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[第11回]カウナス駅(リトアニア・カウナス)

「命のビザ」、去り際まで

村山祐介 GLOBE記者

駅舎の壁には杉原を記念したプレートがある。左下は記念館に再現された執務室。
photo: Murayama Yusuke

石材に覆われた重厚な駅舎の前は、広々としたプラットホームになっていた。第2次世界大戦中の1940年9月4日、1人の日本人外交官がこの場所に机といすを置き、退去のため乗り込む列車が出る直前まで手書きでビザを出し続けていた。当時リトアニアの首都だったカウナスで領事代理を務めた杉原千畝(ちうね)だった。


情勢は切迫していた。39年にナチス・ドイツと旧ソ連がポーランドを占領。迫害を恐れたユダヤ系ポーランド人がリトアニアに押し寄せた。旧ソ連は40年にリトアニアも占領。各国が大使館を閉鎖するなか、日本領事館には7月から、シベリア鉄道でひとまず日本に逃れるために通過ビザを求めるユダヤ系難民らが続々と詰めかけ始めた。


当時、日本はドイツとの関係を重視しており、ユダヤ難民へのビザに外務省から色よい返事は来ない。当時40歳だった杉原は悩みながらも独断で発給を決断。彼が書いた2139通は、約6000人を救う「命のビザ」となった。


駅から車で数分の住宅街にある旧領事館は今、記念館になっている。マネジャーのラムナス・ヤヌライティス(60)は「キャリアを危険にさらしてもビザを出したのは、手を差し伸べなければ全員死ぬと分かっていたからでしょう」と話した。杉原が駅を発った翌年の41年、独ソ不可侵条約を破ってナチスがソ連に侵攻。カウナスも占領され、44年の撤退時に駅も町も破壊された。


記念館ができたのは2000年。地元実業家が借金して建物を購入した。杉原の足跡は教科書にも記され、首都ビリニュスには名前を冠した公園や通りもできた。




(次ページへ続く)

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