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イスタンブールの再開発に消えた、ロマ人一家の暮らし

フォトジャーナリスト 林典子 #11

photo:Hayashi Noriko


観光客が多く訪れるブルーモスクからそう遠くない大都市の片隅に、少数民族ロマが暮らすスルクレ地区はある。

トルコ・イスタンブールを訪れれば、ボスポラス海峡添いや中心市街地の路上で花を売る女性たちを目にするが、彼女たちがロマの女性だ。

トルコに限らず、ルーマニアやブルガリア、フランスなど欧州全域に約1200万人が分散して暮らす欧州最大の少数民族。トルコには約280万人いるとされ、一説では約1000年前から、ここスルクレで定住生活を送っているという。

オスマン帝国時代には宮殿に仕える音楽家や舞踏家たちが芸を磨く場所でもあった。1985年にはスルクレの一部がユネスコ世界遺産「イスタンブール歴史地域」に登録された。

再開発で取り壊しが続くスルクレで暮らすロマの一家。マスン・ドルゴン(30)と妻ドネ(31)、長女スディッカ(12)、次女セルゲイ(10)、長男アリ(6)
photo:Hayashi Noriko

しかし、ロマの人々に対する迫害と差別の歴史は深刻だ。

近年ではナチスによりユダヤ人と同じように絶滅対象の民族と指定され、約50万人のロマが虐殺されたという。

居住権を持たないロマ人の国外追放といった社会問題が報道されることも多い。今年5月にはイタリアのローマで、ロマの一家が車内で就寝中に何者かに放火され、幼い3姉妹が死亡するニュースが世界中で報道された。

2006年には都市再開発計画に従い、スルクレにあるロマ人の住居の取り壊しが始まった。

私がスルクレを訪ねたのは取り壊し工事が最終段階に入った10年夏。その時点で故郷を追われたロマ人は3000人を超え、一面に広がる瓦礫の片隅にマスン・ドルゴンさん一家が暮らす家がポツリと立っていた。

昼食後、食器を手に家の中から取り壊し工事を見つめるマスンの娘スディッカ
photo:Hayashi Noriko

いつなくなってしまうかもしれない、この土地でのロマ人の暮らしを記録するため、築300年以上の木造の家に暮らすマスンさん一家と1週間生活をしながら取材をした。家は今にも壊れそうだった。

一緒にローラースケートをして遊んだこと、マスンさんの2人の娘たちにベリーダンスを教えてもらったことなど楽しい思い出もあるが、取り壊しのブルドーザーの音を聞きながら食事をする時のマスンさん一家の怒りと悲しみに溢れた表情が忘れられない。

居間の壁にマスンさんの娘セルゲイちゃんがクレヨンで描いた、家族4人と家のらくがきの絵がとても寂しげに見えた。

彼らの自宅前には瓦礫が広がっている。ここにはかつて近所の人々の家や店などがたくさんあったという。

スルクレを追われ、引っ越し先で息子に母乳を与えるアリの妻アイセル(40歳)
photo:Hayashi Noriko

マスンさんの自宅から歩いてすぐの所には、兄のアリさんが家族8人で暮らしていた。アリさんは先祖から引き継いできたロマ音楽の演奏家だったが、仕事場のレストランも取り壊され、仕事を失った。生きていくために多くを失ったが、仕事道具だったバイオリンだけは売らなかったという。

妻のアイセルさんは「夫が仕事を失い、6人の子どもをどうやって育てていけばいいか、先が不安です」と話していた。

引っ越した先で鶏の羽根をむしるアリの娘ザラと息子ポラット。肉は業者に渡し、報酬として数羽を受け取るphoto:Hayashi Noriko

1歳から21歳までの子どもたちは一人も学校に通っていない。一家は知り合いから受け取った鶏十数羽を絞め、羽根をむしった後に肉を食肉業者に渡すことで生活していた。

トルコ人の友人たちからはロマ人は「野蛮」な犯罪者だから近づかない方がいいと言われたが、私が出会ったロマの家族は気性が激しく感情をストレートに出しながらも、人間的なとても温かい人たちだった。

狭いアパートでチャイを入れるアリの娘ネスリハン(20歳)
photo:Hayashi Noriko

昨年、イラク取材の直前にイスタンブールに立ち寄り、スルクレを再訪した。14年にもスルクレを訪れていたが、その時には警備が厳しく、ゆっくりとスルクレを見て回ることが出来なかった。

スルクレには近代的で重厚な茶色と白の住居があたり一帯にぎっしりと建てられていた。マスンさん一家の家は完全に取り壊され、そこにはコンクリートの道が出来ていた。人が住んでいた痕跡すら全くない。

アリさんが暮らしていた家はまだ残っていたが、玄関ドアには大きな長い木が斜めに釘で打ち付けられ、長く放置されてきたことがすぐに分かった。

かつては多くの家が並んでいた、スルクレの土地を眺めるマスンの妻ドネと瓦礫を歩く息子
photo:Hayashi Noriko

マスンさん一家の写真をその地域の住人たちに見せ、行方を探した。

「彼らは立ち退きを余儀なくされ、随分前にここを出て行ったよ。トルコ南部に向かったと聞いているよ」

現在はコンクリートで固められたこの土地に、かつて確かにロマの家族の日常があったという証しを伝えたいと思った。

バイオリンを弾くアリの息子ギョウスン。音に合わせてダンスをするのはその弟のポラットとシェレフ
photo:Hayashi Noriko



はやし・のりこ

1983年、神奈川県川崎市生まれ。2006年から西アフリカ・ガンビア共和国の現地紙で写真を撮り始める。「メディアが取り上げない場所で暮らす、一人ひとりの想いや問題を伝えたい」と、硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、HIVに母子感染したカンボジアの少年、誘拐結婚させられたキルギスの少女などを写真に収めてきた。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳-いま、この世界の片隅で』、写真集『キルギスの誘拐結婚』がある。16年12月に写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。ホームページはこちら(http://norikohayashi.jp)


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