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野球のようで、野球でない フィンランド生まれの「ペサパッロ」、意外な地域に広がり

Insight 世界のスポーツ 更新日: 公開日:
投手が上げたトスを狙い澄まして打ち込む。打球のスピードは大リーガー並みの選手もいる=フィンランド・ヨエンスー、西村宏治撮影

■フィンランドの「国技」

ペサパッロが生まれたのは、1920年代。スポーツ指導者でもあったラウリ・ピカラ(1888~1981)が米国で見た野球をもとに、ルールを改良してつくりあげた。フィンランドではスポーツといえばアイスホッケーが人気だが、ペサパッロも学校教育などに採り入れられ、特にヘルシンキ以外の地方で高い人気を誇っている。ペサパッロ協会によると、今ではフィンランド全土で競技レベルで約1万6500人、趣味レベルでも5万~6万人が日常的にプレーしている。

トップクラスのリーグ戦は都市ごとのチームが競っていて、日本の都市対抗野球のような趣だが、男子チームの中にはプロとして活動している選手もいる。その選手たちは毎年1度、東西に分かれてオールスター戦を戦うのだ。

■熱いファンたちが盛り上げる

ヘルシンキから電車で4時間余り。6月末、人口7万の東部の小都市ヨエンスーを訪ねた。迎えてくれたのはトップリーグ「Superpesis」のユッシ・ピサロCEO(43)。「オールスターは毎年、開催地が変わるんですが、それを追いかけているファンもいる。ファンにとっても特別なお祭りなんですよ」と教えてくれた。

オールスターは3日間のお祭りだ。ジュニアや女子の試合に続き、最終日にトップの男子の試合がある。前夜、繁華街には多くのペサパッロファンが繰り出して気勢を上げていた。「毎年、必ず見に来るんだよ!」。これまで観戦したオールスターゲームの日付と開催地を書き込んだTシャツを着ていたのは、ティモ・マッコネンさん(52)とヤルッコ・ヴァテネンさん(49)。「ペサパッロは人生の一部だよ!ファンには、いいつながりがある。この仲間たちが最高なんだ!」

オールスターは3日間のお祭り。街にはファンが多く繰り出していた=西村宏治撮影

翌日の男子の試合は、臨時の座席まで埋まっていた。観客は約4300人。DJがアナウンスで場内を盛り上げると、スタンド中から手拍子が響く。走者が豪快なヘッドスライディングをするたび、大きな歓声が上がる。

スタンドには4000人を超えるファンが詰めかけ、熱い声援を送っていた=フィンランド・ヨエンスー、西村宏治撮影

■打ったら……そっち? 野球のようで野球ではない

野球を見知っている人がペサパッロを見てまず驚くのは、投手だろう。野球では投手は球を打者に向かって投げるが、ペサパッロでは、打者の横に立って上にトスをする。投手は自分の頭よりも1メートル以上高くボールをトスをする必要があるが、打つのはそれほど難しくない。ボールは野球の硬球にほぼ近い。

野球とは違って投手がトスしたボールを打ち返す。打球は速い=西村宏治撮影

ただし、ヒットになるのはフィールド内でバウンドした打球だけだ。野球とは違って、どれだけ遠くに飛ばしても、フィールド外に落ちればファウルになる。だから選手たちは、とにかく速い打球を野手の間に打つことを狙う。トップクラスの選手たちは打球も速く、「中には米大リーグのトップ選手並みの選手たちもいます」とピサロCEOが言った。

次に驚くのは、走り出す方向だ。野球で言えば三塁側、向かって左側にファーストベースがある。野球のフィールドにあわせて言えば、三塁の位置(これがファースト)から、一塁の位置へ走り(これがセカンド)、三塁の奥の左翼線上に設けられたサードベースを経て、本塁に帰ることになる。

バッターは野球とは逆に、向かって左側に走り出す=西村宏治撮影

ところがゲームを見ていると「進塁するのは、そう簡単ではないな」と分かってくる。野球の場合、トップクラスの球場の塁間はそれぞれ約27メートル。それに対してペサパッロは一塁までは20メートルと短いものの、一、二塁間が32メートル、二、三塁間は36メートル、三、本塁間は41メートルと長い。だからバントエンドラン、ヒットエンドランが攻撃のほとんどだ。走者は常に豪快なヘッドスライディングを見せる。間に合うか、間に合わないかのクロスプレーが多く、見ていて楽しい。

塁間が広いので、進塁には豪快なヘッドスライディングが欠かせない=西村宏治撮影
ペサパッロの競技場。野球とは違って鉛筆型。左手前の白い扇形が一塁、右が二塁、左奥が三塁になる=西村宏治撮影

さらに驚いたのは、フライを打ち上げてガッツポーズをする選手たちが多いことだった。実は、ペサパッロと野球のもうひとつの大きな違いは「フライがアウトにならない」ということなのだ。

■複雑な駆け引きが醍醐味?

野球と同じように、フライが捕球されたときに走者が塁を離れていると、走者ではいられなくなる。ただし、それはアウトとはカウントされないのだ。

たとえば、二塁に足の遅い走者がいて、一塁に足の速い走者がいる場合、わざとフライを打って足の遅い走者をベンチに返し、足の速い一塁走者が走りやすい状況をつくる、といった作戦が取れる。

私は改めて、前日に聞いていた17年の最優秀女子選手、スザンヌ・オヤニエミ選手(26)の話を思い出していた。オヤニエミ選手は「戦略も重要。選手として大事にしていることは、試合を理解し、試合の流れを読むことなんです」と言っていた。そのために数多くの試合の映像を見て、各場面でどういう選択肢がベストかを考え、監督コーチと議論しているのだという。

コーチがサインを出すときには、扇のような道具を使う。色の位置、持ち方などでさまざまな意味を示している=西村宏治撮影

ペサパッロは、単純に言えば「打つのは簡単だが、進塁するのは難しい」というルールになっている。本塁までが遠いので、点を取るには、いかに足の速い走者を塁に残すかが問われる。得点につながりやすいのは、足の速い走者を三塁に置いた状態で、好打者を迎えるパターンだ。そのためにバントエンドランをしたり、フライを打って次に打順を譲ったりしながら形をつくっていく。

もちろんそんな攻撃側の狙いを、守備側もよく知っている。だから走者を刺しやすい位置に打球を落とさせる守備位置を取るし、さらには足の遅い走者を塁に残すために、捕れるフライをわざと捕らないといった作戦を採ってくる。そう思って見ていると、駆け引きは実に複雑だ。

■ファンが誇る「戦略的ゲーム」

「ペサパッロは野球より戦略的ゲームなんだよ」。スタンドで取材していると、いろんな観客が誇らしげにそう声をかけてきた。両チームの作戦のやりとりを見るのも楽しみのひとつなのだという。確かに、打球を狙った位置に飛ばしやすいペサパッロは、さまざまな作戦が立てやすい。守備側もそれに応じて作戦を考えるから「作戦合戦」みたいな趣がある。

ただし日本の野球は、おそらくフィンランドのみなさんが考えているよりは、はるかに緻密で戦略的だ。逆に言うと、細かい戦略が好きな野球ファンは、ペサパッロも楽しめるのではないかと思った。それに、もし日本の一流の野球選手たちが、ここで技を披露したら……。そんなことを夢想した。

試合は、地元ヨエンスーの選手を含む東部チームの勝利で終了。表彰式などが終わると、グラウンドでは選手たちがあっと言う間にサインを待ちわびる人垣に囲まれた。

その輪の中心にいたトニ・コホネン選手(42)は、選手歴26年。ペサパッロ好きなら知らない者はいない、スーパースターだ。この日の感想を聞くと「良かったよ。ファンの素晴らしい応援を見た?だからぼくらアスリートはトレーニングを続けて試合に備えるだけ。どんなスポーツでも、それは同じでしょう」とクールに答えてくれた。ペサパッロってどんなものですか、と聞くと、こう返ってきた。「これは……ぼくのすべてだからね」

コホネン選手は、サインや写真撮影に丁寧に応じていく。列に並んでいるのは男女を問わず、子どもたちが多い。こうした選手たちの地道な努力も、ペサパッロ人気を支えているのだ。

ファンのサインに応じるトニ・コホネン選手。ファンと選手の近さもまた、人気につながっているのだという=西村宏治撮影

■日本も参加していたW杯

フィンランド生まれのペサパッロだが、フィンランド独立75周年となる92年から、数年に一度の「ワールドカップ」が開かれている。

日本からも92年と97年の2回、代表チームが参加している。中心になったのは、北海道とフィンランドとの友好事業などを手がけている民間団体、北海道フィンランド協会の井口光雄会長(84)だ。

もともとテレビ記者だった井口さん。北欧とのつながりができたきっかけは、冬季五輪取材だった。72年の札幌五輪などで、北欧の強さを目の当たりにしていた。そして退職後、北海道の青少年を欧州に送るプログラムなどに携わる中で、フィンランドとのかかわりを深めていった。80年代には、アイヌと北欧の先住民族サーミの交流事業なども手がけ始めた。

自身も野球好きだった井口さんが札幌にペサパッロの同好会を立ち上げたのは86年だ。ルールブックを日本語に翻訳し、練習を始めた。91年にはフィンランドの高校生のペサパッロチームを1カ月間にわたって北海道に招き、練習試合や交流を重ねた。

92年に初のワールドカップが開かれると聞き、参加をめざしてメンバーも集めた。「野球部出身だけどプロはあきらめてふつうの会社に就職した人とか、いろんな人に集まってもらいました。北海道主体のチームですが、胸にはJAPANの文字ですからね」。合宿にはフィンランドからコーチも招き、特訓を重ねた。

1992年、ペサパッロの第1回ワールドカップでの日本代表の初戦=井口光雄さん提供

そして7月の終わりからのヘルシンキで開かれた第1回ワールドカップ。参加国はフィンランド、スウェーデン、オーストラリア、エストニア、ドイツ、リトアニア、そして、日本。成績は7カ国中、下から2番目だった。

97年の第2回大会にも猛特訓して臨んだが、このときは健闘むなしく最下位。この後、日本がチームを送り込むことはなくなった。井口さんは「フィンランドから来てほしいと声がかかることもあったが、メンバーを集めて、練習してとなると色々大変だった。やっぱり日本では野球人気が強いですからね」。それでも北海道フィンランド協会ではその後、留学生などとともにペサパッロを楽しむイベントをいまも続けている。

■意外な地域への広がり

その後、欧州や豪州など、フィンランド系の人が多い地域が中心となったペサパッロのワールドカップ。ところが2017年の第9回大会に、意外なところから新たな参加国が現れた。インドだ。

インドで野球のコーチをしていたチャテン・パガワッドさん(38)がネットの動画でペサパッロを知ったのは08年。ネットで野球の練習方法の動画を探していて、見つけた。最初は動画を参考にしながら、野球のトレーニングの合間に息抜きとして採り入れてみた。すると「野球のようなピッチングが必要ないので、特に女子が関心を持ち始めたんです」という。

そこでネットを参考に、トレーニングを始めた。10年にはインドにペサパッロ連盟も設立。さらには隣国の野球関係者などにも声をかけ、今ではネパール、ブータン、バングラデシュなどでもプレーされるようになってきた。「アジアではさらに口コミで広がっていくと感じています。まずはアジア大会の種目への採用をめざしたい」

19年に予定されている第10回のワールドカップも、インドで開かれる計画だ。ペサパッロ協会のオッシ・サヴォライネン会長(62)は、うれしそうにこう言った。「私たちが知らないうちにインドでペサパッロがプレーされているなんて、まったく予想もしなかったこと。魅力が伝わっていくのは、うれしいことです。インドは人口も多い。いずれはフィンランドの強力なライバルになるかもしれませんね」

ペサパロリットのオッシ・サヴォライネン会長(右)=西村宏治撮影