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ムーミンのスナフキンは「孤独」の達人、と思いきや…原作との意外な違いにびっくり

World Now 更新日: 公開日:
『ムーミン谷の冬』(講談社、トーベ・ヤンソン作、山室静訳) スナフキンの挿絵から ©Moomin Characters™

 「モデルは原作者の元彼」説

「ムーミン」のおもな舞台は、ムーミン一家が暮らすムーミン谷。主人公ムーミントロールの親友であるスナフキンは、暖かい季節には川辺にテントを張って暮らし、秋が来てムーミン谷の住人たちが冬眠に入る頃に南へと旅立つ。そして春になると、またムーミン谷へ帰ってくる。極めてざっくりと言えば、それがスナフキンの生活パターンだ。

 1969年から日本で放送された昭和版アニメの記憶が鮮明な私には、子供にはなかなか理解しがたいハードボイルドな発言をするクールで、ちょっぴり危険な香りがする大人の男、それでいて、どこか悲しげなスナフキンが、「孤独」な人に見えたものだ。

ところが、全9巻になる原作小説ではだいぶ趣が違う。自由と旅を愛しつつ、ムーミンたちと過ごす時間も大切にする、そして、大好きな作曲を邪魔されてムッとしたかと思えば、ムーミン谷の住人たちと無邪気に戯れる。そんなスナフキンが描かれている。

日本版ムーミン公式サイトにブログを執筆しているライターの萩原まみさんに、教えを請うた。どうして、こんなことになっちゃったんでしょう? 

「アニメでムーミンを知った方は、どの時代の作品を見たかによってもスナフキンのイメージがぜんぜん違います。アニメは昭和だけでなく、平成(1990年から)にも制作されていますが、もともと原作の年齢設定もあやふやなところがあって、昭和版だとスナフキンはムーミンにアドバイスをしてあげるお兄さん的な存在ですが、原作により忠実な平成版だと、ムーミンよりもちょっとだけ年上に見えるぐらいで、ほぼ同じ目線で遊んでいるんです」

「必須のアイテム」と私が勝手に思っていたギターも、原作ではハーモニカ。萩原さんによれば、昭和版アニメをつくる際に、ハーモニカを吹いているとセリフがうまくしゃべれないため、ギターに変更したというのが定説という。

「昭和版アニメが作られた当時、資料も少なくて原作から離れた独自の解釈で作品が作られてしまったようです」

トーベ・ヤンソン《スナフキン スケッチ》 ムーミンキャラクターズ社 ©Moomin Characters™

平成版アニメはその反省から、より原作に近いものになっているというけれど、うーん、昭和版がすべてだと思っていた私には、やっぱりショックだなあ。ただ、原作そのものにもブレや幅があると萩原さんは言う。 

原作者でフィンランドの女性芸術家トーベ・ヤンソン(1914~2001)は、1945年に初のムーミン小説『小さなトロールと大きな洪水』を出版してから長期にわたってムーミン作品を世に送り出してきた。その間、原作でもスナフキンのイメージは微妙に変化している、と萩原さんは言う。

「ムーミン作品の人気が出て、トーベが次作を書いて、また求められて次を書いて、という感じでムーミンの世界が広がっていきました。だから、シリーズ全体を通してみると整合性がないところもけっこうあります。ただ、スナフキンに関して言えば、ムーミンたちと一緒に遊ぶのも好きなんだけど、一人で作曲したり、気ままに過ごしたりするのも好きというキャラクター設定はおおむね一貫しています」

ムーミン作品に登場するキャラクターは、トーベの周囲に実在した人物が投影されているケースが多いという。スナフキンの場合、おもなモデルは、トーベが若い頃に結婚まで考えたアトス・ヴィルタネンという男性だったと言われている。

哲学者、政治家、詩人でもあった彼は、スナフキンとよく似た緑のとんがり帽子をかぶっていた。これにトーベの叔父のイメージなども加わって、スナフキン像が形づくられていったという。

「ムーミンはスナフキンに憧れがあって、旅に出るスナフキンについて行きたいんだけど、邪魔になっちゃうから、自分は帰ってくるのを待っている。そんなところに、当時の男女の関係が投影されているかもしれません。トーベと彼は長く付き合っていましたが、政治的なことや戦争など様々な事情で結婚には至らず、そのうちトーベに同性の恋人ができて、結局アトスとは破局しました」と、萩原さん。作品中に登場するトフスラン、ビフスランという小さな仲良し2人組のキャラクターは、トーベとその女性をモデルにしているという。

ミイとスナフキン、実は異父きょうだい

私がとくに気になったのが、スナフキンの意外な「ぶち切れ」キャラだ。ふだんは冷静に振る舞っているのに、突然すごい怒りをあらわにすることがあるのだ。

『ムーミン谷の夏まつり』(講談社刊、下村隆一訳)という作品では、公園を管理する公園番が「~するべからず」という禁止看板をあちこちに立てているのを見て、スナフキンの怒りが爆発。

そこで、公園番をやっつけるために使ったのが、体に電気を帯びている不思議な生きものニョロニョロだった。公園にニョロニョロのたねをまいて、公園番を感電させるお仕置きシーンが描かれている。

まさか、あのニヒルなスナフキンが、そんなことをするなんて……ああ、私の中のイメージが、がらがらと音を立てて崩れていく。

萩原さんは言う。「スナフキンは、できれば他人に干渉したくない、ひとりで釣りや作曲をしていたい人。だからこそかもしれませんが、束縛をすごく嫌います。自由をこよなく愛するがゆえに、それを害されると許せない質なのでしょう」

萩原さんが教えてくれたスナフキンの「血縁関係」にも、少なからず衝撃を受けた。人気キャラクターで、お団子ヘアがトレードマークの「ちびのミイ」と、実姉の「ミムラねえさん」が、原作ではスナフキンの異父きょうだいなのだ。

「スナフキンのお父さんのヨクサルが旅の途中で、ミムラ夫人という女性と恋に落ちて、スナフキンが生まれたという設定になっています。そして、ミムラ夫人には先に、ミイとミムラねえさんという子供がいました」と萩原さん。

『ムーミン谷の夏まつり』(講談社、トーベ・ヤンソン作、下村隆一訳) スナフキン、ミイ、ミムラねえさんたちの挿絵から ©Moomin Characters™

たしかに言われてみれば、ミイとスナフキン、どことなく似ているような……でも、子供の頃に知っていたら、アニメの見方もちょっと変わっていたかもしれないなあ。スナフキンのお母さんって、どんな人なんだろう? 

「ミムラ夫人には結婚という概念がなく、ミイとミムラねえさんの父親が誰なのかは作品中では描かれていません。そして、ミムラ夫人にはミイやスナフキンの他にも、たくさんの子供がいることになっています。そもそも、彼らは人間ではないですしね」

萩原さんが執筆しているムーミン公式サイトを見てみると、ミムラ夫人の子供は少なくとも37人きょうだいで、彼女自身も何人いるのか正確には把握できていないらしいとあった。

ええ、37人……もう、何がなんだか分からないぞ。頭がくらくらしてきた私に、萩原さんは笑って言った。「あまり細かいことは気にしない方がいいです。ムーミン作品は、ああ、こういう世界観なんだなとそのまま受け止めて楽しむのが、いちばんいいと私は思います」

作品に投影された、トーベ・ヤンソンの生き方

孤独を愛するスナフキンには、アーティストの魂が見える――。こう指摘するのは、日本各地を巡回中の「ムーミン展」(朝日新聞社など主催)の展示監修も手がけたライター・編集者の内山さつきさんだ。 

「スナフキンがムーミンたちと違うところは、自分ひとりになることを恐れていないところだと思います。ハーモニカで作曲をしているとき、メロディーが降りてくる瞬間をなによりも大切にしている。創作って独りにならないと、できないものですよね。人間関係がイヤなのではなく、霊感、インスピレーションを自然から受け取りたいから、あえて独りになる。スナフキンはそんな芸術家なんじゃないかな、と思います」

原作者のトーベ・ヤンソンも自由と孤独に向き合い続けた芸術家だった。代表的な伝記のひとつ、『トーベ・ヤンソン―仕事、愛、ムーミン―』(ボエル・ウェスティン著、畑中麻紀、森下圭子・共訳、講談社刊)によれば、1914年、彫刻家の父と挿絵画家の母のもとに生まれたトーベは、第1次世界大戦の渦中で幼少期を過ごす。弱冠14歳で雑誌のイラスト掲載でデビューし、第2次大戦と戦後の困難をくぐり抜け、「ムーミン」シリーズの最初の物語『小さなトロールと大きな洪水』を1945年に発表した。

当時はまったく注目されず、書評はたったひとつしか掲載されなかったが、それに続く『ムーミン谷の彗星』(1946年)、『たのしいムーミン一家』(1948年)を経て、有名作家の仲間入りを果たす。以降、フィンランドを代表する女性芸術家となり、86年間の生涯を閉じるまで画家・作家として幅広く活動を続けた。

ファンには周知かもしれないが、トーベのバックグラウンドにも考えさせられる。彼女は母国フィンランドでも少数派のスウェーデン語系フィンランド人。後半生は同性のパートナーと過ごした。そんなトーベの心情を、内山さんはこう読み解く。

「彼女はアーティストとしても、女性としても、現代より自立して生きるのが難しい時代に生きたといえます。そして、けっして社会の多数派ではありませんでした。そんな中で自分らしく生きて行くには他人からどう思われてもいいという覚悟をすること、つまり、孤独になるかもしれないことを引き受けることが必要でした」

その生き方はムーミン作品にも投影されている、と内山さんは言う。

「ムーミン一家はトーベ自身の家族をモデルにしています。ムーミンやしきを訪れるキャラクターたちにはいろいろな個性の人がいて、それでいて、みんながいつも仲良くしているわけじゃないんです。風変わりな人、偏屈な人、頑固な人などが、それぞれに悩みを抱えている。でも、みんなが自分らしく生きられるようになるには、ある程度は互いを認め合わなければいけません。そんな多様性や寛容さを、トーベは作品中で重要なテーマにしていたのではないでしょうか」 

なるほど、個性の強いメンバーに囲まれて、一見クールなスナフキンが異彩を放つ理由がなんとなく見えてきた。トーベは物語の中でスナフキンにどんな役割を担わせていたのだろう?

孤独が重要なテーマの一つだったとされる『ムーミン谷の十一月』(講談社刊、鈴木徹郎訳)という作品で、トーベはムーミン一家が不在のムーミンやしきで、騒々しく世話のやける仲間たちに囲まれたスナフキンに、こんな自問自答をさせている。 

『はっと、きゅうにスナフキンは、ムーミン一家がこいしくて、たまらなくなりました。ムーミンたちだって、うるさいことはうるさいんです。(中略)でも、ムーミンたちといっしょのときは、自分ひとりになれるんです』

『ムーミン谷の十一月』(講談社、トーベ・ヤンソン作、鈴木徹郎訳) スナフキンの挿絵から ©Moomin Characters™

この一節を内山さんはこう読み解く。

「孤独にもプラスとマイナスの二種類がある、と私は思います。誰にも束縛されず、自由でいられる豊かな『独り』の時間と、誰からも理解してもらえない悲しみ。後者はむしろ『孤立』に近いものです。スナフキンは、自分が自分であることを邪魔されたくない。そして、ムーミンたちは、そんなスナフキンを理解し、一緒にいても、彼が彼であることを邪魔しません。だから、スナフキンは、ありのままの自分でいることができるんじゃないかと思います」

ムーミンたちもうるさいけれど、ムーミンたちと一緒にいるときは自分ひとりになれる――。その心は、スナフキンが「孤独」に浸りたいと思えば、それを受け入れてくれるムーミンたちの側の寛容さにあるのではないのか。

そんなほどよい距離感で共存する世界を、原作者のトーベは描きたかったのかもしれない。

それでも、と内山さんは言う。

「ムーミントロールはスナフキンが旅立つのを引き留めませんが、親友ですから本当は寂しいし、彼は彼の孤独を感じているんです。『ムーミン谷の仲間たち』の中には、『ムーミントロールの目は、かなしみでまっくらになり、だれがどうなぐさめてもだめなんです』という一文さえあります。すごくつらいけど、受け入れないと、スナフキンはスナフキンでいられなくなってしまう。誰かを心から受け入れようとするならば、そういう自分とは相いれない側面も、等しく引き受けなければならないことをトーベは描いています。2人の関係をより良いものにしていくためには、ムーミントロール自身も変化することが必要になってきますね」

孤独の辛さから抜け出すヒント

トーベ・ヤンソンの評伝の翻訳も手がけたフィンランド在住の翻訳家・森下圭子さんは、ムーミン作品には孤独が苦しくなった人たちが、その辛さから抜け出すためのヒントがちりばめられていると説く。そのひとつが、孤独を抱える人々に転機をもたらす、ちょっとした「勇気」だ。

『ムーミン谷の仲間たち』(講談社刊、山室静訳)に収められている「春のしらべ」という話は、森下さんお勧めのスナフキンのエピソード。ネタバレするが、あらすじはこうだ。 

旅からムーミン谷に帰る途中にスナフキンは、「はい虫」というちっぽけな生き物に出会う。この生き物には名前がなかった。ずっと憧れていたスナフキンに出会ったはい虫は、話がしたくて後を付いてくる。

せっかくあたためてきた「春のしらべ」のインスピレーションがわき上がってきたところを邪魔されて、最初スナフキンはムッとするものの、はい虫の熱心さにほだされて、曲作りをあきらめておしゃべりに付き合ってあげる。

ところが、名前を持たないはい虫に、スナフキンが「ティーティ=ウー」という名前を付けてあげたとたん、2人の関係が変化。やせっぽっちで自分に自信がなく、おどおどした性格のはい虫は、名前を持ったことで自分の人生を精いっぱい生きることに関心が向く。

やがて、スナフキンとおしゃべりすることをやめ、明るく立ち去ってしまうのだった。

『ムーミン谷の仲間たち』(講談社、トーベ・ヤンソン作、山室静訳) はい虫の挿絵から ©Moomin Characters™

後に残されたスナフキンは、それはそれでちょっぴり滑稽に見えるのだが、森下さんはこう解説してくれた。

「この2人の出会いは、はい虫が勇気を出してスナフキンに話しかけたところから始まりますが、同時にスナフキンがはい虫を排除せず、その存在に気づき立ち止まることで2人の関係が開けました。はい虫はもう孤独ではなく、一人でいても楽しそうですらあるのです」

そして、森下さんはこう分析する。

「ムーミン作品には、けっして望んでいるわけではないのに独りぼっちになっている人たちがあちこちにいます。それは孤独というよりも、孤立してしまったような気分の中にいたり、他者と関わりたいのにそれができなくなったりした状態。それは現代のフィンランドが直面している問題と通じるところがあると考えています」

トーベ・ヤンソンの母国フィンランドは、国連の幸福度調査で2018、2019年と2年連続で世界トップに輝いた「幸福な国」。

ところが意外にも、1980年代は10万人当たりの自殺率が世界最悪の水準で、80年代後半には国をあげての自殺予防対策に乗り出した。

1986年の自殺のケース全てを調査し、家族や身近な人、関わりのあった医療や福祉の関係者たちの声にも耳を傾け、彼らの心のケアを心がけながら具体的な対策を練った。

その結果、現在の自殺数はピーク時からほぼ半減している。ただ、それでも若者と高齢者の自殺は増加傾向にあり、問題は深刻だ。

20年以上フィンランドに暮らしている森下さんは言う。

「フィンランドの人はもともと一人でいること、自分らしくあることを好む人たちだと思いますが、社会の中で生きていると、孤独は常に自分が望んでいる『孤独』であるとは限りません。この国で高齢者の自殺の理由で特徴的なのが孤独です。親元を離れて学生生活を始めた若者たちが新生活で抱える悩みのひとつも孤独です。孤独を抱えて勇気を出せない人や、助けが必要なことすら自覚できない状況にある人に、誰かが気づいて手をさしのべられたら。フィンランドでも都市部では隣に誰が住んでいるのか知らなかったり、他者への無関心が目立ちます。そこで精神科医が図書館や福祉事務所の職員たちに、気を留めて欲しい人たちや声をかけるべき人の症状について話すといった取り組みもあります。本来は人々の日常に根付いていて欲しいことだとも言われています。声が出せない人たちの存在を知ること、気づいたらどうすればいいのか、そのヒントがムーミン作品には、たくさん詰まっているように思うのです」

2019年の幸福度調査で、日本の順位は156カ国・地域のうち58位だった。これは2012年の報告開始以来、最も低い。自殺率(2018年)も16.5人で、9年連続で減少が続いているとはいえ、フィンランドを上回っている。スナフキンの言葉を、わたしももういちどじっくりと読み返してみようと思う。