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先読み日本経済

[第6回]時代を先取りした男
高橋是清が世界に残した教訓
リチャード・スメサースト Rechard Smethurst ピッツバーグ大教授

 

リチャード・スメサースト氏
リチャード・スメサースト氏

高橋是清は、大恐慌から日本を救い出すため、後にケインズ主義と呼ばれることとなる景気対策を採った人物として、日本だけでなく、欧米の金融・財政政策の研究者の間でも広く知られている。

しかし、彼の経済運営と政治哲学は、単に厳しい景気下降局面ではケインズ主義的な景気対策が有効であるという点にあるのではない。早くから、エリート層だけでなく一般国民の生活水準を引き上げるような経済成長を提案。地方の役人や起業家のほうが中央官僚よりも地元の状況をよく理解していると考え、トップダウン型産業政策にも反対した。

国防は必要だが、軍に過度にお金をかけることは危険だと考えてもいた。両大戦間期の軍部の度重なる予算の増額要求に抵抗。そのことによって36年に暗殺された。

高橋は経済成長のために財政・金融政策の活用に力を入れる一方、経済引き締めのため、金利を引き上げることが必要な時期もあることを理解していた。財政を均衡させようとしたことが暗殺の誘因にもなった。

いま、高橋から学ぶべき教訓はケインズ主義的政策以外に三つある。
第一に、高橋が長年抱いていた軍部に対するためらいは、戦後の日本にとって意味がある。高橋が戦後も生きていたら、日本国憲法9条を支持していただろう。第二に、高橋は地方政府に学校教育課程の管理権限を与える努力をしていたので、中央政府が教科書を管理しようとすることには反対しただろう。そして、高橋は現実主義者だった。高橋なら、市場原理主義的なイデオロギーがこの20年間優勢であったことに拒否感を持ったことだろう。

現実的な感覚をもって物事をとらえ、教条主義に反対し、思慮深い判断ができる。困難で意見が分かれる意思決定をすることをいとわず、それを実行する勇気を持つ。日本も世界も、高橋のようなリーダーを、いまこそ必要としている。

(寄稿の要旨。原文は次頁)

リチャード・スメサースト氏の略歴

1933年生まれ。 68年、日本史で博士号を取得(ミシガン大)。 近代日本の経済史、政治史、 社会史に関する著書を多数、執筆。 近著に“From Foot Soldier to Finance Minister : Takahashi Korekiyo, Japan’s Keynes”  邦訳が、東洋経済新報社から今年中に刊行される予定。

高橋是清とは

1854年、江戸生まれ。67年に米国留学するが、強制労働に従事させられる。帰国後、英語教師となり、文部省、農商務省などでも勤務。 89年、特許局長を辞め、ペルーで銀山の開発に当たるが失敗。帰国後、92年に日本銀行に入る。その後、副総裁、総裁を歴任。 1904~05年には日露戦争の戦費調達のため、欧米での外債発行に成功。その功績から、貴族院議員に選ばれた(24年から衆院議員に)。 13~36年にわたり、通算して七つの内閣で蔵相に就き、昭和恐慌によるデフレからの脱却に努めた。21~22年には首相も経験。36年、自宅で青年将校の襲撃を受け、暗殺された(2・26事件)。その風貌から「ダルマ宰相」「ダルマさん」と呼ばれ、親しまれた。

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