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僕は「アジアの渡り鳥」 夢はアジアの国の代表監督 サッカー選手・伊藤壇

アジアの渡り鳥 更新日: 公開日:
アジアのサッカーチームへの入団を希望する選手をサポートする「チャレンジャス・アジア」の合宿での一コマ。右端が伊藤壇さん=バンコク、写真はすべて伊藤さん提供

僕はプロのサッカー選手で、これまでアジアの20もの国や地域でプレーしてきたため「アジアの渡り鳥」と呼ばれています。

1998年にブランメル仙台(現ベガルタ仙台)でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、2001年からシンガポール→オーストラリア→ベトナム→香港→タイ→マレーシア→ブルネイ→モルディブ→マカオ→インド→ミャンマー→ネパール→カンボジア→フィリピン→モンゴル→ラオス→ブータン→スリランカ、そして昨年5月まで東ティモールでプレーしてきました。

活躍の場を日本から海外へ移したときに「1年で1カ国ずつ、10年の間に10カ国でプレーする」という目標を掲げ、代理人や通訳をたてず、チーム探しや交渉、自身の売り込みからマネジメントまで全て一人でこなしてきました。

「チャレンジャス・アジア」の合宿での一コマ=バンコク

プロサッカー選手としては大ベテランの42歳となりました。東ティモールではポンタレステというチームでプレーしていて、この国で1シーズンプレーした後に引退するつもりだったのです。しかし、前期リーグ戦が終わったタイミングでチームから突然、契約解除を言い渡されました。志半ばでチームを去らないといけない形となったので現役続行を決意しました。

現在はラストチャレンジとして、トルクメニスタンやキルギスタン、タジキスタンといった日本人にはあまり馴染みのない中央アジアの国に移籍のアプローチをしていますが、年齢的なこともあり、なかなかトライアルのチャンスすらもらえない状態です。

これまでの国とは違い中央アジアは事前に観光ビザを所得しなければいけない国が多く、今までのように観光ビザで現地に入って契約した後で就労ビザに切り替える「道場破り」スタイルが通用せず、歯がゆい日々を過ごしています。

今年の初夏には台湾リーグにもチャレンジしましたが、時期的な問題もあり、今回はうまくいきませんでした。

今は地元の札幌でフィジカルコンディションを維持しつつ、引退後のことも考え、英語を使った小学生対象のエンジョイクラス「チャレンジャス・キッズ」、よりハイレベルな小学校高学年対象の「チャレンジャス・ゴールド」、そして中学生対象の「チャレンジャス・プラチナ」というサッカー教室を開校しました。

英語を使った小学生向けのサッカー教室「チャレンジャス・キッズ」の子どもたちと=札幌市東区

一方、数年前からは、アジアでプロを目指す日本人選手をサポートする「チャレンジャス・アジア」を立ち上げ、これでアマチュア選手から元日本代表選手まで延べ100人の移籍に携わってきました。 

「チャレンジャス・アジア」は毎年12月から1ヶ月ほどバンコクで合同トレーニングして、彼らのコンディショニング調整も承っています。同じ境遇の者同士が刺激を受けながらトレーニングすることができ、情報交換の場となるなどたくさんのメリットがあり、年々参加者が増えています。

参加選手には僕自身が経験してきたことを包み隠さず話し、実際に一緒にボールを蹴り、プレースタイルを把握し、面談することによってどういう人間性なのかを見極めた上で、その選手に合った国へ送り込んでいます。

アジアのサッカーチームへの入団を希望する選手をサポートする「チャレンジャス・アジア」のバンコク合宿に参加したメンバーら

今後はチームとの契約が切れた選手がよりサッカーに集中できる仕組み作りに力を入れなければいけないと思っています。日本のサラリーマンは失業手当制度がありますが、プロサッカー選手は無所属になった時点から一切収入がなくなり、お金を払ってトレーニングする側となります。そのため僕は、協賛企業を募り、施設使用料を負担してもらい、なおかつトレーニングに参加したらおこずかい程度のお金を手にできる「サッカー失業手当制度」を構築できたらいいと思っています。

僕の最終的な目標は、これまでプレーした国の代表監督をすることです。日本サッカー協会はアジア貢献の一環として、日本人監督をシンガポールやミャンマー、カンボジア、ネパールなど数多くのアジア各国へ派遣しています。

代表監督の話題については、日本サッカー協会の派遣事業の枠組みとは異なるのですが、今年8月、本田圭佑選手がカンボジア代表の実質的な監督(肩書はゼネラルマネジャー)となり、人々を驚かせました。

基本的な派遣条件としては、英語が話せることと指導者ライセンスA級以上を保持していること、そして日本での指導実績があることが挙げられています。現在、僕はC級ライセンスまでしか持っていないため、日本での指導実績を積む必要があります。そんなこともあり、一番指導力を問われると言われている子ども向けサッカー教室を始めたのです。また機会があれば高校や大学の指導にもチャレンジし、さらに指導の幅を広げて5年以内にA級ライセンス所得を目指しています。

「チャレンジャス・アジア」の合宿で。練習に熱が入る

もし監督をするにも選手の移籍サポートをするにも、実際にその国でプレーした人間であれば説得力が違います。そんな思いもあり、長い年月をかけてアジア各国を放浪しているのです。

昔ある人に「1カ国に10年ずっといた方がスペシャリストになれるのではないの?」と言われたことがあります。しかし、10年いたとしても志が低ければ意味がなく、逆にたった1年だったとしても自分次第では10年分の信頼関係や人脈形成ができるはずです。まずは行動を起こし現地へ出向くことが大事だと思っています。

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この連載では、僕がどのように道を切り開いてきたのか伝えていきたいと思っています。そこから、なにか皆さんが生きて行く上のヒントを手にしてもらえたら幸いです。

(構成 GLOBE編集部・中野渉)