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市長になったヤズディ教徒のファハド

フォトジャーナリスト 林典子 #13

photo:Hayashi Noriko


「ファハドがシンガル市の市長になったよ!」


10月17日、イラクの友人から突然facebookでメッセージが届いた。携帯電話を手に歩くファハドさんの写真が添付されていた。


ファハドさんはイラク北西部のシンガル出身のヤズディ教徒。イスラム過激派ISに攻撃されて故郷を失ったヤズディの人々を取材するため、シンガルを訪れるたびにお世話になっていた。


シンガル山北麓に避難していたファハド一家(2015年撮影)
photo:Hayashi Noriko

メッセージを受け取る数時間前、イラク軍がクルド自治政府と帰属を争う油田都市キルクークに続いて、シンガル山も掌握したと報道で知った。


数十万の少数民族ヤズディの人々が暮らすシンガル山がISに攻撃された2014年8月以降、IS、隣国からきたPKK(クルディスタン労働者党)、クルド人治安部隊ペシュメルガなどの勢力がシンガル山で対立してきた。


私がファハドさんに出会ったのは、15年2月末に初めてシンガル山を訪れた時だった。


この山にはISの攻撃から逃れた多くのヤズディ難民が空き家やテントで生活をしていた。その一人がファハドさんだった。空き地に組み立てた小さなテントの中で、家族と身を寄せ合って暮らしていた。


山の南麓にはまだISの拠点があり、ファハドさんは毎日ヤズディの仲間たちと独自の部隊を作ってISを相手に戦っていた。


彼のテントに泊まらせてもらいながら、私は取材を続けた。


2014年8月までファハド一家が暮らしていた、シンガル山南麓のクズルカント村の家(2016年撮影)
photo:Hayashi Noriko

「私の友人はダーシュ(IS)に殺害され、別の友人はダーシュの戦闘員になりました。2人ともイスラム教徒のアラブ人です。私は武器を持って、ダーシュと戦ってきましたが、シンガルに平和が戻れば武器を置いて、普通の生活に戻りたい」


「この山は私たちの聖地。仲間たちはここで殺され、ここに彼らの墓があるのです。だからこそ、守らなければなりません。シンガルで起きたことを伝えてください。メディアの力は武器よりも強いのです」


ファハドさんは当時、シンガル山の頂上で南麓の方を眺めながら、私に語りかけた。


何千ものヤズディ男性がISに処刑され、女性が拉致されて強制結婚をさせられ、多くのヤズディがイスラム教徒全てに対する憎悪で凝り固まっていた時期だった。ファハドさんは感情的になることなく、とても冷静だった。


父親をシリアのダマスカスの病院へ連れて行った際に撮影した記念写真(2010年)
photo:Hayashi Noriko

ファハドさんは、シンガル山南麓のクズルカント村出身。公務員として、自宅から南へ30キロほど離れたバージという地区の議会で教育部門を担当していた。地域の学校が必要としているものを調べ、レポートを作り提出するという仕事だった、という。


「バージ地区にはたくさんのイスラム教徒が暮らしていた。私の同僚たちの多くはイスラム教徒でした。私を食事や結婚式に招待してくれることもありました」


14年8月3日にISによる攻撃から逃れるため、ファハドさん一家は村を脱出してシンガル山を目指した。その直後、山の周囲は全てISに包囲され、逃げ場を失った。それから3年間、山の中で家族と暮らしてきた。最初の頃は電気も安全な飲み水も食料もなく、子どもや高齢者たちは衰弱し、亡くなっていったという。


知人の結婚式で撮影。ミュージシャンが楽器を演奏している隣で。中央がファハド(2000年)
photo:Hayashi Noriko

その後もシンガル山を訪れるたびに彼を取材した。


15年夏頃には多くのヤズディがヨーロッパへ渡っていったが、彼は山から離れようとしなかった。


「シンガルはヤズディの土地です。もしもヤズディの映画が作られるとしたら最後のシーンに描かれるのは、ここシンガル山なのです。私は何があってもここから離れません」


そう話していたのがとても印象に残っている。


彼は、私が訪れるたびにあたたかく迎えてくれた。自身の暮らしで精一杯であるにも関わらず、丸一日かけて探して採ったキノコを調理してくれることもあった。「気を使わないで下さい」と言っても、「気を使ってなんかいない。平和だった時と同じようにお客さんをもてなしたいんです」と話していた。


他のヤズディから聞いたことがある話をメモをとらないで聞いていると、「私の言っていることを、ちゃんとメモしてください。そして伝えてください」と念を押されたこともあった。


知人の結婚式で撮影(2011年)
photo:Hayashi Noriko

最後に彼に会ったのは昨年夏。


ISから奪還されたシンガル山北麓の小さな露店で息子のサウドと一緒に働いていた。スーツを着用し、テキパキと客とやりとりをしている。「もうISと戦っていないんですか?」と質問すると、「いつまでも武器を持って、走り回ってなんていられないよ 」と笑っていた。


今年に入り、イスラム教シーア派民兵部隊(PMU)が勢力を増してくると、ファハドさんも再び武器を手にし、今度はシーア派民兵に混じってISと戦うようになったという連絡がきた。


PMUはイラク軍と関係が深いと言われる。 イラク軍が掌握したシンガルの市長にファアドさんがなったのも政治的な背景があるはずだ。


共通の敵であるISがいなくなった後、さまざまな勢力がシンガルを支配しようとする様子を、ファアドさんはいつも冷めた目で見ていた。それでも何世紀にも渡りこの地域の住人だったヤズディのために再建が進むことを期待しているのだろう。


ファハドさんが昨年言っていた言葉が、今も頭に残っている。

「何があっても、私たちの人生は、ただただ続いていくんです」


はやし・のりこ

1983年、神奈川県川崎市生まれ。2006年から西アフリカ・ガンビア共和国の現地紙で写真を撮り始める。「メディアが取り上げない場所で暮らす、一人ひとりの想いや問題を伝えたい」と、硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、HIVに母子感染したカンボジアの少年、誘拐結婚させられたキルギスの少女などを写真に収めてきた。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳-いま、この世界の片隅で』、写真集『キルギスの誘拐結婚』がある。16年12月に写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。ホームページはこちら(http://norikohayashi.jp)


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