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日本で満喫、ひとりメシの贅沢 なかなか味わえない国もある

マイケル・ブースの世界を食べる
北村玲奈撮影

今夜は1人かい? それって悪いことかい?

私が座る、さまざまな物語で満たされたダイニングルームの片隅からは、そうは思えない。誰もが人と会い、集まることへのプレッシャーを感じるクリスマスの時期であっても、私は喜んで1人でレストランへと向かう。本当はそのほうが好きなくらいだ。料理を待つ間、他の客を観察し、その装いやふるまいを読み解きながら、彼らの生活を夢想することができるとなれば、なおさらだ。店がすいているときも、常に本を持ち歩いているので、醜い光を放つ携帯電話に手が伸びずにすむ(携帯電話はレストランでは頭痛の種だ。画面をのぞきこむと、邪悪な光がぎらぎらと顔に注ぎ、ホラー映画の犠牲者かというほどになるのだから)。

仕事のために外食することが多いが、世界中どこに行ってもそうしてきたので、慣れているほうだと思う。しかし「ソロ・ダイナー(ひとり客)」としては、その体験は国によってまるで違っていると気がつき始めた。たとえば韓国では、1人での食事は成立しない。最近新しい本のリサーチで行ったときに試してみたが、釜山からソウルまで、店に入ってあいてますかと聞くたびに、店員はいつも「で、お連れ様は?」とでも言わんばかりに私の肩越しに目をやるのだ。1人で食事をするという発想自体、彼らにとってほとんど考え難いことなのだろう。入り口で断られた店は1カ所ではない。クリスマスにやろうものなら、どんな反応をされることか!

なるほど、韓国人は社交的で知られるわけだ。日本人は違う。もちろん社交的になろうと思えばなれるが、同様に1人での食事もしっかり楽しんでいるように見える。その結果、日本は、ソロ・ダイナーにとって世界で最高の国となった。これもまた、この国の食文化を愛する理由の一つである。すし屋のカウンター、ラーメン屋、懐石料理店でさえ、日本のレストランは1人で食事をしたい人たちのニーズを完璧に満たしている。これは何もおかしくはないし、誰も深く考えたりしない。同等の素晴らしいサービスや心づかい、料理の質が約束されている。

■イギリスでも変化が

イギリスのひとりメシの最前線では、変化が起こりつつある。予約サイト「オープンテーブル」によると、1人の予約はここ数年、急増しているらしい。でもイタリアではこうはいかない。街の食堂の薄暗い隅っこやトイレのそばで、または入り口から来る冷たい風の中で忘れられ、いつまでたっても運ばれない料理、注がれないグラス、届かない伝票を待つことになるような国である。立ち上がって店員の正面で自分の存在を思い出させないとならないのだ。

日本ではなぜ、ひとりメシが当たり前に受け入れられるのか、理由を考えた。日本人は他の国よりも、ありのままの自分にハッピーで自信を持っているということか。あるいはより孤独で、より寂しい? 両方がちょっとずつあるんじゃないかと思う。

多くの人はレストランで1人で食事をするとき、自意識過剰になりがちだ。気取ったミシュラン星付きフレンチや、教会を思わせる空気感を狙うなどのある種の店では、私もそうである。「おもてなし」の解釈としては奇妙だが、シェフの中には客席が静かでどこか物憂げであることを好む人たちもいる。そのほうが、客は自分たちの料理を崇めてくれる。私には耐え難い空間なので、1人のときは避けるようにしている。

それでも私は確信している。勇気を持てば、もっと多くの人が1人での食事を楽しむようになると。1人なら、誰の目も気にしないで注文できる。ステーキをウェルダンで注文するのも、デザートを二つ頼むのも、ワインをボトル半分だけお願いするのも、全ては自分だけのためだ! なんたる至福。加えて、他の人が食べるところを見なくてもいい。食後のコーヒーを頼むために、他の人が食べ終わるのを待たなくてもいい。ああもういい加減にして! なんといっても、「ちょっと味見させて」と誰かに食べ物を狙われることもない。触れてくれるな! (訳・菴原みなと)