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カストロはつぶやいた。「チェ・ゲバラは早く死んで幸せだった」

日本人ギター奏者にみせた革命家の素顔

アントニオ古賀 日本ラテンアメリカ音楽協会会長


「チェ・ゲバラは早く死んで幸せだった」――。先月90歳で亡くなったキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は、ともにキューバ革命を率い、約50年前に39歳の若さで処刑された盟友について、こんなふうに語っていた。音楽を通して1990年代からキューバを行き来してきた日本人ギター奏者のアントニオ古賀さんがみた、革命家の素顔とは――。(構成・GLOBE記者 倉重奈苗)



カストロ氏との出会いは2000年8月です。当時の森喜朗首相から「キューバに行くなら親書を持っていったらどうか」と言われ、キューバの閣僚に手渡しました。その日の夜中、ホテルで寝ていたところ、たたき起こされました。明朝5時に起きるようにと言われ、首都ハバナから西へ車で約3時間のピナール・デル・リオへ。同市の記念行事で演説するカストロ氏と会ったのが最初でした。


演説が終わり、近くのゲストハウスで面会したカストロ氏は開口一番、「外は暑かっただろう。ネクタイを外し、上着も脱ぎなさい。お酒は好きですか」といいました。私が「大好きです」と応じると、ロンというラム酒を持ってこさせました。乾杯しようとしたら「ちょっと待って」と自分が先に口をつけ、味を確かめ「これなら大丈夫」というしぐさを見せて乾杯。私が一気に飲み干すと、カストロ氏は2杯目を差し出してきました。


さらに「私はあなたに謝らなければいけない」と切り出しました。「あなたは地球の反対側まで来てくれ、我が国の言葉で歌ってくれる。売り上げも寄付してくれている。それなのに我が国には日本の言葉を話せる人間が少ない。これではいけない。これからはもっと文化面で協力していきたい」と。


森首相の親書の大半が私についての紹介で、最後の数行だけ「日本とキューバの友好関係を築いていきたい」と記されていたそうで、「あなたは首相と親しいんですね」と言われました。会う前までは強面の革命家というイメージでしたが、気配りをする優しい人、というのが私の第一印象です。

カストロ氏(中央)と古賀氏(右)

カストロ氏は「あなたは伊東さんでしょ。なんでアントニオ古賀というの?」と聞くので、「日本の有名な作曲家、古賀政男先生が名付け親で、古賀先生はアルゼンチンのギター奏者アントニオ・シノッポリから手ほどきを受けました。私が18歳でデビューするときに古賀先生から名前をつけてもらったんです」と言うと、「私もニックネームをつけてあげよう」と言い、ラム酒のロンから「アントニオ・ロン・古賀」とつけてくれました。「飲んべえ古賀」という意味です(笑)。



(次ページへ続く)
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