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現場を旅する

[第104回]ベオグラード、破壊と再生繰り返す文明の十字路

中村裕 GLOBE記者





カレマグダン公園で売られていた旧紙幣
photo: Nakamura Yutaka
《ベオグラード》
セルビア共和国の首都。スラブ語で「白い町」を意味する。社会主義ユーゴスラビアの時代は連邦国家の首都にもなり、人口約160万の国際都市に発展した。

バルカン半島を横断し黒海へと注ぐドナウ川と、同じアルプス山脈を水源とするサヴァ川の交わる様が、霧にかすんでおぼろげに見えた。両河川を南東から見下ろすこの丘は、古代ローマ軍の駐屯地だった要塞(ようさい)跡だ。軍事上の要衝ゆえに、あまたの国が奪い合い、支配民族が交代したベオグラード。破壊と再生の歴史を象徴するこの場所から、街をぐるりと回ることにした。


要塞跡を含む一帯は、オスマン帝国が撤退した19世紀に「カレメグダン公園」となり、市の数少ない観光資源となっている。公園内を歩いていると、ゼロが11個並んだ紙幣が露店で売られていた。1993年に発行された5000億ディナール紙幣だ。当時、スーパーでワインがこの値段の3倍もしたという。


超高額紙幣も争いの産物だ。92年のボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言に端を発したボスニア内戦で、セルビアのミロシェビッチ政権はボスニア国内のセルビア人勢力を支援。この介入が国際社会の反発を呼び、国連の経済制裁によってハイパーインフレとなった。土産物になった紙幣もさしずめ「破壊と再生」の跡か。




NATOによる空爆跡
photo: Nakamura Yutaka

カレメグダン公園からベオグラード駅まで市電を使い、駅からネマニャ通りの坂を上ると、今度は壊れたビルが2棟、通りを挟んで無残な姿をさらしていた。99年、ミロシェビッチ政権がアルバニア系住民を弾圧してNATOと戦争状態になり、NATOの海上発射巡航ミサイルによって破壊された内務省ビルの残骸だ。今なお修復されていないのは、予算がないからだという。


冷戦後2度の「戦争」は、市民の意識を変えた。


市内で合気道を教えているエディン・ベチュビッチさん(38)は「体制を批判して監獄にいるより、日常生活のほうがもっとひどい状態だと実感していました。それが2000年の抗議デモに結びついたのだと思います」と振り返る。


空爆跡の交差点をミロシュ公通りに折れて官庁街を抜けると、ニコラ・パシッチ広場とセルビア共和国国民議会の議事堂がある。2000年10月、大統領選での敗北を認めないミロシェビッチ大統領への怒りから、20万人以上がここに詰めかけ、独裁者は退場を余儀なくされた。


いま議事堂前では、コソボで行方不明になったセルビア人の顔写真が並ぶ横断幕が歩道の柵にとりつけられている。アルバニア系住人による拉致被害を訴える家族が作ったものだった。多民族が共存した旧ユーゴスラビア時代に掲げられた「友愛」の精神は、完全に姿を消したのだろうか。





(次ページへ続く)

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