RSS

Webオリジナル

北京から平壌へ 寝台列車23時間の旅

フォトジャーナリスト 林典子 #12

photo:Hayashi Noriko


北京発の寝台列車は夕方5時27分、平壌へ向けて出発した。

私は椅子に腰掛け、車窓から見える景色の写真を撮っていた。向かいで同じように外を眺める男性と目が合った。彼はニコリとほほ笑んで軽く会釈した。

朝鮮半島情勢が緊迫を増す8月下旬。平壌へ列車で行くのは初めてだ。

所要時間は約23時間。長い旅が始まった。

乗車した硬臥車(2等寝台車)は4人部屋の寝台列車。

座席は小柄な私が足を伸ばして寝るのには十分な広さがある。綺麗にたたまれた毛布と枕、シーツが用意されていた。

平壌まで向かう乗客は同じ車両の6人のみ。私以外の5人は全員朝鮮人だ。中国国内の各駅で降車する乗客は別の車両に乗っていた。

北京発平壌行きのK27次列車
photo:Hayashi Noriko

空が青黒くなった夜8時頃、前述の目が合った男性が話しかけてきた。

「どこから来たんですか?」「一人で平壌まで行くの?」

コミュニケーションを取るのに十分な英語だった。

「私は日本人です。一人で平壌まで旅をします」

そう返事をすると、彼は目を大きく見開いて驚いていた。これから皆で夕食を食べるから、と私を招いてくれた。

定員4人の寝台車の一部屋に6人が集まり、小さなテーブルにキムチやタマゴ、白米が入った弁当が並んだ。

彼らは私にも分けてくれた。

男性は医師として西アフリカで活動していたという。

「アフリカは本当に暑くて、マラリアなどの伝染病も蔓延していて、生活するには正直大変な場所です。でも、アフリカの人々は本当に親切でした。肌の色など関係ないと心から実感しましたよ」

彼は続けた。

「日本人は朝鮮人と同じように赤ちゃんのオシリには蒙古斑があるでしょ。私たちは皆同じ兄弟同士であるはずなのに、両国の関係は悪いままです」

彼はため息をつきながら、私のコップに大同江ビールを注いだ。

その後も話ははずみ、あっという間に夜の10時になっていた。

前日の日本からの移動もあり、疲れも溜まっていた。私は部屋へ戻り、そのままぐっすり眠りについた。

北京駅を出発し、同じ車両に居合わせた朝鮮人乗客の方々といただいたお弁当
photo:Hayashi Noriko

窓から入る光で6時半に目が覚めた 。

7時過ぎ、国境の丹東に到着した。朝鮮人乗客がたくさん乗り込み、車内はずっと賑やかになった。

目の前には鴨緑江にかかる中朝友誼橋が見える。列車はゆっくりと動き出し、橋を渡り切ると、新義州に到着した。

いよいよ入国したのだ。その間、10分もかからなかった。

ここから2人の朝鮮人男性と同室になり、彼らが持参していた「クワリ」という果実をいただきながら平壌へ向かった。

お昼時、隣の部屋では朝鮮人2人、中国人2人の計4人が昼食をとっていた。部屋の前を通り過ぎると、朝鮮人の一人が手招きし、流暢な英語で尋ねてきた。

「Are you from Japan? (日本から来たのですか?)」」

李さんという男性だった。ヨーロッパで暮らしたことがあるという。

入国後の荷物検査の時、検査官とのやりとりを聞いて、隣の部屋の私が日本人だと分かったという。

「Yes, I am from Japan (はい、日本から来ました)」と返事すると、すぐに「You are very welcome (歓迎します) 」と温かい言葉をかけてくれた。

李さんの向かいの陽気な朝鮮人男性に「一緒に飲みましょう」と誘われ、4人とビールを飲みながら乾燥した「ミョンテ」(スケトウダラ)をいただいた。

線路沿いにはトウモロコシ畑が続き、時々窓の向こう側で現地の子どもたちがこちらに手を降っていた。ヤギの群れと芝生の上で休憩する男性、水着を着て川で遊ぶ子どもたち、そして、時々国内を走る列車とすれ違った。

鴨緑江にかかる中朝友誼橋を丹東から新義州へ向けて移動中、外の風景を眺める男性
photo:Hayashi Noriko

部屋の外にある通路の椅子に腰掛け景色を眺めていると、金さんという男性が話しかけてきた。

「こんにちは!」

突然の日本語に驚いた。彼は5日間ほど中国を訪れていたという。

平壌外国語大学で英語を専攻し、副専攻は日本語だったそう。しかし卒業後は日本語を使う機会がなかったそうで、このときは知っている日本語を恥ずかしそうに披露した。

「こうやって日本の人に会える機会がくるなんて、今になって日本語を覚えておけばよかったと思うよ」

国交がない日本の言葉をなぜ勉強しようと思ったのか。日本についての思いを率直に尋ねてみた。

「過去の歴史については、もちろん日本に怒りを感じています。もしも、自分の家族が誰かに殴られたり殺されたりしたら、その人を憎みますよね。それと一緒です。しかし、今の一般の日本人を憎んではいません。いつまでも憎んではいけないと思うんです。過去の出来事はお互いが認め、その上で手を取り合っていけばいいと思います。そう思いませんか?」

彼はそう話して私の目を見た。

今回の列車の旅でも、これまでも、日本語を独学で学んでいる朝鮮人の方々に出会う機会が多くあった。朝鮮半島の咸鏡北道で通訳をしてくださった案内の男性は中国語と英語のガイドだが、日本語も独学で勉強し、私のために慣れない日本語でスケジュールを書いて用意してくれた。ひらがなとカタカナの使い分けなど、細かい間違いもあったが、英語ではなく、あえて日本語で書こうとしてくれた気持ちがありがたかった。

新義州から平壌へ向かう車窓からの長閑な風景
photo:Hayashi Noriko

この日、平壌駅に到着する予定だったが、2日前の豪雨の影響で平壌駅手前の橋がダメージを受け、途中の順安駅で降車することになった。

全員がこの小さな駅で降りると、それぞれが迎えの車やタクシーに乗り込み平壌市内に散って行った。

「ここでは普段外国人が降りることはないんです。貴重な経験をしましたね」

車の中で私の案内の方がそう教えてくれた。

平壌市内までは車で約30分。 寝台列車で出会った人々は、「朝鮮」の風景の中に見かけることはあっても、触れ合う機会はなかったかもしれない一般の人々だった。

車窓の景色を眺めながら、彼ら一人ひとりの顔を思い浮かべた。



はやし・のりこ

1983年、神奈川県川崎市生まれ。2006年から西アフリカ・ガンビア共和国の現地紙で写真を撮り始める。「メディアが取り上げない場所で暮らす、一人ひとりの想いや問題を伝えたい」と、硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、HIVに母子感染したカンボジアの少年、誘拐結婚させられたキルギスの少女などを写真に収めてきた。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳-いま、この世界の片隅で』、写真集『キルギスの誘拐結婚』がある。16年12月に写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。ホームページはこちら(http://norikohayashi.jp)


林典子 #1 ガンビア人記者、ジャスティスとの再会

林典子 #2 米国へ渡ったヤズディの「家族会議」

林典子 #3 トルクメン人の村での思いがけない休暇

林典子 #4 クルド人難民キャンプで見つけた美容院

林典子 #5 民族衣装に魅せられて、再訪したトルコの田舎町

林典子 #6 海の向こうの国で暮らす人々への想像力

林典子 #07 カンボジアで生まれたボンヘイの14年

林典子 #08 パキスタンで出会った、綺麗でありたいヒジュラたち

林典子 #09 ドイツの少数民族ソルブ人が暮らす中世の街で

林典子 #10 ウラン工場閉鎖から半世紀、負の遺産とキルギスの町

林典子 #11 イスタンブールの再開発に消えた、ロマ人一家の暮らし


この記事をすすめる 編集部へのご意見ご感想

  
ソーシャルブックマーク
このエントリーをはてなブックマークに追加

Popular article | 人気記事

さらに記事を見る
Facabookでのコメント

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

Information | 履歴・総合ガイド・購読のお申込み

Editor's Note | 編集長から

PC版表示 | スマホ版表示