた故郷

埼玉大学大学院の修士課程で地震工学を研究するエスマトゥーラ・スルタニ(25)は、ジャララバード北部のクナール川の近くで育った。

埼玉大学大学院の修士課程で地震工学を研究するエスマトゥラ・スルタニ

15歳のころ、川のそばでクリケットをして遊んでいた時、近くで堤防の工事をしていたのが中村だった。スルタニらが石を運ぶのを手伝うと、「ありがとう」と応じたくれたのを覚えている。

スルタニの兄が撮影した、ジャララバード近郊の自宅近くの風景。中村哲医師らが造った用水路や堤防は、村を洪水から守っているという=2020年2月、ラトフラー・スルタニ氏撮影

子どもの頃、自宅の周囲は砂漠だったが、夏場は川が氾濫し、洪水に悩まされていた。2010年に起きた大規模な洪水で、自宅が破壊され、農地も水没。首都カブールのおじの家に避難した。だがその後、中村らが堤防などを整備し、洪水も起きていないという。中村らが整備した用水路のおかげで、かつて砂漠だった地域は水が流れ、緑が広がった。「中村先生がいなかったら、自分たちは地元に住み続けることはできなかった」。

スルタニの兄が撮影した、ジャララバード近郊の自宅近くの風景。緑が広がる地域もかつては砂漠だったという=2020年2月、ラトフラー・スルタニ氏撮影

スルタニは今回の留学を終えて地元の大学講師の仕事に戻り、中村を講師として呼ぶつもりだった。「彼の講義を受けるのが私の夢だった。それがかなわず悲しい」。それでも、「博士号を取るためにまた日本に来たい」という。

彼らは、国際協力機構(JICA)の奨学金制度を使って日本に来た。2001年の米同時多発テロの後、米国がアフガニスタンに侵攻。内戦が続く同国の再建を担う人材を育てるため、日本政府の支援の一環としてJICAが2011年に始めた。これまで約600人のアフガニスタン人留学生を受け入れている。受け入れ先は、北は秋田大、新潟大、南は熊本大、琉球大と全国に広がる。

留学制度は2025年まで延長されたが、課題の一つが女性の少なさ。約600人のうち、女性は40人にも満たなかった。「アフガニスタンでは治安が悪いうえ、保守的な家が多く、女性が一人で試験会場に行くことすら難しい」とJICA担当者は言う。

「あなたのビジョンを続ける」

アフガニスタンの都市開発・国土省の局長サハル・ハマダルド(31)は、中村の悲報を西部ヘラートで聞いた。カブールに戻り、空港で中村の遺体を日本に送り出す追悼式に参加した。日本から駆けつけた中村の娘と会い、数分言葉を交わした。アフガニスタンの人々への感謝を伝えて欲しい、と言われたという。

豊橋技術科学大学で都市計画の研究をしたサハル・ハマダルド。カブール市で女性初の副市長もつとめた

ハマダルドは14年までの2年間、豊橋技術科学大学で都市計画の研究をした。JICAの留学生の中で、数少ない女性の一人だ。帰国後、カブール市で女性初の副市長もつとめた。今では国内の開発のための法整備などを進める。

ハマダルドは5年ほど前、カブールの日本大使館で一度だけ中村と会ったことがある。都市計画の仕事をしていると話すと、中村にこう言われたという。「アフガニスタンは農業の国で、都市計画はその中心となる仕事だ。持続的な開発のためには、十分な農地と水が必要だ。とにかくそれらを活用するんだ」

ハマダルドは「中村先生の言葉を覚えておく必要がある」と話し、こう加えた。「アフガニスタンの人々は、中村先生がやってくれたことに感謝している。我々は彼のビジョン、目的を追求し続ける」

スルタニの兄が撮影した、ジャララバード近郊の自宅近くの風景。緑が広がる地域もかつては砂漠だったという=2020年2月、ラトフラー・スルタニ氏撮影