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現場を旅する

[第95回]ウラン・ウデ、ロシア仏教の総本山

ウラジオストク支局長 中川仁樹





イヴォルギンスキー・ダツァン寺院
Photo: Nakagawa Hitoki
《ウラン・ウデ》
ロシア・ブリヤート共和国の中核都市で、人口約42万。共和国全体ではロシア人7割、ブリヤート人2割強。この地域はチンギス・ハーンの時代にモンゴル帝国になり、17世紀にロシア帝国が併合。

東シベリアのウラン・ウデは、ロシア仏教の中心地であるとともに、多くの日本人抑留者が収容された土地としても知られる。バイカル湖の東にある街を訪ねた。


静まりかえった本堂の中に、座禅姿の僧が見えた。有名な仏教指導者ダシ・ドルジョ・イチゲロフの即身仏だ。2002年に掘り出されたとき、死後75年が過ぎていたのに、皮膚はほとんど傷んでいなかったと言われる。いまも肌はきれいなまま。まるで生きているようだ。


ウラン・ウデがあるロシアのブリヤート共和国は、モンゴル系のブリヤート人が多く住み、チベット仏教の寺が点在する。中でも、この即身仏がある郊外のイヴォルギンスキー・ダツァン(寺院)は、ロシア仏教の総本山として有名だ。


その歴史は18世紀にさかのぼる。僧のドルジョ・バドマツェレノフさん(31)は「ロシア帝国はロシア正教会を国教としていたが、女王エリザベータに活動を認めてもらった」と話す。1945年には、旧ソ連の指導者スターリンがイヴォルギンスキー寺院の建設を許可した。いまでは、「イチゲロフに祈ると願いがかなう」と信じられており、プーチン大統領が訪れたこともあるという。


別の本堂には、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の写真が飾ってあった。チベットとの交流は昔から続き、外国人観光客も多い。


街の中心部に向かう途中、丘の上に広い墓地が見えた。一角に、漢字で「日本人埋葬碑」と書かれた石碑がある。第2次世界大戦後の45年、ソ連軍によって連行された日本人抑留者の墓地だ。ロシア側の資料では、ブリヤート共和国で亡くなったのは1086人。抑留者の数は1万人以上とみられ、48年ごろまで住宅建設や工場労働などを強いられた。当時のソ連は戦争の影響で食糧不足が深刻。零下40度にもなる寒さも厳しく、多くの日本人が犠牲になった。


地元の歴史研究家ビクトル・ハリトノフさん(48)は「ブリヤート人がアジア系だったため、他の地域に比べれば待遇は良かったようだ」と説明する。住民らと一緒に働き、賃金が支払われたという。鉄道車両の工場が表彰されたときには、「日本人の貢献」が称賛された。




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