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現場を旅する

[第100回]スービック、米軍基地から経済特区へ

左古将規 GLOBE記者



Photo: Sako Masanori
《スービック経済特区》
面積670平方キロメートルで、東京23区の合計(約620平方キロ)よりやや広い。人口は約6000。周辺からの通いも含め2万2000人が働く。現在、最大の雇用主は韓国系の造船会社「韓進」。

青い空、青い海、手つかずの原生林が周りを囲む。在外最大と言われた米海軍基地が返還されて20年余り。フィリピン・ルソン島中西部のスービックは経済特区として盛況だった。 首都マニラから車で北へ2時間半。特区を管轄する「スービック湾都市開発庁」の庁舎は、入り江の奥の海沿いにあり、軍艦の艦橋のような形をしていた。


「アメリカ海軍の本部が置かれていた建物を、そのまま使っているんです」


庁舎前で待ち合わせた広報担当のカルロス・アンドレスさん(42)がそう教えてくれた。


「太陽の子たち」
Photo: Sako Masanori

目の前に、「太陽の子たち」と名づけられた黄金色の像がある。家族4人がたいまつをかざし、目隠しを外しながら、前へ歩み出そうとしている。「この像は米軍の撤退後、基地の跡地を整備した8000人の地元ボランティアを表しています。私もその一人でした」とアンドレスさん。


庁舎の裏手にある「スペイン門」まで移動しながら、この地域の歴史を説明してくれた。


19世紀、スペイン海軍がここに最初のとりでを築いた。「スペイン門」は当時の玄関口を再現したものだ。19世紀末にフィリピン軍が奪還したものの、すぐに米軍に占拠される。以来、基地が返還されるまでの90年余り、周りの町や村と隔絶した地域が育まれた。


アンドレスさんの父親もかつて、米軍基地内のレストランバーでキーボード奏者として働いていた。年に1度「ファミリー・デー」があった。普段は立ち入り禁止の基地内に入れるのを、子どもの頃のアンドレスさんは楽しみにしていた。「かっこいい軍人さんが歩いていて、街並みは美しい。別世界のようでした」


基地に反対した上院議員たちの手形
Photo: Sako Masanori

1991年6月。ピナツボ山が噴火し、30キロの至近距離にあった海軍基地は灰に埋もれた。その3カ月後、フィリピン上院は基地使用の延長をめぐる米国との条約批准を拒否。基地に反対した上院議員は「偉大なる12人」とたたえられ、開発庁の庁舎前に手形を残している。



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