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国境は人権保障の手段なのだ 木村草太教授が登場

GLOBEシンポ「壁が世界を分断する?」をがっつり伝える (3)

木村氏が語る国家・憲法・人権・司法

10月1日から3日にかけて東京で開かれた「朝日地球会議2017」(朝日新聞社主催)のうち、GLOBEが企画したオープニングセッションのシンポジウム「壁が世界を分断する?」の論議を5回に分けて紹介しています。今回はそのうちの第3回。首都大学東京の木村草太教授が国境と人権について語ります。コーディネーターはGLOBE編集長国末憲人です。

木村草太教授(右)とホリフィールド教授

国末:今日は、シンポジウムに木村草太先生をお招きしています。


木村先生は、改めてご紹介するまでもありません。首都大学東京の教授で憲法学者。朝日新聞の論壇委員も務めておられ、将棋に造詣(ぞうけい)が深い方としても知られています。

木村先生、お願いします。


木村教授:どうぞ、よろしくお願いします。私からは日本の法律、法的なシステムにおける外国人の権利がどう考えられているかをお話ししていきたいと思います。


なぜ国ごとに人権が保障されるのか


私は大学で憲法を教えています。憲法はそれぞれの国のルールですから、米国には米国、日本には日本、ドイツにはドイツといった形で、それぞれの国の単位で憲法がつくられます。憲法には、憲法上の権利、基本的人権が保障されていますが、なぜ国ごとに人権が保障されるのかを考えてみたいと思います。


人権 human rights、福祉 welfare、社会保障 social securityは、普遍的な価値を持っています。ですから、「日本人だから保障される、米国人だから保障されない」というものではありません。にもかかわらず、各国憲法は、その国の国民に対して権利を保障し、それぞれの国は、その権利を保障する義務を負うと、定めるわけです。


なぜ、普遍的であるべき、人権・福祉・社会保障といった価値が国家単位で保障されるのか。この問いに対して、憲法学は基本的に、以下のように考えています。普遍的な価値を保障するために、世界を一つの国にして、世界全体を管轄する国をつくろうとしても、非常に難しく、非効率だ。ある程度まとまった領域をつくり、それぞれの領域ごとに担当者を置く方が、こうした普遍的価値はうまく実現できるのではないか――。これが、主権国家をつくってそれぞれに領域を分割し、普遍的な権利や価値をそれぞれの国が保障する理由です。


私の師匠の1人である長谷部恭男先生は、これをライフセーバーに例えます。海水浴場にはライフセーバーがいて、溺れた人がいれば助けます。ライフセーバーには、それぞれ担当領域が決まっています。担当領域が決まっていないと、ある場所で海水浴客が溺れた時に、ライフセーバーのうち、Aさんが行くのか、BさんやCさんが行くのか分かりません。もしも、それぞれお互いに「他の人が行ってくれるだろう」と思って助けなければ、海水浴客は溺れ死んでしまいます。逆に、ABCみんなで助けに行ってしまったら、別の場所で起きた事故に対応できなくなってしまうでしょう。そのようなことを防ぐために、浜辺をいくつかの領域に区切って担当者を決めておくのです。

 

主権国家もこれと同じ発想で、領域ごとに担当政府を決めます。米国地域は米国政府が、日本地域は日本政府が、中国地域は中国政府が責任をもって、人権や福祉を保障する。これによって、世界全体を幸せにしよう。これが、領域主権国家の発想です。


このように考えると、今日のテーマである「国境」という壁が、何のためにあるのかが分かります。


法的に見ると、国境は、原則としてその国の国籍を持っていなければ越えられない壁です。国籍のない人が国境を超えるには、その国から入国・在留の許可をもらう必要があります。そして、その許可を出すか否かは、「各国政府の裁量」に委ねられます。基本的には各国政府の判断で「こういう条件なら入っていいですよ」「こういう期間なら入っていいですよ」と条件や期間の設定をして、受け入れをします。国際法的にも、国内法的にも、そのような条件付けが許されるわけです。


なぜこのような条件付けが認められるのでしょうか。無条件に、外国人が入ってきてしまうと、それぞれの地域を担当する国家のキャパシティーを超えてしまう事態になります。このため、どのくらいの条件なら受け入れられるかの判断は、各国政府に任せた方がいい。これが、国際法・国内法を問わず、世界の法システムの前提になっている考え方です。

しかし、各国政府の自由な判断に、国境の管理を委ねることが、様々なパラドックスを引き起こしているというのが、ホリフィールド先生が教えてくれたことでした。



「マクリーン判決」、日本の最高裁のリーディングケースに


次に日本の裁判所、日本の法律家たちが外国人の権利 fundamental rights of foreign peopleのことを、どう考えているかをお話ししたいと思います。外国人の基本的人権について、日本の最高裁のリーディングケースになっている判決が、「マクリーン判決」です。米国人のマクリーンさんは、日本に英会話教師として滞在していました。1年間の在留期間中に、ベトナム戦争の反戦運動の盛り上がりがあり、マクリーンさんもデモ行進に参加しました。


その後、マクリーンさんは、滞在期間を延ばすため、在留期間の更新を申請します。これに対し、日本政府は、必ずしも、それだけが理由だとは言っていないのですが、マクリーンさんがベトナム反戦運動のデモに出たことを理由の一つにして、在留期間の更新を認めませんでした。もう出て行ってください、と判断したわけです。


これに対し、マクリーンさんは日本の裁判所に対し、在留期間更新の拒否は違法、違憲だと訴えました。特に、デモ行進への参加を在留期間更新の拒否理由とすることは、表現の自由を侵害しているのではないか、ということが裁判で争われました。これがマクリーン事件です。


判決は、まず、マクリーンさんがデモ行進に参加する権利が、外国人にも保障されるのかという法的問題について、イエスと答えました。マクリーンさんも、ベトナム反戦デモに参加してかまいません。それは日本国憲法が保障している表現の自由だと言ったわけです。


しかし、判決はそのあと、非常に興味深いことを言い出します。表現の自由は保障されるが、憲法上保護された表現行為を行ったことを、在留期間の更新の際に不利益な事情として斟酌(しんしゃく)されない権利までは含まれない、といったわけです。


この事件では、デモに出たことを理由に刑罰を科したわけではありません。もしそうだったならば、表現の自由の侵害として違憲・違法と判断された可能性が高いでしょう。しかし、この事件では、在留期間の更新拒否の適否が争われ、最高裁は、デモ行進の自由が憲法でも保護されていても、デモの参加を在留期間更新時に不利益な事情として扱うことは構わないと判断したのです。


その背景には、「『米国がやっているベトナム戦争の反対運動をしている外国人の在留を認めると、日本と米国の関係が悪くなるかもしれない。だから、在留期間を更新するか否かを判断する際に、デモ参加を不利益な事情として考慮してもよい。政府の判断に任せるべきだ」という判断があります。


この判決は、「各国は、外国人の在留許可について裁量を認められる」という考え方からすれば、当然の結論かもしれません。しかし、「外国人の滞在に、どんな条件でも付けてよい」という考え方には危険な面もあります。そこで、日本の法律家の間には、こうした最高裁の判断に、修正をかけて行こうという議論もあります。


ホリフィールド先生が編集にかかわられた本の中には、「外国人が権利を獲得するとき、司法判断や裁判所の判決も大きなエンジンになっている」という指摘があります。外国人には、選挙権がないことも多いですから、司法に頼る必要があるわけです。司法が、外国人の人権の砦として機能するには、裁判官や弁護士たちが、外国人の人権について鋭い感覚を持たなくてはならないでしょう。


司法試験の問題の解説見てショック


この点について、日本人の法律家の意識について、個人的に残念に思う出来事がありました。このシンポジウムへの出演のお話をいただいたころ、日本の司法試験があり、ちょうど外国人の人権に関する問題が出たのです。


それは、こういう問題でした。外国人労働者を増やすための特別な法律を作りました。しかし、外国人労働者が、日本で子育てをすることになると福祉予算がひっ迫します。そこで、「妊娠をしない」「もし妊娠をしたら強制退去させる」という条件で働くことを認める在留資格をつくった。この資格で入国し働いていた外国人が、妊娠して強制退去になった。この法律は合憲か違憲か。そういう問題が出たわけです。


この問題を通じて、法律家のタマゴたちの人権感覚を問いたい、という問題の趣旨はわからないでもありません。ただ、司法試験が終わった後、委員から出された問題の解説を見て私はびっくりしたのです。


妊娠の自由を放棄することを条件として入国を認める法律は、そもそも非人道的にみえます。私はてっきり、「妊娠の自由というのは制約が許されない絶対的な権利なんだ。その権利の放棄を条件に入国を認めるというのはとんでもない条件設定だ」という理論構成を想定しているのだろうと思っていました。これに対する国の側からの反論としては、「妊娠の自由は絶対的に保障されるけれど、本国に帰国すれば出産できるのだから、自由の制約はないではないか」などと主張できるでしょう。これに対して、さらに、「そんな条件を付ければ、妊娠をした外国人の方は、妊娠を隠そうとして妊婦健診を避けたり、意に反する中絶を秘密裏に行ったりするかもしれないから、実質的に見て、妊娠の自由の制約がないとは言えない」という再反論ができる。妊娠の自由の絶対保障を前提に、この法律が、個人の尊厳をどれくらい傷つけるかが議論される。そう思いました。


しかし、司法試験委員の解説には、「妊娠の自由の価値」と、「日本国の社会保障や教育に伴う負担を減らす利益」を天秤にかけて、どっちが大事かを議論しろ、という趣旨のことが書かれていました。妊娠の自由という個人の尊厳にかかわる価値が、労働力として人間を使う側の都合と、同じ次元の価値として、天秤にのるのだというわけです。


確かに、マクリーン判決が述べたように、在留許可の条件について、受け入れる国の判断は尊重されなくてはならないでしょう。しかし、妊娠、出産という人間のライフの根幹にかかわる権利について、この考え方を単純に適用することには、迷いや留保がほしい。ところが、司法試験委員は、この点での迷いを全く持っていなかった。これをみて、私は、司法試験委員を務められる日本の一流法律家の外国人の人権についての意識の低さにショックを受けました。


国境が、人権軽視させる原因となる壁になってはいけない


冒頭の話に戻りますが、国境はなぜあるのか、それは人権とか福祉とか、人々の幸福のために、本来普遍的であるべきものを、世界で一つの主体だけでやるのに困難なので、担当者を決めよう、という考え方が出発点だったはずです。そこでは、人権というのは国民のものではなくて、まずはみんなに保障されているもの、すべての人に保障されている。その人権の保障のために最もよい手段として国境がある、という順番だった。


しかし、日本の法律家の考え方は、そういうところから出発していないように、思えるのです。人権を実現するための道具である国境という壁が、人権を軽視させる原因となる壁になってはいけない。目的と手段を入れ替えてはいけないのです。そういう意味で、今日のホリフィールド先生のお話には、非常に目を開かされる要素がたくさんありました。今後、日本の社会もどういうことをやらなくてはいけないか、明快に示してくれるところが、たくさんあったように思いました。ありがとうございました。


国末:ありがとうございます。


「移民に対して帰化を進めるべきなのか」に続く)


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